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七草粥

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今年のお正月は、例年に比べ、少々豪華であった。

どこがどう豪華だったのかといえば、
今年のお正月には、例年にない「おせち」が、
3が日の食卓に上った。
もちろん、前回、前々回で触れたように、
今年、我が家の食卓に上った「おせち」は、
大晦日に自分が急遽こしらえたもので、
3段のお重の中に、3種類の料理が入っているだけという、
極めてシンプルなものであった。
そう、「煮染め」「唐揚げ」「肉団子」の入った、
全体が茶色く、友人に「それは「おせち」ではない」といわしめた、
あの「おせち」である。
この「おせち」は、自分の食生活の中では、異色のものだった、
どこがどう異色だったのかといえば、
普段、「大根飯」を中心とした、
ほぼ野菜オンリーの食生活をしている自分にとって、
かなり大量の肉類を、摂取することになったからである。

さらに、この年末年始、
ちょっと変わった大根料理(?)ということで、
大量の大根おろしを使った、「みぞれ鍋」を決行した。
これは、鍋の底にブツ切りの鶏肉と肉団子を敷き詰め、
その上にたっぷりの大根おろしをぶっかけて、煮込んだものである。
大根おろしがスープの役割をしていると考えれば、
肉類しか入っていないという、栄養バランスの崩壊した鍋である。
この「みぞれ鍋」でも、
普段の生活では考えられないほど大量の肉類を
摂取することになった。
これまた、普段の野菜オンリーの食生活からしてみれば、
随分とベクトルの違う食事をしていたことになる。

この年末年始、これだけ偏った食生活をしていながらも、
幸いなことに腹を壊したり、
胃がもたれたり、などということは起こらなかったのだが、
普段、食べ慣れていない肉類を
わずか数日でタップリと摂取したわけだから、
全く自覚していなくても、消化器系に
結構な負担をかけてしまっているのではないかと、心配になった。
そういう心配をしているうちに思いついたのが、「七草粥」である。
年末年始に御馳走をたらふく食べて、疲れ切っているお腹のために、
春の七草を炊き込んだお粥を食べて、疲れを癒そうというアレである。
お正月でも、普段と変わらない食生活を送っていた例年までとは違い、
今年は随分と重い(?)ものをたくさん食べてしまった。
ここは先人たちに習って、
「七草粥」を食べるべきではないのだろうか?と、いうことを、
1月8日に思いついた。
……。
すでに世間的には、「七草粥」の時期を過ぎてしまっているのだが、
まあ、せっかく思いついたのだからと、
お粥を作り始めることとなった。

「七草粥」とは、人日の節句(1月7日)の朝に食べられる
日本の行事食である。
「七草」という言葉に関して、百科事典には
「七種の草のことで、春と秋の七草がある。
 前者は粥の中に入れて食べ、後者は花を見て楽しむが、
 単に七草といえば、前者を指すことが多い」
とある。
春の七草といえば、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、
スズナ、スズシロ、というのが決まりのように考えられているが、
実はこの七草は、時代によってその面子が異なっている。
先の百科事典の記述によれば、
「現在では、なんでも七種あれば良いことになっている」
と、かなり大胆なことが書かれており、
実際、地方によっては、七草の種類や数、あるいは調理方法などが、
全く違ってしまっているような例も多い。
「七草」といいつつも、7つないものなどはまだいい方で、
普通のお粥に、七草を炊いた汁物を添えたり、
全く普通のみそ汁や豚汁のようなものであったり、
菜っ葉類ではなく、豆などの穀類を炊き込んだもの、
餅を入れたお粥、あるいはお正月と同じく
お雑煮を食べたりする所もある。
小豆を使ったものでは、砂糖で味付けした汁の中に
餅を入れたものや、さらには炊いた小豆の汁だけのものなど、
ごく普通のお汁粉と、変わらないものを食べている所もある。
さらには、ブリなどの魚や、
ウサギ肉などの獣肉を用いているものもあり、
これらには「疲れたお腹を休ませる」という、
「七草粥」本来の思想でさえ、残っていないように思われる。
これらの様々な地方性を見てみると、百科事典の編者が
「七種あれば、なんでもいい」と言いたくなった気持ちも、
わからなくはない。

この「七草粥」が、いつごろから行なわれていたのかは、
はっきりとはしていない。
「御伽草子」の「七草草子」には、
この春の七草についての説話が掲載されており、
それによると、中国は唐の時代にセリ・ナズナ〜の「七草」が
神(帝釈天)のお告げとして示された、とあるのだが、
実際には、セリ・ナズナ〜の「七草」が定番になったのは、
鎌倉時代に四辻善成が
「せりなずな、ごぎょうはこべら、ほとけのざ、
 すずなすずしろ、これぞ七草」
と詠んだことが、そのきっかけになっているので、
「七草草子」の説話には、時代的な矛盾が生じてしまっている。
ただ、四辻善成以前にも、七種の穀物(米・麦・あわ・きび・ひえ・
ごま・小豆)を炊き込んだ雑穀粥が食べられていたようなので、
こちらにまつわる話と、日本の「七草」が、
時代の流れの中で、融合されてしまったのではないだろうか?
「人日の節句」が庶民の間にも一般的になり、
広く「七草粥」が食べられるようになったのは、
江戸時代になってからのことになるのだが、
江戸時代には現在のような「おせち」を食べる習慣は無く、
あっても根菜を中心にした「煮染め」程度のものだったので、
そうそう、腹に負担がかかる料理とは思えない。
ただ、お正月ということで、「煮染め」にせよ、酒にせよ、
羽目を外して、大食・鯨飲したことは考えられるので、
「七草粥」は、それによって調子を崩した江戸庶民の、
一種の養生食のようなものだったのだろう。
平安時代にはすでに、この「七草粥(上記の雑穀粥)」が
食べられていたようなので、
恐らくは奈良時代から平安時代初期にかけて、
中国(唐)に渡った遣唐使や学僧などによって、
日本へ持ち込まれたものだと考えられる。

さて、改めて調べてみて分かったことは、
「おせち」にせよ、「七草粥」にせよ、
我々が普通に思っているほどには、
形式張った定義のようなものは無く、
わりと好き勝手に作っても構わないということである。
そういう流儀でいくのであれば、1日や2日ずれて
「七草粥」を食べても、問題は無いだろう。

1月7日以前ならば、スーパーに行けば
セリ・ナズナ〜の七草を集めた、「七草粥」用の商品があるのだが、
今回は、7日を過ぎてしまっているため、もうどこにも残っていない。
自分の住むたつの市は田舎なので、
そこらの草むらなどを探してみれば、「七草」は揃うだろうが、
それはそれで、結構手間である。
我が家の庭に生えているのならともかく、
そうでない以上、適当にこちらで七草を変更し、
「七草粥」を作り上げた。
といっても、特に変わった材料を選んだわけでもなく、
我が家に有り余っている大根と大根葉を細かく刻み、
普通の白粥に混ぜ込んだだけである。
手抜きなこと、この上ないが、見た目では
七種類入っているのかどうか、全く判別が出来ない。
「七草粥」ならぬ「一草粥」である。
「七草粥」もそうだが、取り立てて騒ぐほど美味しいものでもなく、
所詮は菜っ葉の入ったお粥である。

ただ、胃に優しそうな味ではあった。

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