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カボチャ

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先日、雨の中、ゴミを捨てに
ゴミステーションへ向かっていると、
道端の畑から、道の上へと
1本のツルが伸びているのが目に入った。

ツルは太く、生命力に溢れている。
大きく、頑丈そうな葉がついていて、
その間に大きな黄色い花が見えた。
歩きながら、そちらに目をやってみると、
握りこぶしよりもやや大きいカボチャが、雨に濡れていた。
鬱陶しい梅雨の雨の中にあって、
カボチャは実に生命力に溢れて見えた。

よく、「女性はカボチャを好む」という。
この手のものには眉唾なものも多いのだが、
我が家に限って言う限り、これは真実だった。
婆さん、母親、妹と、それぞれがカボチャを好むのに対し、
自分、父親、弟は、カボチャを全く好まなかった。
婆さんがカボチャを作っていたために、
我が家の食卓には、良くカボチャが上がっていたが、
これを喜んで食べるのは女性陣で、
きな臭い顔をして、形だけ箸を付けるのが男たちだった。
マズかったのか?と聞かれれば、
決してそんなことはなかったと思う。
ホクホクに煮上げられたカボチャは、柔らかく、
また、甘さも上々であった。
それのどこが気に入らなかったのか?というと、
まさしく、その「甘さ」こそが好きになれなかった。
ご飯のおかずというのには、少々甘さが勝りすぎていた。
どうしてもその「甘さ」がご飯に合うとは思えず、
苦手意識を持ってしまった。
自分の見ている限り、父親も弟も、
同じことを感じているようだった。
だが面白いことに、婆さんも母親も妹も、
男性陣の苦手なその「甘さ」を、
美味しいと感じているようであった。
甘いカボチャをおかずに、平気でご飯を食べていた。
これが男女の嗜好の「差」であろうか?
それから随分、時間はたったが、
相変わらず、カボチャの煮物をおかずにご飯を食べるのは苦手で、
カボチャの煮物は、なるべくそのままで食べるようにしている。

カボチャは、ウリ科カボチャ属に属する植物の総称だ。
この植物の果実を、そう呼ぶこともある。
春に種を播き、夏から秋にかけて収穫する。
野菜の中でも特に丈夫な種で、
こぼれタネからでさえ発芽することがある。
栽培も実に簡単で、種を播くか、苗を植え付けた後は
何もしなくても良い。
農薬を撒くようなこともする必要はなく、
無農薬栽培も簡単にできる。
まるで雑草のような強さである。
その強さを利用するために、
キュウリやメロンの接ぎ木の台としても使用されるほどだ。
収穫できる果実もゴツゴツとして硬く、
鉈でなければ割れないということで
「ナタ割りカボチャ」と呼ばれている品種もある。
収穫後、すぐに食べるよりも、
しばらく置いた方が加熟され、甘味が増す。
収穫後1ヶ月ほど置いたものが、もっとも食べごろとされる。
常温でも長期間の保存が可能で、
秋の収穫後、年末まで置いておくことも出来る。

カボチャの原産地については、エジプト、ペルー、アンゴラ、
南アジアなど、様々な説があったが、
最近の研究によって、中南米が原産地であるというのが、
有力視されている。
中南米に栄えた、古代アステカ・インカ・マヤなどの
遺跡のある地層から、カボチャのタネが発見され、
彼らがかつて、カボチャのタネを食べていたことが
明らかになった。
……。
え?タネ?カボチャそのものじゃないの?
そう思われるかも知れない。
どうも当時のカボチャは苦みが強く、
食用にはされていなかったようだ。
また、土器を作る技術のなかった時代には、
ペポカボチャと呼ばれるものの中で、
特に外皮の硬い品種の中身をくりぬき、
器としても使われていた。
やがて、突然変異によって「甘い」カボチャが誕生し、
これを見つけた原住民が栽培種へと作り替え、
次第に発展していったのである。

日本にカボチャが伝わったのは、1541年のことである。
大分に漂着したポルトガル船が、
豊後国の大名・大友宗麟に献上したのが、最初とされている。
このとき、「カンボジア」という言葉が「かぼちゃ」へと変じた。
カンボジアはタイの東に位置する、東南アジアの一国家だが、
どうしてこの野菜に、カンボジアの名前がついたのかは不明だ。
ただ、この時漂着したポルトガル人は、
カンボジアから「カボチャ」を持ち込んだということなので、
「カボチャ」の名前と出身地が、
混同されてしまったのかも知れない。
この無骨で、凸凹した野菜に、
一国の名前が付けられてしまった辺り、
当時の通訳の困難さが、ありありと感じられる。
このとき、日本に持ち込まれたカボチャを
「日本カボチャ」あるいは、「宗麟カボチャ」という。
明らかな外国野菜であるのに、
「日本カボチャ」とは意味不明だが、
明治時代になって、今日もっとも流通している「西洋カボチャ」が
持ち込まれるまでは、日本でただ一種のカボチャであった。
ただ、この「日本カボチャ」、「西洋カボチャ」に比べると
甘味も少なく、「西洋カボチャ」が持ち込まれてからは、
次第にそちらにシェアを奪われていく。
現在では、ほとんど誰も栽培していなかったのだが、
わずかながら福岡県で、
「日本カボチャ」を作り続けている農家が見つかった。
これを新たな特産品とすべく、
名付けられたのが、大友宗麟から名前を取った
「宗麟カボチャ」である。
この「宗麟カボチャ」も「日本カボチャ」なので、甘味は少なく、
人気も今ひとつなのだが、
大分県では、この再発見された「宗麟カボチャ」を、
全国へ売り込んでいこうと考えているようだ。

ここまで「日本カボチャ」「西洋カボチャ」と、
2種類のカボチャについて書いてきたが、
カボチャを大きく分類した場合、もうひとつ
「ペポカボチャ」というものが存在する。
色や形のバリエーションが豊富で、
食用・観賞用両方に用いられている。
イタリア料理で使われるズッキーニや、
ハロウィンで使うお化けカボチャも、
この「ペポカボチャ」である。
「日本カボチャ」「西洋カボチャ」「ペポカボチャ」と、
カボチャは3種類に大別されるが、
現在、日本で流通しているものの90%以上は、
「西洋カボチャ」である。

さて、かつてはあれほど苦手意識を持っていた「カボチャ」だが、
大人になると、それほど強い抵抗感を示すこともなくなった。
甘く炊き上げられたカボチャの煮物は、
相変わらずご飯のおかずとしては、いまいちだと思うが、
だからといって、全く食べられないわけではない。
それどころか、パンプキンパイや、パンプキンプティングなど、
「カボチャ」を使ったお菓子については、
嬉々として、これを食べる大人になってしまった。

味覚の変化というのは、本当に面白いものである。

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