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ポン菓子

更新日:

自分がまだ子供だったころ、定期的に「ポン菓子」屋が
巡回して来ていた。

どれくらいの頻度でやって来ていたのかまでは、覚えていないのだが、
自分が物心ついたころから、小学校の低学年くらいのころまで、
地区の神社の境内にやってきては、そこで「ポン菓子」を作っていた。
小学校の高学年ごろになると、もうやってこなかったので、
自分自身、それほど鮮明に記憶が残っているわけではない。
ただ、「ポン菓子」屋がやってくると、地区放送が入り、
神社の境内で「ポン菓子」をやっていることを知らせてくれた。
この放送が入ると、「ポン菓子」が欲しい人は神社まで出向いていく。
この「ポン菓子」の変わっている所は、
その原材料であるコメを、お客が用意していくことである。
コメを袋に入れて持っていくと、「ポン菓子」屋のおじさんは
それを何やらいかつい機械の中に放り込んで、加工を始める。
記憶は曖昧なのだが、何やらくるくる回っていた様な気がする。
しばらく機械を回した後、オジサンが機械を叩くと「ポンッ!」という
大きな音がして、「ポン菓子」の出来上がりとなる。
おじさんは出来上がった「ポン菓子」を、
こちらが持参した袋の中に入れてくれる。
皆が持参していたのは、大体、スーパーで配布されている
ナイロン製の買い物袋だったが、
大量に「ポン菓子」を作ってもらっている人の中には、
大きなゴミ袋を持って来ていて、
それに大量の「ポン菓子」を入れてもらっていた。

ここら辺、わりと記憶が曖昧なのは、
自分自身がお金とコメを持参して、「ポン菓子」を買っていたわけでは
ないからである。
大方は、母親がコメと料金を持って「ポン菓子」を作ってもらいに行き、
出来上がったものをおやつとして、子供たちに出してくれていた。
これに同行したこと自体があまり無かったので、
「ポン菓子」についての記憶は、曖昧になのである。
ひょっとすると、「ポン菓子」屋がやって来ていたのは、
子供たちが幼稚園や学校へ行っていた時間帯だったため、
ほとんど目にすることが無かったのかもしれない。
数少ない自分の記憶の中でも、「ポン菓子」を買いに来ていたのは
主婦や老人が多かった様な気がする。
恐らくはその当時から、「ポン菓子」は古い文化になっていたのだろう。

この「ポン菓子」の味についてだが、
それほどウマいものでは無かった気がする。
いや、こういう風に書くと誤解を産むかもしれないのだが、
すでに自分が子供のころといえば、スーパーなどで
チョコやスナック菓子が大量に出回っていたころである。
子供たちはそういったメーカー製のお菓子に夢中であり、
どこか古くさい感じの「ポン菓子」には、あまり魅力を感じなかった。
ほんのりと甘い、サクサクとした「ポン菓子」は、
パラパラとしていて食べ辛かった記憶がある。
特に香料や色素などを使っていたわけでもなく、
色もコメそのままのものだったし、味も砂糖のそれだけであった。
(まあ、実際にはコメ自体の持っている
 甘さもあったのかもしれないが……)
ただ、この「ポン菓子」の優れていた点は、
兎に角、量が多かったという点である。
先に書いた通り、ほとんどの人はこれを
スーパーの買い物袋一杯に作ってもらっていたし、
中には大きなゴミ袋一杯に、作ってもらっている人もいた。
これは尋常ではない量だ。
スーパーの買い物袋一杯に入っているためか、
この「ポン菓子」に関しては、母親はわりと気前よく食べさせてくれた。
ただ、食べる側からしてみれば、パラパラとしていて食べにくいのに加え、
かなりの薄味、しかも腹にたまる感じがないので、
それほどこれを大量に食べるということはなかったようである。

「ポン菓子」は、コメなどの穀物に圧力をかけた後、
これを一気に解放することによって膨らませた、お菓子のことである。
一般的には「ポン菓子」という名前で通っているが、
それ以外にも「ドン菓子」、「ポンポン菓子」、「パンパン菓子」、
「パンパンまめ」、「ポン」、「ドン」、「バクダン」、
「こめはぜ」などと呼ばれており、実際には地方によって
これ以上に様々な名前で呼ばれているようである。

「ポン菓子」は、コメを使って作られており、かつ、
日本でもわりと古く(といっても、自分などの感覚であるが……)から
食べられていた様なので、ついつい日本で生まれた、
日本独自のお菓子の様に錯覚してしまいそうになるのだが、
実はこれは、日本で生まれたお菓子ではない。
「ポン菓子」が生まれたのは、20世紀始めの1901年、
アメリカ合衆国でのことである。
ミネソタ大学の研究者だったアンダーソンなる人物が、
実験中の失敗からコメが膨化することを発見。
彼はこの技術で特許を取得し、クエイカーオーツ社と手を組んで、
様々なものが膨らむかどうかの実験を行なった。
その後、コメの「ポン菓子」を「パフライス」という名前で商品化。
セントルイス万国博覧会出品されて注目を集め、
たちまち大人気商品となった。
日本では、大正時代から昭和中期ごろまで、
定番のお菓子として人気を得た。
恐らくは、アメリカで「ポン菓子」が発明されてから、
ほとんど間をおくこともなく、日本へ持ち込まれたものだと考えられる。
(同様に、古くから日本の夜店などで販売されていた
 綿飴りんご飴なども、アメリカで発明された後に
 日本へ持ち込まれている。
 存外、食文化的な視点で見れば、日本のそれは
 アメリカに強く影響を受けているのである)
現在では、お菓子としてのみ知られている「ポン菓子」であるが、
かつてはこれを固めたものが、携帯用の糧食として陸軍で用いられていた。

現在では、冒頭で書いた様な「ポン菓子」屋が
やって来ることもなくなったが、スーパーなどでは
袋詰めされた「ポン菓子」が販売されている。
昔、自分が食べていた様なパラパラのものばかりでなく、
粒に水飴などをからめて「おこし」の様に固めたものや、
表面をチョコレートでコーティングしたものなどがある。
(ちなみに大麦の「ポン菓子」に、チョコレートを
 コーティングしたものは「麦チョコ」の名前で販売されている)
ヨーロッパなどでは、マシュマロでコーティングされたり、
そのままのものをシリアルとして食べるのが、一般的な様である。

時代的に考えれば、自分が子供のころに
やってきていた「ポン菓子」屋は、
まさに最後の生き残りといっていい存在だったのだろう。
そのころの自分がそうだったように、当時の子供たちは
大メーカーが大量生産し、大々的に広告を打っているお菓子に夢中で、
「ポン菓子」の様な古くからのお菓子は時代遅れとして、
だんだん食べなくなっていたからだ。

それも時代の流れと言ってしまえば、それだけなのだが、
やはりひとつの文化が消えていく場に立ち会うというのは、
寂しいものである。

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