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のり弁当

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いつも目を通しているニュースサイトの見出しを眺めていたら、
「のり弁当」という単語が目についた。

記事自体は「のり弁当」が、今後、どうなっていくのかを考える、という
あまりこれといった中身の無い記事だったのだが、
「のり弁当」という言葉は、ずいぶんと久しぶりに目にした気がした。
よくよく考えてみれば、長い間、弁当屋で弁当を買っていない。

「のり弁当」というのは、大方の弁当屋で最も安価な弁当である。
プラスチック容器の中にご飯を敷き詰め、
その上に醤油で味付けしたかつお節を乗せる。
さらにその上に、ご飯を覆うように1枚の海苔を乗せれば
基本的な「のり弁当」の完成である。
もちろん、弁当屋の商品として販売する場合、
これだけでは貧相すぎて、とても商品にならない。
だから多くの弁当屋では、この海苔の上に魚フライ、チクワの磯辺揚げ、
コロッケ、キンピラゴボウ、漬け物などを追加して、
何とか、それなりに商品としての態を保っている。
海苔の上に何を乗せるか?という点については、
それぞれの弁当屋ごとにこだわりがあるらしく、
唐揚げなどを乗せる所もあれば、オムレツなどを乗せる所もある。
しかし、やはりオーソドックスな所としては、
白身魚を使った魚フライと、チクワの磯辺揚げの2点というのが、
もっとも「のり弁当」らしいようである。

先にも書いたように、この「のり弁当」は弁当屋の扱っている商品の中では
最も値段の安い弁当である。
そのせい(?)か、弁当屋の売れ筋ランキングにおいて
「のり弁当」は常にトップを争う売れ行きを誇っている。
もちろん、それだけ売れている商品なのだから、
どこの弁当屋も「のり弁当」の品質・価格には、常に神経を尖らせている。
ライバルチェーンが値段を変更すれば、それを敏感に察知して
こちらも値段を合わせていく。
牛丼チェーンが「牛丼 並」の価格でしのぎを削っているように、
弁当チェーンは「のり弁当」の価格でしのぎを削っているわけだ。
かつては、「のり弁当」といえば、弁当屋に行かなければ買えない商品だったが、
現在ではその人気に目を付けたスーパーやコンビニエンスストアでも
「のり弁当」の取り扱いが始まり、「のり弁当」を巡る争いは
ますますヒートアップしている感がある。

さて、この「のり弁当」。
一体、いつごろから作られているのだろうか?
ざっとインターネットを使って調べてみた所、
ほとんどのサイトで共通していたのは、1980年ごろに
「ほっかほっか亭」が白身魚のフライとチクワの天ぷらを乗せた
「のり弁当」の販売を開始しており、これが現在のスタイルの「のり弁当」の
始まりであると書かれていた。
ただ、敷き詰めたご飯の上に海苔を乗せた、いわゆる基本的というか
原初の「のり弁当」については、それ以前から存在していたらしい。
これも、それらのサイトに書かれているのだが、
それについてのハッキリした根拠となるようなものを示しているサイトは無く、
唯一、ウィキペディアの「のり弁当」の項目では、
同様のものを弁当箱ではなく、小鉢で作ったものについて
阿川弘之が「食味風々録」の中に記述していると書かれていた。
そこで、この「食味風々録」がいつごろ出版されたかを調べてみたのだが、
残念ながらその出版は2001年で、その出版された年から
「のり弁当」(といっても、厳密には別物だが……)の歴史を遡ることは
出来なかった。

「のり弁当」文献の探索の道は断たれてしまったかに思えたのだが、
ここで自分はふと、あることを思い出した。
たしか東海林さだおのエッセイの中に、
「のり弁当」について書かれたものがあったはずだ。
記憶が確かならば、彼はそのエッセイの中で学生時代の思い出の弁当として
「のり弁当」を取り上げていたはずである。
早速、自分の持っている東海林さだおの書籍をもう一度調べ直し、
問題のエッセイを探し出した。
「キャベツの丸かじり」の中の「懐かしののり弁」というのが、それだ。
彼はこのエッセイの中で
「中・高校生のころの弁当には、こののり弁がよく登場した」
と書いている。
調べてみた所、彼は1937年生まれ。
彼が15歳のころ、「のり弁当」を食べていたとすれば
1952年ごろにはすでに「のり弁当」が存在していたことになる。
このエッセイによれば、彼の「のり弁」はご飯・のり・ご飯という風に
2段重ね、あるいは3段重ねにして、醤油をかけ回しただけのものだったらしい。
家計が貧窮したらしいときに、しきりに登場したとあるので、
家庭で作る弁当の中でも、特に最低ランクのものだったようだ。
「ほっかほっか亭」が現在のスタイルの「のり弁当」を発売する
30年ほど前には、すでに「のり弁当」は確かに存在していたのである。

この「懐かしののり弁」を読み返してみて、ちょっと気になった部分があった。
このエッセイの中で、東海林さだおは「のり弁」を食べてみたいと思い立つ。
しかし、こう続く。
「しかし、大抵の弁当はホカ弁屋に行けば売っているが、
 のり弁だけは、どこにも売っていない」
そう、東海林さだおがこのエッセイを書いた当時、
まだ、弁当屋には「のり弁当」が売ってなかったということだ。
結局、彼は、自ら材料を買い集め、自分の手で「のり弁」を再現するのだが、
この当時、本当に弁当屋に「のり弁当」は売ってなかったのか?
エッセイの奥付を見てみると、この「懐かしののり弁」が雑誌に発表されたのは
1987年のことになっている。
だとすれば、すでに「ほっかほっか亭」がすでに
「のり弁当」を販売し始めた後だ。
これはどういうことか?
さらに良く調べてみると、「のり弁当」を初めて販売したのは
大阪の店舗であったらしく、そのころはまだ「ほっかほっか亭」の店舗も
少なかったらしい。
東海林さだおは東京在住であるので、恐らく
1987年にはまだ、東京の弁当屋では「のり弁当」が
販売されていなかったのだろう。
現在、全国的に普及している「のり弁当」も
発売当初は、それほどの勢いでは伝播していかなかったようである。

もうひとつ、東海林さだおのエッセイで重要な部分がある。
彼が食べていた「のり弁」の構造だ。
自分は最初、ご飯と海苔の間に醤油で味付けしたかつお節が入っているものが
「のり弁当」の基本形と書いたが、彼の思い出の中の「のり弁」には
このかつお節の部分がオミットされていて、全くご飯と海苔、
そして醤油だけで出来ている。
これは「のり弁当」から、考えうる全てのプラスαを取り去った、
真の意味での「原初」の「のり弁当」といえるだろう。

それが、当時の一般家庭でごく当たり前に登場していたということは、
「のり弁当」の歴史は、我々が考えているよりもずっと深く、
長いものであるようだ。

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