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シジミ

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自分が通っていた小学校には、
「部活動」とは別に、「クラブ活動」というのがあった。

「部活動」というのは、学校の始まる前や放課後に活動する、
まあ、いわゆる普通の「部活動」である。
ウチの小学校には運動部が1つだけあって、
それがサッカー部であった。
もちろん、運動の苦手だった自分には
全く縁の無い「部活動」である。

それに比べて「クラブ活動」というのは、
4年生以上の生徒が、強制的に参加させられるもので、
その数も10種類ぐらいはあったと思う。
もちろん、運動系のクラブばかりでなく、
文科系のクラブも色々揃っていて、
その中から自由にクラブを選ぶことが出来た。
こちらの「クラブ活動」の方は、
どうやら授業の一環として行なわれていたらしく、
自分の記憶が確かならば、木曜日の5時間目以降が
この「クラブ活動」にあてられていた。

さて、この「クラブ」の中で、
自分が所属していたのが「自然クラブ」である。
他のは、卓球やら図工やら、コーラス、バドミントンなど、
どういう活動をしているのか、
一発で分かるようなクラブばかりなのだが、
この「自然クラブ」というのだけは、一体、
どういう活動をしているのか、全く想像もできない。
まあ、要は自然を満喫して、色々やってみようというクラブなのだが、
普通に想像してもらうのであれば、
生物部と園芸部と料理部を混ぜ合わせたようなものである。
記憶にある活動としては、

・学校近くの溝や、草むらに生えている雑草を集めてきて、
 「七草粥」を作って食べた
・ドングリを拾ってきて皮を剥き、
 水に漬け込んでアクを抜いたものを粉にして、
 団子を作って食べた

などである。
……。
何故か、記憶に残っているのは、何かを食べたものばかりだ。
もちろん、何かを食べる以外の活動も多かったのだが、
そちらの方は不思議と全く記憶に残っていない。
自分という人間の頭の中身が透けて見えるようである。

で、この「自然クラブ」の活動について、
もう1つ記憶に残っているのが、

・カラスガイ(淡水の大型の貝)を解剖しながら、
 シジミのみそ汁を食べる

というものである。
……。
冷静に考えてみると、かなりえげつない内容である。
今ならPTAから、激しいクレームが入りそうだ。
当時は、そういうことをしても許される時代だったのである。
もちろん、解剖するカラスガイにしても、
食べるシジミにしても、スーパーなどで買ってきたものではなく、
生徒たちがそこら辺の溝から捕まえてきたものである。
自分が小学校のころの揖西町には下水道というものなどなく、
また、田んぼや畑の農薬使用にしても、
無農薬とか低農薬なんていう概念もなく、
盛大に農薬をまき散らしていた時代である。
そういう時代の、そこら辺の溝で捕まえてきたシジミである。
今考えれば、よくあんなものを子供に食べさせていたなぁと、
驚くしかない。

実際に、自分たちが採って来たシジミをみそ汁にして、
先生がやるカラスガイの解剖を見ながら食べたのだが、
これが、自分が生まれて初めて食べたシジミ、ということになった。

シジミは、二枚貝綱シジミ科に分類される二枚貝の総称だ。
淡水域や汽水域に生息する小型の二枚貝で、
小型であることから「縮み(ちぢみ)」が変じ、
「蜆(しじみ)」になったという説がある。
日本本来の在来種としては、汽水域に生息するヤマトシジミ、
淡水域に生息するマシジミ、セタシジミの3種類がいる。
このうち、ヤマトシジミとマシジミについては、
広く全国に生息しているが、セタシジミだけは
琵琶湖のみに棲む固有種となっている。
外来種としては、中国や台湾に生息しているタイワンシジミが
ここ最近、急激にその生息数を増やし、在来種を圧迫している。
ただ、これらのシジミに関しては、その姿が非常に似通っており、
素人目にはほとんど見分けを付けることが不可能なため、
比較的安価なタイワンシジミを、ヤマトシジミなどと偽って販売する
産地偽装が行なわれることもあるようだ。

