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もやし

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今年の3月ごろ、こんなニュースが出て話題を集めた。

『もやし業界 窮状を訴え 度を超す特売 早急に歯止め』

全国のもやし生産者の集まりである、もやし生産者協会が
「もやし生産者の窮状について」という文書を発表した。
高騰し続ける生産コストに対し、もやしの販売価格は上がっていかず、
そのしわ寄せが、もやし生産者へ押し寄せているというのだ。
生産者の廃業も相次ぎ、2009年時点では
全国に230社以上あったもやし生産者は、100社以上廃業し、
現状では130社を下回っている状況だという。
ここ10年足らずの間に、全体の40%以上の生産者が
廃業しているというのだから、これは異様なペースといっていい。

もやしは、スーパーの青果売り場で扱われている野菜の中では、
もっとも安価なものであるといっていいだろう。
平均的な値段帯は、一袋20〜50円ほどで、
中にはこの価格を下回っている様な店もある。
もやしの商品棚の近くには、同じように袋詰めされた
カット野菜などが販売されているが、
こちらの方は、最低でも一袋100円ほどの価格で販売されている。
同じ袋入りの野菜であっても、もやしだけが格段に安い。

天候不順などによって、他の露地物の野菜が
軒並み高騰する様な状況であっても、
もやしだけは常に低価格を維持している。
これはもやしが屋内生産されているため、
天候の影響を全く受けないからだ。
そのため、野菜全般が価格高騰した場合などは、
TVの情報番組などに節約のプロフェッショナルなどという
怪しい人間が登場し、したり顔でもやし料理を紹介している。
他の野菜が買えない様なときでも、
もやしさえ食べておけば大丈夫というつもりだろうか?
そういう意味では、もやしは我々の食生活の野菜部門において、
その最低限のラインをしっかりと保守する野菜であるといっていい。
食生活野菜部門のセーフティネットを担っているともいえる。
そんなもやしが、今、存続の危機に立たされているという。

「もやし」は、主に穀類、豆類の種子を人為的に発芽させたものだ。
その他にも、大根のタネが発芽した貝割れ大根、
ブロッコリーが発芽したブロッコリースプラウト、
エンドウを発芽させた豆苗なども、広義の意味では
「もやし」ということになる。
現在の日本で、「もやし」として広く認識されているものは、
緑豆、ブラックマッペ、大豆などの豆類を発芽させたものであり、
その中でも、緑豆を使った「緑豆もやし」が、
国内の「もやし」の約9割を占めている。

先にも書いた通り、「もやし」は屋外の土の畑ではなく、
屋内の光を遮断した容器の中で栽培される。
種子である豆類を洗浄し、表面殺菌処理を施した後、
発芽を促進するため、一定時間、温水に漬け込まれる。
それが終わったら温水を抜き、暗室の中で栽培が始められる。
栽培期間中は、あらかじめ設定されたプログラム通りに水やり、
温度調整などが行なわれる。
これらの制御にはコンピューターが導入され、
年中無休・24時間体制で栽培は進められる。
(もちろん、コンピューター管理ではなく、昔ながらに
 人間の手によって栽培されている「もやし」もある)
こうして栽培されること1週間ほどで、
豆類は、我々のよく見知ったあの「もやし」へと変貌を遂げるのである。
しっかりと育った「もやし」は、大量の水で洗浄され、
種子のカラなどが取り除かれた後、水分を除去される。
この後、一定量ごとに袋詰めされ、冷蔵された状態で
各小売店へと出荷されていくのである。
周知の通り、「もやし」はアシが(傷むのが)早い。
そのため、洗浄・水切り・袋詰めは手早く、
さらに「もやし」本体を傷つけない様、
細心の注意をもって行なわれている。

現在では、すっかりお馴染みの野菜になってしまった「もやし」だが、
日本では、一体、いつごろから食べられていたのだろうか?
「もやし」が、日本の文献上、初めて登場するのは、
平安時代に書かれた「本草和名」(901〜923年ごろ?)である。
この中に「毛也之(もやし)」として紹介されている。
「本草和名」は、薬草について書かれた本なので、
「もやし」もまた、薬草の1つとして捉えられていたということになる。
1300年代、南北朝の時代になると、
楠木正成が千早城や赤坂城に篭城した際、
兵に「豆の芽」を食べさせ、敵の重囲に耐えたといわれている。
明らかにこの使い方は、「薬」ではなく「食料」である。
豆を発芽させると、豆のときにはなかった
栄養が作られることを知っており、わざとそうさせたものか、
あるいは、たまたま水を吸うなりしてしまった豆が発芽したものを、
もったいないからと食べさせたものかは分からないが、
新鮮な野菜が手に入りにくい篭城戦において、
この「もやし」は、貴重なビタミン源だったのではないだろうか?
江戸時代に書かれた百科事典「和漢三才図絵」の中にも、
黒豆から「もやし」を作ることが記されている。
長さが5寸ほどになった所で乾燥させ、
よく煎って服用すると、痺れや膝の痛み、筋のひきつりなどに効くと
書かれている。
これは明らかに、「薬」としての使用である。
ただ江戸末期、富山藩ではモヤシ物は奢侈(身分を越えた贅沢)に
つながるものとして、売りさばきが禁じられている。
奢侈ということは、富山藩では「もやし」は「薬」ではなく
「食品」として見なされていたということだろう。
現在ではもっとも安価で、庶民の味方と思われている「もやし」が
贅沢品として禁じられていたというのは、なんともおかしな感じだ。
恐らく、このころまでは、「もやし」は様々な健康効果のある
ちょっと贅沢目の薬効食品くらいの認識だったのかも知れない。
現在の様な、完全な食品としての「もやし」が出回るようになったのは、
江戸時代もほぼ末期になってからのことである。
そのころ、長崎に漂着した異人から「豆萌(もやし)」の作り方を
教えられ、それが日本中に広まっていった。
この異人から伝えられた「もやし」は、これを天下の珍味として
将軍に献上されたという話も残っている。
そこまで、異人の伝えた「もやし」がウマかったのか、
あるいは、それまでの薬効食品「もやし」がまずかったのか?
ただ、それまでの「もやし」も、奢侈に繋がるとされた所を見ると、
それなりにはウマかったのだと考えられる。

さて今回、もやし生産者協会が文書を発表するほど
苦しい立場に追い込まれたもやし生産者たち。
彼らの言い分では、せめて小売店では40円で販売してほしいという。
なんとささやかな値段であろうか。
一袋40円にした所で、相変わらず、スーパーの青果売り場では
もっとも安価な商品のままではないか。

にも関わらず、小売店の中には、
相変わらず安売りを続けている所もあるという。
と、いうのも「もやし」の値段(安さ)というのは、
各小売店の値段の指針になっている面があるため、
ライバル店との競争上の理由で、安易に値上げできないのだという。
しかし、もやし生産者がドンドン廃業していっている現在、
「もやし」を値上げしない小売店には、次第に「もやし」は
回らなくなっていくだろう。
どこのスーパーの青果売り場でも、
安価な「もやし」は売上数でトップを争う人気商品だ。
下手に安売りにこだわって、これを失ってしまっては、
小売店にとっても、大きなダメージになるに違いない。

そんなハメに陥らぬよう、「もやし」を40円まで値上げすることを、
各小売店に強く求めたい。

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