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沢庵漬け

更新日:

少し前に「りんご飴」について書いた際、
食紅をしっかりと使って、しっかりと赤さを出した方が、
いかにも「それ」っぽく、美味しそうに見えると書いた。

食べ物には、たまに強烈な色をしているものがある。
そういう場合は、大方、なんらかの着色料で、
食品に色を付けていることが多いのだが、
不思議なことに、くすんだ色をしているものよりも、
いっそ毒々しいほどに鮮やかな色をしているもののほうが、
食欲を掻き立てることがある。
先の「りんご飴」なんかも、そういう食品のひとつである。
明らかに色が過剰で、鮮やかすぎるのだが、
くすんだ色よりはそちらの方が美味しそうに見える。
頭の中では、なんとなく「ヤバい」のかなー、
と思っているのだが、
それでも食べてしまう「色の鮮やかすぎる」食品たち。

今回、取り上げる「沢庵漬け」についても、
やたらと黄色の鮮やかなものが、店頭に並んでいる。
大根の、あの白さの面影など全く感じさせない、強烈な黄色だ。
そういう「沢庵漬け」を、ちょっと厚めに切り、
熱々のご飯の上に乗せて、これを食べる。
もちろん、漬け物なので塩辛さはあるのだが、
それと一緒になんともいえない「甘さ」が、口の中に広がる。
大根の甘さか?と聞かれたら、
首を横に振らざるを得ない類いの「甘さ」、
なんらかの甘味料を使って、つけられている「甘さ」である。
白いご飯の上に「沢庵漬け」を乗せ、
しばらくそのままにしておくと、
白いご飯も鮮やかな黄色に染まっている。
それほど、市販の「沢庵漬け」には強烈な色が、
つけられているのだが、
この強烈な色の「沢庵漬け」が、なんともしみじみとウマい。

世の中には当然、着色料の入っていない「沢庵漬け」がある。
もちろん、そういう「沢庵漬け」は、ご飯の上に乗せても
ご飯が黄色く染まったりすることはない。
自分が子供のころ、この黄色くない「沢庵漬け」を
結構な頻度で食べていた。
別段、うちの家族が本物志向の強い一家だった
なんていう話ではなく、
うちの婆さんが、自分で沢庵を漬けていたからである。
今までにも何度か書いたが、
うちの婆さんは、畑で様々な野菜を作るのが趣味で、
毎日毎日、畑をいじり、様々な野菜を量産していた。
イチゴやスイカ、トマトなど、
時にその過生産が過ぎ、そのしわ寄せが子供の自分たちの所に
やって来ることも多かった。
そんな婆さんだから、とにかく何を作るにしても、
やたらに大量に生産した。
タマネギやジャガイモなどは、収穫後も長期間の保存がきくが、
白菜や大根などは、そういうわけにもいかない。
だからといって、大根を1日に5〜6本食べるのは不可能だし、
白菜を1日3玉食べるのも不可能である。
当然、これらは「漬け物」に加工されて、
長期保存されるのが、我が家の常であった。
白菜にしても、大根にしても、
プラスチック製の漬け物樽の中に、ぎっしりと詰め込まれ、
それが6〜7樽あった。
このとき、大根は適当に干され、水分が無くなった後に、
塩や糠と一緒に、樽の中に漬け込まれた。

しかし、1つ問題があった。
これは「美味しい漬け物」を作るための「漬け物」ではなく、
大量に穫れた野菜を、保存しておくための「漬け物」である。
必然的に、味よりも保存性を考えた漬け方をすることになる。
……。
まあ、端的にいうと、バカみたいな量の塩を入れて
漬け込んだ、ということである。
当然、出来上がった「沢庵漬け」は、
目玉が飛び出るほどに塩っ辛い「沢庵漬け」であり、
市販の「沢庵漬け」のように、
「甘さ」を感じることなど、まるでない「沢庵漬け」であった。
さらにいえば、婆さんは
「沢庵漬け」を黄色くすることには無関心であった。
昨今のことなら、「天然自然の味」として
感心されていたかも知れないが、
着色されていない「沢庵漬け」は、くすんだクリーム色であり、
とにかく味は塩っ辛かった。
塩分控えめという、当時の世の流れに、
アカンベーしているような婆さんの「沢庵漬け」は、
市販品のようにポリポリという軽快な歯ごたえではなく、
ゴリッゴリッという、なんとも無骨な歯ごたえであった。
子供時代の自分は、この婆さんの「沢庵漬け」と、
市販の沢庵漬けを両方、食べていたのである。

「沢庵漬け」が、
江戸時代初期の禅僧・沢庵からきていることは
良く知られていることだ。
沢庵宗彭は、安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した
臨済宗の禅僧である。
その時代を舞台にした時代小説などに、良く登場している。
吉川英治の「宮本武蔵」においても、
武蔵を諭す、重要なキャラクターとして登場しているが、
実際には、沢庵と武蔵の間に繋がりがあったのかは不明である。
「沢庵漬け」は、この沢庵が考案したといわれているが、
それ以前に、禅寺の保存食としての
「蓄え漬け」なる漬け物があり、
「沢庵漬け」は、これが変じたものだともいわれる。
「蓄え漬け」が変じた、ということになれば、
恐らく、これよりずっと昔から、
禅寺で作られ続けて来たものだろう。
ある時、徳川家光がこの「蓄え漬け」を食べ、
その風味豊かなことを賞賛して、
「以後、これを沢庵漬けと呼ぶべし」と
名付けたという。
18世紀には、江戸だけでなく、京都や九州などでも
食べられていたということから、
家光の命名以降に広まっていったという考え方も
できなくはないが、
大根の手軽な保存方法である「漬け物」が、
各地で全く作られていなかったとは、考えにくい。
全く同じものではないにせよ、
似たようなものは、
各地で作られていたのではないだろうか?
それまで、特に名前のついていなかった「大根の漬け物」に、
江戸で命名された「沢庵漬け」という名前が、
定着していったと考える方が、より自然ではないかと思う。
その証拠というわけでもないが、
日本各地には様々な地方色のある「沢庵漬け」が存在している。

さて、うちにはまだ、婆さんの使っていた漬け物樽が
いくつか残っている。
これを使えば、あの婆さんの「沢庵漬け」を再現することも、
そう難しいことではあるまい。
難しいことではないが、作ってみようとは思わない。

婆さんの「沢庵漬け」とは、そういう味であった。

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