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年賀状〜その3

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前回前々回と「年賀状」の歴史について書いてきた。

我が国で、「年賀状」発生の条件が揃ったのが7世紀。
しかし、我が国最初の「年賀状」というのは明らかにはなっていない。
グッと時代が下った、平安時代の手紙文例集の中に「年賀の挨拶」があることから
我が国の「年賀状」の歴史は、7〜8世紀ごろにかけて始まったと見て
間違いないだろう。

以降、貴族、武家の風習として続けられてきた「年賀状」が、
江戸時代に入り、庶民の文化レベルの向上と共に庶民階級へと広がり、
明治時代、郵便制度の始まり、郵便はがきの導入によって
爆発的に「年賀状」の取扱量は増えていった。
激増する「年賀状」に呼応するかの様に、「年賀状」を通常郵便とは
別枠で扱う現在の制度に近いものが整備され、
昭和10年ごろには、なんと7億通もの「年賀状」が出されることとなった。
(ちなみに当時の日本の総人口は7000万人ほど。
 1人あたり10通以上、「年賀状」を出している計算になる)

だが、昭和10年を過ぎた辺りから、「年賀状」の取扱量は急激に減少していく。
そう。
戦争が始まったためである。

昭和12年。
この年の7月に起こった盧溝橋事件により日中戦争が勃発。
戦局は悪化していき、翌年には「国家総動員法」が成立することになる。
そういう世の中の空気を反映してか、「年賀状」についても
自粛ムードが高まっていき、昭和15年には「年賀郵便」の特別取り扱いも
中止ということになってしまった。
昭和16年に太平洋戦争に突入してからは、さらに自粛の声が高まり、
国家自体が「お互いに年賀状はよしましょう」という意味の
呼びかけを行なうに至った。
こうして「年賀状」の取り扱いはドンドンと激減していき、
終戦となった昭和20年、翌21年にはその取扱量は
ほぼ0ということになった。
世情が不安定で、物資が不足している状況下でのことだから、
とても「年賀状」どころではない、ということだったのだろう。

終戦後、世の中は徐々にその社会システムを回復しつつあったが、
「年賀郵便」の特別取り扱いの再開は、
昭和23年まで待たなければならなかった。
このころになって、ようやく人の心にも「年賀状」のことを考えるだけの
余裕が生まれたということだろうか。
だが悲しいかな、この年の「年賀状」の取り扱い数は、
戦前のピーク時(7億通のころ)の半分ほどでしかなかった。
だがこの翌年、とあるアイデアを実行することにより、
「年賀状」の取り扱い量は飛躍的に増えていくことになる。

昭和24年。
この年、現在ではすっかり当たり前になっている、
官製の「年賀はがき」が発売された。
つまりこれまでは、特に「年賀はがき」というものは存在しておらず、
全く普通のハガキに、利用者が「年賀」と書くことによって、
それを「年賀状」として取り扱っていただけであった。
そしてもう1つ、この「年賀はがき」の大きな特徴の1つは、
これに「お年玉くじ」がついていたという点である。
現在ではすっかりお馴染みの「お年玉くじ付き年賀状」の歴史は、
このときに始まるのである。
この「年賀はがき」に「くじ」をつけるというアイデア、
実は「官」からではなく「民」からでたものであった。
京都に在住していたある男性が
「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息もわかり、
 うちひしがれた気分から立ち直るきっかけにもなる」
と考え、「年賀状」をより広く浸透させるために
「くじ」をつけるというアイデアを思いついた。
彼は、自ら見本や宣伝用のポスターまで作り、
熱心に郵政省に持ち込みにいった。
郵政省内では一部反対意見もあったものの、結局このアイデアは採用され、
「お年玉くじ付き年賀はがき」が発売されることになったのである。
この「お年玉くじ付き年賀はがき」は話題を呼び、大ヒットとなった。
これのおかげで「年賀状」の取扱量は急激に増え、
昭和30年には戦前のピーク取扱量を突破。
だがその後もペースは衰えることを知らず、
「年賀状」の取扱量は同じようなペースで伸び続けていくことになるのである。

その後、伸び続ける「年賀状」と、普通郵便の量に応じて、
いくつかの新しい制度が取り入れられた。
昭和36年には「年賀はがき」から消印が無くなり、
その代わりにはがきの額面表示の下に、
消印を模した印刷が施されるようになった。
昭和43年には、郵便取扱量の増大から作業効率化のために
「郵便番号」制度が採用されることになった。
え?じゃあ、これまでの郵便って郵便番号じゃなく、
宛先だけで分類されていたの?と驚く人もいるだろうが、
実は「郵便番号」は、「年賀はがき」や「お年玉くじ」などよりも
ずっと新しいものなのである。

これ以降、伸び続けた「年賀状」の取扱量は昭和50年に25億通を突破。
さらに取扱量は伸び続け、そのピークが訪れるのは平成9年のことで、
なんとその取扱量は37億通に至った。
この年の日本の総人口は1億2500万人ほどなので、
おおよそ1人あたり30通の「年賀状」を出している計算になる。
もちろん、この総人口の中には「年賀状」を書くことも出来ないような幼児や、
自分のように「年賀状」を書かない人間も頭数として入っているため、
実際に、「年賀状」を出している人の平均は、
これよりもずっと多いということになる。
もっとも、この平成9年をピークとして「年賀状」の販売枚数は減少を始め、
今年、平成31年用の年賀はがきの販売数は25億枚を割り、
24億枚台にまで減少した。
これは景気の長期低迷や、インターネットの普及で電子メールなどが
盛んになったことなど、様々な理由が考えられるが、
自分のように「年賀状」を出さないという人間も増えて、
国民全体の約4割が「年賀状」を出していないそうである。
一昔、二昔前は、自分のように「年賀状」を出さないという人間は、
周りから白い目で見られがちであったが、
今や、そういう人間の数が半数に迫ろうとしているわけだ。
全体的な傾向としては、やはり高齢者には「年賀状」を出すという人が多く、
それに比べると、若年層では「年賀状」を出すという人の割合も少ないようだ。
先々のことに関して、ハッキリとしたことを言い切ることは出来ないが、
このまま時代が進んでいけば、ますます「年賀状」の数は
減っていきそうである。

「年賀状」に限ったわけではなく、自分はこの手の季節の行事を
なるべく保存していきたいなー、という意見を持っているのだが、
少なくとも、この「年賀状」に関しては、自分が全くやっていない以上、
「いつまでも残していきたい」などとは、口が裂けても言えない。

それでもヌケヌケと言わせてもらうのであれば、
今、「年賀状」を出している皆さん、なるべく止めずに長く続けてください。

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