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豆腐

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よく、日本は瑞穂の国だ、などと言われる。

瑞穂とは「みずみずしい稲穂」のことで、

田に稲穂が茂っている様子を、表している。

これはいいかえれば、日本は「米の国」であると言っているようなものである。

もちろん、この捉え方は正しい。

確かに日本にとって、「米」というのは特別な意味を持つ。

古くから、日本では税を米で納めていた。

そればかりか領地の規模を、広さではなく米の収穫高で表していた。

石高である。

しかし日本人の食生活において、もっとも多彩な利用をされた穀物は大豆だ。

こと副食加工、という見方をした場合、大豆の使われ方は凄まじい。

今回はそんな大豆の利用法のうちのひとつ、「豆腐」について書いていく。

「とうふ」は「豆が腐る」と書く。

だから字のイメージだけで見ると、大豆を発酵させた食品のように、

思われるかもしれない。

しかし、これは誤りだ。

豆腐には、その製造工程中において、発酵をともなう作業は存在しない。

豆腐は水を含ませた大豆を、すりつぶして豆乳を作り、

それに「にがり」を加えて固めた食品だ。

「にがり」は海水から塩を作る時にできる、副産物だ。

煮詰めた濃い海水の中で、塩は結晶化する。

この塩の結晶を取り除いた後のものが、「にがり」といわれる。

主成分は塩化マグネシウムで、にがりの名前通り、なめると苦い。

この塩化マグネシウムが、豆乳の中のタンパク質を凝固させる。

凝固したら、そのまま、あるいは調理して食べる。

もちろん作り立てのものの方が、新鮮で風味がいい。

ではどうして「豆が腐る」などという字を、あてるようになったのか。

これは中国では「腐」という字は、柔らかく弾力性のあるものを意味したからだ。

日本にはその意味は伝わらず、ただ「腐」という字だけが伝わったため、

このような誤解が生まれたのだ。

先に述べたように、豆腐は中国から日本に伝えられた。

伝えられた時代ははっきりしないが、一説には空海によって伝えられたという説、

他に、鎌倉時代に帰化僧によって伝えられたという説がある。

空海によって伝えられたとすると、時代は平安時代の初期であり、

鎌倉時代とは、400年の時間のひらきがある。

さらに問題がある。

先にも書いたが、豆腐を作るためには「にがり」がいる。

その「にがり」が日本に伝えられたのが、1654年。

黄檗宗をひらいた、隠元によってである。

すくなくとも、にがりを用いた豆腐作りは江戸時代以降のものだろう。

では、隠元が「にがり」を持ち込む前は、一体どうやって豆腐を固めていたのか?

豆腐の生まれた国、中国ではどうだったのか?

中国での豆腐の起源は、8世紀から9世紀であるといわれる。

空海が持ち帰ったという説をとるならば、8世紀ということになるだろう。

中国で豆腐の凝固剤として使われていたのは、石膏だ。

石膏の粉末を水に溶いたものを、凝固剤として使っていた。

主成分は、硫酸カルシウムということになる。

江戸時代までにがりがなかった、というのならば、当然、

本場中国で使われていた、この石膏粉末の凝固剤が使われていたはずである。

しかし、ここにも問題がある。

日本で石膏が利用されはじめたのは、江戸時代だ。

主に医療用に使われたという。

ということは、石膏を利用した豆腐作りもありえない、ということになる。

にがりがダメ、石膏がダメ、では他に何があるのか?

現在、豆腐の凝固剤として使われているのは、塩化マグネシウム、

硫酸カルシウムをのぞけば、グルコノデルタラクトンだ。

しかし、こんな横文字ばかりの物質が、当時の日本にあったのか?

グルコノラクトンは、別名ハチミツ酸とも呼ばれ、蜂蜜に多く含まれている。

まさか蜂蜜で豆腐を?

日本において、蜂蜜の歴史は古い。

「日本書紀」の中で643年に、三輪山で養蜂を試みたことが書かれている。

成功はしなかったようだが、当時、蜂蜜を食べていたのは間違いない。

きっと天然のミツバチの巣から、採取したものだったのだろう。

歴史的条件で考えれば、これ以外、豆腐の凝固剤は考えられない。

しかし、本当に蜂蜜で豆腐を作っていたのだろうか?

にがりが日本に伝えられたのは、たしかに江戸時代の隠元による。

となると、空海が豆腐を伝えたという話も、帰化僧が伝えたという説も、

間違っていて、豆腐は隠元によって伝えられた、と見る方がよいのか?

確かにそういう説もある。

しかし、13、14世紀の文献の中に、豆腐の記述が出てくる以上、

この説の信憑性は低い。

では全く別のもので固めていた可能性は?

胡麻豆腐というものがある。

すりつぶした胡麻を、葛で固めたものだ。

調べてみると、禅僧が鎌倉時代に日本に持ち込んだとある。

豆腐の鎌倉時代伝来説と符合する。

まさか、豆乳を葛で固めた?

ありえなくはないだろう。

よくよく行程を見ると、大豆をすりつぶすのと、

胡麻をすりつぶすのが似ていると、言えなくもない。

同じく卵豆腐というものがある。

しかし日本人が卵を食べるようになったのは、豆腐伝来よりずいぶん後の話だ。

それに凝固方法にしても、卵の性質によるものなので、これは参考にならない。

ここで、あり得る可能性を、書き出してみる。

ひとつ、蜂蜜で豆乳を凝固させ、豆腐を作っていた。

ひとつ、凝固剤としての石膏を、中国から輸入して使っていた。

ひとつ、胡麻豆腐にならい、豆乳を葛を用いて固めていた。

ひとつ、実は江戸時代以前の豆腐は、胡麻豆腐のことだった。

この中では、蜂蜜説がどうも無理があるように思える。

石膏輸入説と、豆乳を葛で固めた説は両方あり得るか?

後に隠元が、安価なにがりを使った凝固法を伝えたため、

そこで豆腐の凝固法の大転換があった、と見る説。

胡麻豆腐が豆腐だった説も、やはり無理があるか?

恐らく、上記の4つの中に、正解はあると思う。

しかし残念ながら、これ以上絞り込むことができなかった。

にがり以前の豆腐を、どうやって固めていたか?

自分が調べた限り、これについて言及している資料はない。

我々が普段、何気なく食している豆腐。

その豆腐には、歴史的に解明されていない謎が、秘められている。

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