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甘納豆

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ポケットの中に食べ物を入れておいて、
これを取り出して、つまみ食いするというのは、
行儀的に言えば、決して褒められたものではない。

しかし、自分の知る限り、歴史上の人物で、
この悪癖を持っていた人物が2人いる。

1人は日露戦争時代の軍人・秋山真之だ。
彼は、ポケットの中に煎った豆を入れておき、
時々これを取り出して、口の中に放り込んでいたという。
秋山真之といえば、日露戦争における「日本海海戦」において、
様々な作戦を立案した名参謀として知られているが、
彼のような天才的な人間には、
やはりどこか普通の人とは違った所があるのか、
普通の人から見れば、ちょっと眉をしかめてしまいそうな
変わったクセをいくつも持っていたという。
その変わったクセの1つが、前述した
「ポケットの中に煎った豆をいれておき、
 時々これを取り出して、口の中に放り込む」
というものだった。

もう1人は、兵庫県が生んだ偉大な登山家・加藤文太郎だ。
「単独行」登山の先駆者とも言える彼は、
登山中、ポケットの中に炒った豆、揚げた煮干し、
甘納豆などを入れておき、これを取り出し、
歩きながら食べていたという。
ポケットの中に食べ物を入れて、
それをつまみ食いするというのも行儀のいいものではないが、
歩きながら、ものを食べるというのも、
同じくらい、行儀の悪い行為といえるだろう。
ただ、彼のこの行為を擁護するとすれば、
彼が登山中に行なったこの行為は、今日で言う所の「行動食」である。
登山のように、大量にエネルギーを消費する行動の最中に
こまめに栄養補給を行なうことで、エネルギー切れによる「バテ」、
つまり「シャリバテ」を防ごうというものである。
加藤がポケットの中に、これらの食品を入れておき、
これを歩きながら食べていたのは、
あくまでも「登山中」だけのことだったので、
彼のこの行為については、
あくまでも「登山中」の合理性を追求したものだったと
言えなくもないだろう。

加藤文太郎が食べていた「行動食」の中で、
1つ注目すべきなのが「甘納豆」だ。
炒り豆、揚げた煮干しが塩味なのに対し、
この「甘納豆」だけは甘味である。
現在では、甘いものはすぐにエネルギーに代わるということで、
登山中の「行動食」にも、甘味のものが多く用いられているが、
そのハシリといえるのが、この加藤文太郎が用いた「甘納豆」であった。

「甘納豆」は、豆類を砂糖漬けにした、和菓子の1つである。
砂糖漬けにされる材料の中には、豆以外にも
クリ、ハスの実、サツマイモ(輪切りにしたもの)などがある。
豆を使っているわけではないものの、
これらも一般的には「甘納豆」として扱われている。
名前の中に「納豆」という言葉が入っているが、
我々が良く知る、発酵食品である所の「納豆」とは全く関連性がない。
製造工程を見ても、豆を砂糖と一緒に煮詰め、
これに砂糖をまぶして乾燥させる「甘納豆」と、
豆を煮上げ、これを藁の中にいれて発酵させる
「納豆(糸引き納豆)」では、かなりの違いがある。
では、どうして「甘納豆」に「納豆」という名前が
付けられたのだろうか?

実は、その答えは簡単である。
何故なら、もともと「甘納豆」は、「甘納豆」という名前では
なかったからである。
「甘納豆」の起源については、いくつかの説があるのだが、
その有力なものの1つ、
江戸時代の末期に菓子屋「榮太樓」が作って、
これを売り出したという説では、
その名前が「甘名納糖(あまななっとう)」となっていた。
この「甘名納糖」という名前は、
浜松名物である「浜名納豆」に似せて作られたらしい。
これが後に、簡略化され、変化して「甘納豆」になったという。
商品名であった「甘名納糖」と、
その元となった「浜名納豆」とが、
混じり合ったネーミングになっている所が面白い。