食材としては、ミネラルとアミノ酸を豊富に含んでおり、
古くから「土用蜆」として夏に、また「寒蜆」として冬に、
それぞれ食べられてきた。
基本的に、もっともシジミのおいしい季節は
夏から秋にかけて栄養を摂り、冬の寒い水にさらされることで
身の引き締まった「寒蜆」だとされているが、
実際には1年を通して、常時食べられてきたため、
「四時美(しじみ)」という表記をされることもあった。
春夏秋冬、いつでもそれなりに美味しいということだろうか。
日本では、有史以前から日常的に食べられていたようで、
縄文時代の貝塚からも、シジミの貝殻が発掘されている。
また、7~8世紀に編纂された「万葉集」の中にも
シジミを使った
「住吉の 粉浜の四時美(しじみ) 開けも見ず
 隠りてのみや 恋ひ渡りなむ」
という和歌がある。
現代人の感覚からすれば、恋の歌にシジミを使うというのは、
全く色気も何もない気がするのだが、
当時の人間にとって、シジミというのは雅なものだったのだろうか?

江戸時代になると、庶民の間にもシジミの効能が知れ渡るようになり、
次のような川柳も詠まれた。

「蜆売り 黄色なつらに 高く売り」

これは江戸のシジミ売りが、黄疸(肝臓などの病気によって
顔が黄色く変色する症状)の出ている患者に、
「シジミは黄疸に効く」ということで、高く売りつけるという、
江戸っ子のちゃっかりさを詠ったものである。
中国・明の時代に書かれた薬学書で、
日本でも翻訳本が出版された「本草綱目」には
「蜆は酒毒、黄道を解し、目を明らかにし、小便を利し、
 脚気、熱気、湿毒を下す」
と記されており、
江戸中期に発刊された「食品国家」という文献にも、
「蜆よく黄疸を治し、酔いを解す」
と記されている。
シジミは「二日酔いを治す」、「黄疸に効く」、
「母乳の出を良くする」、「寝汗によい」とされ、
シジミを使ったみそ汁は、江戸時代の朝の
定番メニューであったという。
(江戸の長屋には、朝一番に納豆売りとシジミ売りがやってきた。
 落語の「蜆売り」に出てくるように、15歳前後の貧しい子供も多く、
 深川・佃島辺りから天秤棒を担いで売りに出たようだ)
江戸末期の嘉永6年(1853年)に刊行された
江戸時代の百科事典「守貞漫稿」によれば、
シジミは京・大阪ではむき身で売られていることが多く、
江戸では殻付きのものが、
1升(1.8ℓ)6文で売られていたとある。
4文を100円と換算すれば、6文は150円ということになる。
現代の感覚でいえば驚異的な安値だが、
それだけ江戸の川ではシジミが良く採れたということなのだろうか。

現在では、シジミには「オルニチン」という
肝臓に効く成分が含まれており、
二日酔いなどの場合には、シジミのみそ汁を飲めばよいとされる。
最近では、シジミから有効成分を抽出した
「シジミエキス」なども販売されている。

さて小学生時代、クラブ活動で
カラスガイの解剖を見ながら食べた「シジミのみそ汁」で始まった
自分のシジミ歴だが、実はこれが驚くほど乏しいものである。
なんといっても、実家では
全く「シジミ」を食べる習慣がなかったというのが大きい。
もし自分が酒飲みで、二日酔いを繰り返すような人間だったら
肝臓のために……ということで
「シジミのみそ汁」の出番があったかも知れないが、
残念ながら自分はほとんど酒を飲まず、
二日酔いになることも、肝臓を痛めることもなかった。
結果として、「シジミのみそ汁」を飲むのは
たまにスーパーなどでインスタントみそ汁を購入したときくらいで、
ちゃんとした(?)「シジミのみそ汁」を飲んだのは、
最初の小学生のときの、ただ1回のみである。

この先も、自分の人生に「シジミのみそ汁」が登場してくることは
まず無いと思うが、もし、自分がこの先、
これを飲むようになるとすれば、
何らかの理由で肝臓を痛めたときかも知れない。

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