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綿菓子

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祭りには、様々な屋台が出ている。

お面、くじ引き、射的などの「お遊び」的なものや、
金魚すくい、ひよこすくい、うなぎ釣りなどの
「動物」を扱ったもの、
そして屋台の中でもっとも種類が多いのが、
たこ焼き、鯛焼き、イカ焼き、お好み焼き、
りんご飴、クレープ、フライドポテトなどの
「食べ物」系の屋台である。

子供のころは「お遊び」的なものや、
「動物」系の屋台で遊ぶことが多かったが、
これらの屋台は、年齢が上がると疎遠になっていった。
こういう風に言ってしまえばアレだが、
所詮は子供だまし的な要素のある屋台なので、
大抵の人は、年齢を重ねると、
これらの屋台では遊ばなくなるだろう。
「お遊び」系や「動物」系の屋台で遊ばなくなると、
必然的にそれまで「そこ」に流れていた財力が、
「食べ物」系の屋台に注がれることになる。
ガッツリとしたものを食べたい場合は、
焼きそばやお好み焼きなどの、いわゆる「粉もん」を食べ、
祭り独特のスイーツを食べたい場合は、
クレープや鯛焼き、りんご飴やチョコバナナを食べることになる。

だが、この「食べ物」系の屋台でも、
ある程度の年齢を重ねると、手を出しにくいものが出てくる。
「粉もん」や鯛焼き、ベビーカステラなどは、
いくつになっても気軽に買うことが出来るが、
クレープなどは、いい歳したオッサンが注文する場合、
やや腰が引けてしまう。
りんご飴やチョコバナナなどは、さらに腰が引ける。
「綿菓子」となると、もうどうしようもない。
いい歳したオッサンも、たまには郷愁を感じながら
綿菓子にかじりついてみたいなと、思うこともあるのだが、
アニメキャラが印刷された、
カラフルなビニール袋に入った「綿菓子」は、
強烈に「大人」を拒否する空気を漂わせている。
かくして「綿菓子」を食べたいオッサンどもは、
涙をのんで、綿菓子屋の前を通り過ぎることになる。

「綿菓子」とは、溶融した砂糖を細い糸状に加工し、
これを割り箸などでかき集め、綿状にしたものである。
英語では「コットン・キャンディ」と呼ばれる。
そのまま「綿菓子」である。
「綿菓子」を表す言葉に「綿飴」というのもあるが、
一般的には西日本では「綿菓子」、
東日本では「綿飴」と呼ばれているようである。
先に書いたように、原料として使われるのは砂糖のみで、
もっとも良く使われているのは、ザラメである。
ザラメは、作製時にカラメルを加えてあるため、
独特の風味を持ち、色もわずかに黄色みを帯びている。
この風味が、ザラメを「綿菓子」に加工した際、
独特の甘い香りをもたらしているようだ。
また、ザラメは融点が低く、
機械の穴の目詰まりを起こしにくいというのも、
良く使われる理由の1つである。
最近では色のついた「綿菓子」を作るための、
色付きのザラメも販売されている。
フワフワとした綿状を保っているが、
ものが砂糖で出来ているだけに、湿気には弱く、
これを防ぐ意味で、ポリエチレンの袋に入れて販売される。
買って帰った「綿菓子」を一晩放置しておくと、
ペシャンコになってしまうが、
これも「綿菓子」が空気中の水分を吸って、
縮んでしまったためである。
また、振動などにも弱く、振動を与えると固まってしまう。
基本的には、作ってから時間を置かずに食べるお菓子である。

日本の祭り屋台で頻繁に目にすることから、
「綿菓子」を日本古来のお菓子だと
思っている人もいるかも知れないが、
実は日本生まれのお菓子ではない。
現在、「綿菓子」は、完全に機械製造されているが、
世界で最初に電動綿菓子製造機を製作したのは、
アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルの、菓子製造業者である。
1897年に製作されたこの綿菓子製造機を使い、
1904年のセントルイス博覧会において綿菓子を販売した所、
1箱25セントで、なんと68655箱も売れたという。
このときの商品名が「Fairy Floss」。
日本語に直訳すれば「妖精の綿」となる。
なんともメルヘンチックな商品名である。
しかし、ここで1つ注意しなければならない。
ここで述べているのは、あくまでも
世界最初の電動綿菓子製造機が作られたことであり、
「綿菓子」そのものが初めて作られた、というわけではない。
ひょっとすると、これ以前にも「綿菓子」は、
別の方法で作られていたのかも知れない。
(機械を使う方法以外で、きれいな綿状にするために、
 どういう方法をとればいいのかは、思いつかないが……)
調べてみると、
18世紀のヨーロッパで食べられていたという話や、
17世紀のイタリアで発明されたという話、
トルコが発祥であるという話など、
その起源には様々な説がある。
これらの話に出てくる「綿菓子」が、
どれほどの「綿」らしさを持っていたのかはわからないが、
少なくとも機械で作り出されるものほどの品質はなかっただろう。
マンガ「ミスター味っ子」のケーキ対決のエピソードで、
味っ子が溶かした砂糖と、先を切断した泡立て器を使い、
飴糸で花を作るシーンがあるが、
これに近いものだったのかもしれない。
いずれにしても、現在食べられているような
高品質な「綿菓子」は、機械製造できるようになった
1897年以降のものと考えていいようだ。

日本には、この後すぐに綿飴製造機が持ち込まれたらしく、
大正時代には各地に広まり、
縁日でも見かけられるようになった。
つまり、日本での「綿菓子」の歴史は、
明治時代後半以降ということになる……、はずなのだが、
ひとつ、これを覆すような資料がある。
それが1777年に書かれた
「洒落本・中洲雀(なかずすずめ)」である。
この中に、
「商人居並びて通り狭く、煮売、煮魚、綿飴、玉子焼、
 胡麻揚、西瓜の立売……」
と、書かれているのである。
少なくとも、1777年の江戸時代後半には、
「綿飴」と名乗る菓子(?)が、
立ち売りにて販売されていたのである。
この「綿飴」が、現在の「綿菓子」と
同じものかどうかはわからないが、
言葉から考えれば、飴を綿状に加工したものである可能性は高い。
当時の日本では「飴細工」職人が存在しており、
その細工の1つとして、
「綿」状に加工するものがあったのかも知れない。
ただ他の細工と違い、「綿」状の細工では、
形状を長く留めておくのが難しい他、
その形に特別な華やかさもない。
ひょっとしたら、技術力の足りない飴細工職人が行き着く所が、
「綿飴」だったのかもしれない。
ただ、どちらにしても、ここに書かれている「綿飴」は、
現在の「綿菓子」のルーツでないことは、確かである。

白くふわふわで、幼い日の郷愁を誘う「綿菓子」。
口の中に入れれば、じわじわと溶けていく「綿菓子」。
いくらかちぎって、手で握り込んでいけば、
カチカチの砂糖の固まりになる「綿菓子」。
いざ食べてみれば、ただ砂糖の味しかしない「綿菓子」。

そんな「綿菓子」の歴史は、
意外に国際的な「謎」に包まれている。

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