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ウシガエル

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先日、季節外れ台風が、日本列島の南の海上を通過した。
その影響か、日本列島の各地では、
まだ5月の半ばだというのに、
気温30度を超える「真夏日」を記録した所も多かった。

この時期、夜中に窓を開けていると、
カエルの声が聞こえてくる。
まだ、近隣の水田には水が入っていないので、
うるさいほどの大合唱、ということは無いのだが、
それでも用水路の方向からは、
ケロケロとカエルの鳴き声が聞こえてくる。

そんな中、1つだけ趣の違うカエルの鳴き声が、聞こえてくる。
「ブォー、ブォー」と可愛げの欠片も無い
重低音のサウンドが響く。
どうやら、うちから100mほど離れた池から
聞こえてくるようなのだが、
この鳴き声は、音は低いとはいえ、なかなかの大きさで、
サッシ窓を閉めていてさえ、耳に入ってくる。
普通のカエルの鳴き声とは、その鳴き方が違いすぎるので、
そのことを知らない人が聞けば、
一体、何がいるのかと、不気味に感じるかも知れない。
そう、今回はこの不気味な鳴き声の主、
「ウシガエル」について書いていく。

ウシガエルはカエル目アカガエル科アカガエル属に属する
カエルの一種である。
日本では、ほぼ全国的に、その姿を見ることが出来る。
とはいえ、全長11〜18㎝もあるその巨体は、
暗緑色、あるいは褐色で、淡黒色の斑紋があり、
アマガエルなどを見慣れていると、やたら不気味に映る。
わりとズングリとした体系で、スマートさは無く、
肉付きはかなりのもので、
実際、その体重は500〜600gほどもある。
「ショクヨウガエル」とも呼ばれているが、
これは「食用ガエル」のことであり、
読んで字のごとく、食用にされるカエルである。
「食用」という用途からも、
ある程度の肉付きが必要なのだろう。

一見、鈍重そうに見えるが、
その実、かなりの敏捷性を持っており、
日中などは、そのたくましい足の筋肉を生かし、
あっという間に逃げ去ってしまう。
だが、夜中になると比較的おとなしく、
捕獲するのも容易になる。
カエルは変温動物なので、
夜になり気温が下がると、
活発さが失われてしまうのかも知れない。
(ただ、ウシガエルを含むアカガエル科の生物の中には、
 冬、氷の張った水の中で産卵を行なうものもおり、
 どれほど、寒さに弱いのかというのは、はっきりしない)
ウシガエルの繁殖期は6〜7月で、
1回の産卵につき、6000〜40000個の卵を産む。
当然、その卵から生まれてくるオタマジャクシも、
全長10㎝ほどと、他の種のカエルよりも大きい。
このウシガエルのオタマジャクシは、
他のカエル(在来種)のオタマジャクシなどをエサにするため、
生態系に大きな影響を与える。
もちろん、オタマジャクシのみならず、
ウシガエル自身も、他のカエルなどをエサにするため、
環境に深刻な影響を与える。
ヤゴやバッタなどの各種昆虫類、
さらに在来種のカエルなどの両生類、
ネズミなどの小型ほ乳類の他に、
小鳥などを食べることもあるという。
その環境に与える影響から、
「世界の侵略的外来種ワースト100」に選ばれ、
日本でも2006年に、「特定外来生物」に指定されている。

「特定外来生物」に指定されていることから分かるように、
ウシガエルは日本古来の在来種ではない。
大正7年(1918年)に、食用として、
さらには国内農業の救済と、外貨獲得の為の養殖を目的として、
オス12匹、メス12匹の24匹が
アメリカのニューオリンズから持ち込まれた。
水産試験場での養殖実験の後、
各地の養殖場へと子ガエルが配布され、養殖が開始された。
わずか12年後の昭和5年(1930年)には、
なんと52万匹のウシガエルが育てられていた。
恐るべき繁殖力である。
この養殖の際、各地の養殖場から、
かなりの数のウシガエルが逃げ出した。
外来生物による、環境への影響などという意識の
まだ薄い時代である。
各地の養殖場の設備にしても、いい加減なものが多く、
相当数のウシガエルが逃げ出すことになった。

当時、ウシガエルの価格は、
目玉の飛び出るほどの値段で、なんと1匹120円であった。
……。
大した事ないじゃない、などといってはいけない。
ウシガエルの価格が1匹120円だった昭和2年(1927年)、
公務員の月給は70円であった。
ほぼ、2ヶ月分である。
つまり、現在の感覚でいえば、
ウシガエル1匹が、数十万円ほどの価格で
取引されていたことになる。
あの小さな(あくまでも同じ家畜として、
牛や豚に比べての話だが……)カエルの価格がそこまで高額だと、
養殖・畜産というよりは、投資や投機に近い。
だが、本格的にウシガエルの養殖に取り組んだ農家は少なく、
ウシガエルの値段も徐々に下落し始める。
当然、養殖業者たちの管理もいい加減なものになり、
このころに、先に書いた「カエルの逃亡」が
起こったようである。

昭和7年(1932年)には、アメリカへの輸出が始められるが、
間もなく太平洋戦争が勃発し、輸出は中止に。
この太平洋戦争の間に、ほとんどの養殖場は閉鎖してしまい、
そこで飼われていたウシガエルたちは、養殖場から逃げ出し、
日本全国にて野生化していった。
漫画家でエッセイストの東海林さだおが、その著書の中で、
「戦時中にカエルを殺して食べた、ウマかった」
と述べている。
食べたのは足の部分だけで、
「鶏のささみ」のような味がしたという。
このカエルが、ウシガエルだったのかどうかは書かれていないが、
ウシガエルの足も「鶏のささみ」の味がするという。
食料の不足した時代、
仮にも食用と名付けられたウシガエルたちは、
貴重なタンパク源になった可能性もある。
戦後になると、野生のウシガエルを捕獲し、
これを輸出しはじめる。
昭和22年から25年にかけては、
ウシガエルの輸出高は700tにも及び、
ウシガエルは「ドル箱を稼ぐホープ」などとも呼ばれた。
この後、乱獲によってその数を減らしたりしながらも、
ウシガエルの輸出は続き、
昭和44年には967tもの輸出高を記録する。
だが、禍福はあざなえる縄の如し。
この直後に、輸出用の冷凍ウシガエルから農薬が検出され、
アメリカはウシガエルの輸入を禁止してしまう。
以降、輸出量はぐんぐんと減っていき、
平成元年には、ウシガエルの輸出記録は無くなってしまう。
「食用ガエル」としてのウシガエルの歴史は、
ここに絶えたのである。

現在では、「特定外来生物」として、
在来種を食い荒らす、厄介者扱いを受けているウシガエルだが、
彼らも好んで、日本にやってきたわけでない。
かつては重要な輸出品として、
日本に貴重な外貨をもたらしてくれていたのだ。
人々はそんな一面をきれいに忘れ、
環境の敵、不気味な巨大ガエルとしてウシガエルを嫌う。

それを思うと、あの「ブォー、ブォー」という鳴き声が、
なんとも哀切なものに聞こえてくる。

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