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西播怪談実記

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だんだん気温が上がり、だんだん湿度も上がってきた。
今年も、過酷な暑さの夏がやってくるようだ。

自分が子供のころは、夏といえば「怖い話」がつきものだった。
子供向け雑誌などでは、心霊・怪奇特集が組まれ、
漫画雑誌に連載中のマンガの中でも、怪談話がネタになった。
あまつさえ、SF的な特撮ヒーロー番組などでも、
夏になると「怪談シリーズ」などと銘打ったエピソードを
放送していたものである。
まあ、当時はこういったものにも、
敏感に季節感が取り入れられていたのだ。

もちろん、現在でも「そういう」例はあるのだろうが、
昔に比べてみると、それほど熱心ではなくなった。
昨今、食べ物などは季節感が無くなってしまっているが、
こちらの方も季節感が無くなってしまっているようである。

さて、そもそもこう思っている人もいるだろう。
どうして、夏に「怖い話」をするんだ?
そう、これは確かに不思議な話だ。
考えてみれば、「怖い話」などは、別にどの季節に聞いても、
その恐ろしさは変わるものではない。
逆に考えてみれば、季節感のある話(たとえば「雪女」のような)
の場合、季節をあわせた方が、よりリアリティが増すはずだ。
それなのに、日本には「怖い話」といえば夏という、
一種の不文律のようなものがある。
調べてみた所、これは世界共通のものではなく、
日本だけに見られるものらしい。
では、どうして日本で
「怖い話」=「夏」という図式が出来上がったのか?

その始まりは、江戸時代の「夏狂言」にある。
「夏狂言」とは、夏の歌舞伎興行の呼び名のことであり、
夏芝居、盆芝居、土用芝居ともいう。
もともと江戸時代の芝居は、夏は行なわれていなかった。
狭く密閉された芝居小屋の中は、大勢の客の入りもあって
非常に過ごしにくい状況になるため、
この時期は、役者や劇場が休暇を取るのが普通であった。
だが、寛政ごろ(1789年〜)から、
若手俳優らによる、低料金の演劇が行なわれるようになった。
いつもは脇役や、端役しかできない若手たちにとって、
これは大きなチャンスでもあった。
そのため、普段、売れっ子俳優が演じている演目とは違うものを、
ということで頭をひねり、そこから生み出されたのが
「幽霊などが登場する怪奇話」であった。
そう。
夏になると「怖い話」という習慣は、
この「夏狂言」によって生み出され、定着させられたのである。
また、この夏の時期には「お盆」があり、
亡くなった人間の魂が、あの世から帰ってくると信じられていた。
この迷信が、「夏狂言」の「怖い話」に、
一層のリアリティを持たせた。
かくして、「夏狂言」として定着した
「怖い話」=「夏」という図式が一般的なものになった。

もちろん、この「夏狂言」以前にも、
この「怪奇話」が流行る下地はあった。

江戸時代が始まって、おおよそ100年。
戦国時代は遠い過去のこととなり、長く続いた平和な時代は、
元禄文化という絢爛豪華な文化を経て、
しっかりと実のある文化を形成し始めた。
これらの文化を生み出したのは、
それまでのような貴族階級、武士階級の人間ではなく、
全くの一般庶民であり、これは日本の歴史の中でも
初めてのことであった。
安定した平和な時代は、米を主流とした経済から
貨幣を主流とした経済へと変貌を遂げ、
時代の主役は武士から、商人をはじめとする庶民へと変わっていった。
経済的に力を持った庶民は、その力を学問、文化へと注ぎ込み、
様々な新しい文化を生み出していくことになった。
その1つが、庶民によって生み出される、様々な文学である。
教養を身につけた庶民の中からは、
多くの文人が生まれ、彼らはせっせと文筆活動に勤しみ、
多くの作品が世に送り出されることになった。

そのような時代の中、この西播地方でも
地方文人と呼ばれる人々が現れた。
その中の1人が、今回のタイトルである「西播怪談実記」を書いた、
春名重右衛門忠成である。

播磨国佐用村(現在の佐用郡佐用町)の那波屋という
大商家に生まれた彼は、和歌などに傾倒し、
佐用村でも指折りの文人であった。
そんな彼が、幼いころから聞き集めた「怪談」をまとめたものが、
「西播怪談実記」である。
彼は商人であったため、商用により他国にまで赴くこともあり、
それらの旅先でも、この手の「怪談」を収集していたようであるが、
それらの収集した「怪談」の中で、特に地元のもの、
それも信憑性の高いものを厳選した。
……。
この際、「怪談」なんてみんな嘘っぱちだろう、という突っ込みは、
敢えてしないでおく。
この、彼の書いた「西播怪談実記」を、
大阪で本屋を営んでいた吉文字屋市兵衛が出版した。
佐用の春名忠成と、大阪の吉文字屋市兵衛に
どんな繋がりがあったのか?と、
不思議に思う人がいるかも知れないが、
この吉文字屋市兵衛、先代の実の息子ではなく、
奉公人から養子になって二代目を継いでいる。
彼の出身は、佐用郡三日月村。
もとの姓は「春名」。
そう、彼は春名忠成の従兄弟にあたる人間だったのだ。
「西播怪談実記」の出版は、この縁によって
なされたものなのである。
忠成は、この他にも「怪談」をまとめた本を出版しており、
それらの全てを、この吉文字屋が出している。
このことから考えると、従兄弟同士というコネで
出版されたわけではなく、忠成の書いた「怪談」は
それなりに人気を取った、有力なコンテンツだったのだろう。

さて、ここまで書いたことでも分かるように、
この「西播怪談実記」は、いわば1つの体験談集である。
中には、西播地方の90本近い「怪談」が、
場所、時間、誰が、というところまで、細かく書かれている。
その中には「播州皿屋敷」のような、全国的に有名な「怪談」も
収められているが、これ以外は全く地元の話ばかりである。
(まあ、「皿屋敷」も地元の話なのだが……)
作者である春名忠成が、佐用に住んでいたため、
掲載されている「怪談」についても、
そこを中心にしたものの数が多くなってはいるのだが、
それ以外にも相生、たつの、宍粟、太子、姫路の話なども、
いくつか掲載されており、それらについても
事細かな描写がされている所から、
作者の綿密な取材(?)ぶりが伺える。
それらの内容についても、怪火、幽霊、妖怪、大蛇、神仏の霊験、
さらには、怪異は無いものの人間の怨念を感じさせる話など、
実にバラエティにとんだラインナップとなっている。
現在から、たった300年ほどの昔だというのに、
西播地方という狭い範囲の中に、
よくもまあ、これだけバラエティにとんだ「怪談」が、
これだけの数、あったものである。
まさに当時の西播は、魑魅魍魎が跋扈しているといっても
差し支えのない世界だったのかも知れない。

……。
まあ、それは冗談だとしても、それだけバラエティにとんだ
「怪談」が、多数存在していたということは、
我々のご先祖たちも、相当に「怖い話」が大好きだったのだろう。
これらが1つのブームを成し、その結実となったのが、
江戸の「夏狂言」、そして「怖い話」=「夏」の図式なのである。

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