一部の説によると、「甘納豆」というのは、
日常的に「納豆」の食べられていた地域で用いられていた名前で、
近年まで「納豆」の普及率の低かった近畿地方では、
「納豆」といえば、この「甘納豆」のことであったとされている。
この近年というのが、
どれくらいの時代までのことを指すのか分からないが、
少なくとも、自分が物心ついたころには、
近畿地方にも「納豆」と「甘納豆」の2つの言葉が存在しており、
「甘納豆」を、「納豆」と呼ぶようなことはなかった。
さらに近畿地方での「納豆」についても、
与謝蕪村が室津で詠んだ俳句の中に、
「朝霜や 室の揚屋の 納豆汁」
という句があることから、
近畿地方にまったく「納豆(糸引き納豆)」が無かったワケでもない。
先に書いた加藤文太郎は、手持ちの「甘納豆」に湯を注ぎ、
「汁粉」のようにして食べていたという話もあるのだが、
与謝蕪村が室津の揚屋で食べた納豆汁も、
ひょっとして、この「甘納豆」で作った「納豆汁」だったのだろうか?
(「甘納豆」の作り出された時期から考えると、
 さすがに矛盾が生じるのだが……)

我々は「甘納豆」というと、
せいぜいお茶請けのお菓子、くらいにしか考えないが、
実は一部の地域では、この「甘納豆」を料理の材料として用いる。
それが、北海道や東北地方などで見られる、
「甘納豆」を用いた、甘い「赤飯」である。
多くの日本人には「赤飯」が甘いというのは、
全く信じられない話なのだが、先に書いたように北海道や東北地方、
その他の一部地域では、実際に甘い「赤飯」が作られ、
スーパーなどでも普通に販売されている。
この甘い「赤飯」が、もっとも一般的な北海道では、
日本全国で見られる普通の「赤飯」と、
北海道独特の甘い「赤飯」が、同じようにスーパーの棚に並んでいる。
そう、このことからも分かるように、
この甘い「赤飯」というのは、
ただ従来の赤飯を、甘く味付けしただけのものではなく、
全く新しく、作り出された「別」の料理なのである。
では、この北海道の甘い「赤飯」は、
一体、どのような調理法で作られているのだろうか?

本来の「赤飯」というのは、水に付けておいた小豆と餅米を、
小豆の色の出たつけ汁と一緒に蒸し上げたものである。
飯の種類で言えば、これは「強飯(こわいい)」ということになる。
早い話が「おこわ」と呼ばれるものである。
これに対し、北海道の甘い「赤飯」は、
餅米と粳米を半々ほどの割合で混ぜ、これに食紅を入れて炊き上げる。
飯の種類で言えば、こちらは「姫飯(ひめいい)」ということになる。
早い話、普通に「ごはん」と呼ばれるものである。
この食紅を混ぜたご飯が炊きあがった後、
そこに「甘納豆」を混ぜて、さらにこれを蒸し上げる。
そうすることによって、「甘納豆」の甘味が
「赤飯」の中に移るということらしい。
この甘い「赤飯」は、北海道のある女子短期大学の学長の母親が
「子供たちが喜ぶように」と、「赤飯」に「甘納豆」を乗せて
食卓に上げたのが始まりらしい。
この女子短期大学には栄養課程があったこともあり、
学長はあちこちの料理教室から引っぱりダコとなり、
学長はそこで、母親の思い出の料理である
甘い「赤飯」について紹介した。
さらにこれが、新聞やラジオを通じて北海道中に紹介され、
北海道中に甘い「赤飯」が広まっていくこととなった。
まさか学長の母親も、自分の作った甘い「赤飯」が
北海道の食文化の1つとして定着していくなどとは、
考えもしなかっただろう。

現在では、日本全国どこのスーパーでも
お菓子売り場には「甘納豆」が並んでいる。
お手軽につまめ、簡単に糖分補給が出来ることから、
登山中の「行動食」などにもうってつけなのだが、
もともとエネルギーの豊富な豆類をじっくりと砂糖で煮込み、
さらにそれに砂糖をまぶしているのだから、
かわいい見た目とは裏腹に、
「甘納豆」の秘めているエネルギーはあなどれない。
(だからこそ、登山中の「行動食」として用いられたわけだ)

スナック感覚でついつい食べすぎてしまうと、
後で激しく後悔することになるかも知れない。

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