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赤飯

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スーパーの弁当売り場を見て回ると、
いつも、寿司と弁当の間に少しだけ「赤飯」が置かれている。

大方の場合は、ちいさな透明のケースに
薄く広げられており、隅っこの方には
小袋入りの「ごま塩」が1つ、つけられている。
他には、まったく飾りなどない。
隣に置かれている「にぎり寿司」などを見てみると、
寿司と寿司の間に、草の形を象った
ビニール製の「バラン」が入っているが、
「赤飯」の場合、そういう装飾的なものが全く無く、
ただ「ごま塩」の小袋が1つ、つけられているだけである。

自分の場合だと、1年のうちに1回か2回くらい、
「赤飯」を食べてみるか、という気になる。
そういう場合、スーパーに出かけていって、
この小さなパック入りの「赤飯」を買って帰る。
もともと、そんなに数を置いてある商品ではないので、
店に行ったときに、「赤飯」が無いことがある。
そういう場合は、とりあえず「おにぎり」売り場を覗いてみる。
運がよければそこに、「赤飯おにぎり」が並んでいるからだ。
価格も他の「おにぎり」と同じで、1個あたり100円程度だ。
パック入りの「赤飯」の場合、
「ごま塩」は小袋入りのものが添付してあるが、
「おにぎり」の場合は、すでに「ごま塩」が振りかけられている。
ただ、普通の「おにぎり」に比べて人気がないのか、
「赤飯おにぎり」を置いていないスーパーも、結構ある。
そうなると仕様が無いので「赤飯」を食べることは諦めてしまう。
食べたいという気持ちが、その程度にしかならないのが、
1年のうちに1~2回訪れる、自分の「赤飯」欲求である。

……。
ちなみに、弁当売り場に「赤飯」が無かったからといって、
もう、店の中に「赤飯」がないとは限らない。
大方の場合、パック入りご飯(電子レンジで温めて食べるやつだ)の
棚の隅っこに、パック入りの「赤飯」が置いてあるからだ。
袋の中にパックが3つほど入っていて、価格が300円程度。
稀に、バラ売りされていることもある。
さらに「炊き込みご飯の素」などの置いてあるコーナーには、
「赤飯の素」というのも置いてある。
これも使い方は「炊き込みご飯の素」とほとんど同じで、
普通の米に混ぜて炊くと、「赤飯」が炊きあがるという商品だ。
この「赤飯の素」に関しては、
買ってすぐに食べることが出来ないという理由から、
今までに一度も購入したことがない。

「赤飯」は、餅米に小豆を混ぜ、蒸し上げたものである。
普通のご飯のように、炊いて作るのではなく蒸して作っているため、
正しく言うのであれば、これは「おこわ(強飯)」ということになる。
現在では、「小豆(あずき)」を使って作ることが多いが、
かつては「大角豆(ささげ)」を使って作ることもあった。
おめでたいときに「赤飯」を食べるというのが一般的だが、
かつては葬式などの仏事の際にも、「赤飯」が作られることがあった。
これは「赤飯」の赤い色には、
災いを避ける力があると信じられていたからである。
「赤飯」の力によって、よくないこと(凶事)を
中和しようと考えたのかも知れない。

この「赤飯」の歴史を遡ってみると、
ほぼ、日本の米食の歴史の始まりまで行き着いてしまう。
というのも縄文時代後期、日本に入ってきた米は
現在、主に食べられているジャポニカ米でなく、
長粒種であるインディカ米だったらしいからである。
このインディカ米が「赤米」だった。
呼んで字のごとく、赤い色をした米である。
当初は、これを蒸して「強飯」にして食べていたようだが、
平安時代になって、これを炊き「姫飯」にして食べるようになった。
もしこれが本当だったとしたら、
もともと日本の米は白くなく、赤かったということになる。
早い話、「赤飯」こそが、日本最初の米飯だったということである。
もちろん、この「赤飯」は小豆などで色をつけたものでなく、
全く米自身の色による「赤飯」だ。
ただ、現在主流であるジャポニカ米も、
この赤米と並行して作られていたようだが、
先にも書いたように、「赤」には災いを退ける力があると
信じられていたことから、この赤米は
神前に供えられたりもしていたようだ。
こういう風に書くと、米の価値としては
「赤米」>「白米」なのかと思ってしまうが、
江戸時代になるまで、庶民は「赤米」を食べていたということだから、
食べる米としては、やはり「白米」の方が価値があったらしい。

江戸時代に入ると、米の品種改良が進み、
味が良く、収穫量が安定している「白米」が
作付けの大半を占めるようになった。
さらに幕府が年貢として取り立てるのが、
「赤米」ではなく「白米」だったことも、
「白米」の台頭に拍車をかけた。
結局、「赤米」は江戸時代中にほとんど駆逐されてしまうことになった。
しかし、「赤」が災いを退けるという考え方は残っていたため、
「赤米」を炊いて作る「赤飯」の代わりに、
「小豆」を使うことによって「白米」に赤い色をつける、
現在のような「赤飯」を作るようになった。
この「小豆」を使った「赤飯」には、
普通の白米を炊いただけの「白飯」にはない栄養素が含まれている。
その1つが、ビタミンB1である。
本来、玄米に多く含まれているビタミンB1だが、
江戸時代に入り、米の生産量が増えると米の価格が下がって、
玄米からさらに精米した「白米」を食べるようになると、
ビタミンB1の摂取量は急激に減ってしまい、
「白米」を主食としていた江戸の人々の間に、
「脚気」が大流行することになった。
この当時、「脚気」がビタミンB1の不足から起こっていることは
分かっておらず、全く原因不明の病気であり、
当時の最高権力者であった徳川将軍の中にも、
この「脚気」によって命を落としている者がいる
ほどである。
江戸の人々は、この「脚気」を予防するために
頻繁に「赤飯」を食べていたという話もあり、
江戸の一般庶民が、頻繁に食べることが出来るくらいには、
一般的な食品だったようである。

ただ、ここで書いたように、
「小豆」を入れて蒸し上げた「赤飯」が
一般庶民の間で食べられるようになったのは、
江戸時代からのことだが、米に「小豆」という組み合わせは、
これよりもはるか以前から存在していた。
平安時代の中期に書かれた「枕草子」の中には、
「小豆」を炊き込んだ「小豆粥」について書かれており、
現在の「赤飯」の原型は、この「小豆粥」だとする説もある。
平安時代は「粥」が固く変化して「姫飯」、
つまり普通のご飯へと変わっていった時代である。
その流れの中で、同じように「小豆粥」が
固めに炊かれて「小豆飯」へと代わっていったとしても
不思議ではない。
鎌倉時代の宮中の記録には、
上梓の節句、端午の節句、重陽の節句などには、
「赤飯」を食べていたという記録もあるので、
少なくとも、宮中などの上流階級では、
このころにはすでに、現在のものに近い「赤飯」があったらしい。
これが江戸時代、「赤米」が廃れていったことによって、
一般庶民レベルへと伝播していったようだ。

ちょうど年度始めのこの時期、
入学祝いなどで「赤飯」を口にする機会も多い。
モチモチとした食感と、小豆のホックリとした味わい、
これとごま塩の塩気が良くあって、
お祝い気分とともに、ついつい箸が進んでしまうが、
餅米で作られている「赤飯」は、
普通の白飯に比べても、かなりカロリーが多い。

調子に乗って食べ過ぎると、後で後悔することになるかも知れない。

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