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食べ物

茗荷

投稿日:

数年前、家の裏手の草むしりをしていて、ちょっと変な草を見つけた。

形はタケノコのように、とんがっているのだが、

タケノコに比べると格段に細い。

そして全体の色彩が、緑色。

気になったので、それだけむしらずに放っておいた。

やがてその草はどんどんと、大きくなっていった。

背丈は50cmくらい。

とんがっていた先から、大きな笹状の葉が出てきた。

ある程度、大きくなってくると、なんとなくその植物が何なのか、

予想がついた。

インターネットで調べてみると、やはり自分の予想通り、茗荷であった。

茗荷。

読みは「ミョウガ」である。

東アジアが原産の植物で、日本の山野に自生しているものもある。

うちの裏に生えていたのも、恐らくは自生のものだろう。

もともとそんな場所に茗荷は生えていなかったが、

どこからかタネでも飛んできたのであろうか?

しかし、ホームセンターなどでみてみると、茗荷のタネは売っていない。

袋に入った地下茎のようなものが、売られているだけだ。

これを植えつけると、やがて茗荷が生えてくる。

つまり、竹のように地下茎が伸びて、増える植物なのだ。

うちの裏は、地面の中まで、コンクリート壁によって区切られているので、

どこから根っこが伸びてきたのか、未だに謎のままだ。

しかし、謎は残っても、茗荷は茗荷だ。

夏の暑い盛り、茗荷のみそ汁というのは、素晴らしい清涼感を生む。

いつもの冷や奴にも、ネギとともに茗荷が薬味に加わるだけで、爽やかさが増す。

今年の夏は楽しみだなーと、うきうきしながら観察していたが、

ついに夏が終わるまで、茗荷は生えてこなかった。

ひょっとして茗荷じゃなかったのか?とも考えたが、

インターネットの写真と見比べてみると、やはり間違いない。

今年は生えてこなかったなー、と諦めたころになって、にょっきりと生えてきた。

何で今頃……と思ったが、どうも本来の茗荷は夏の終わりぐらいから

生えてくるものらしい。

どうも、茗荷=夏というイメージに、とらわれすぎていたようだ。

スーパーなどで販売していたものと比べると、小振りだったが、香りは強かった。

それから1年、また1年とたつごとに、茗荷の生えてくる範囲が

微妙に広がりはじめた。

すぐ側に南天の株があるのだが、その南天の株の真ん中からも

にょっきりと芽を出すようになった。

恐らく地面の下では、南天の地下茎と、茗荷の地下茎が絡み合っているのだろう。

茗荷というのは、結構強い植物らしく、肥料もやらない、農薬も撒かないのに

勝手にどんどんと育っていく。

夏、地面が乾きすぎているようだと、漏斗で水をやる程度だ。

それ以外では付近の雑草を、抜いてしまうくらいだろうか。

実に手間がかからない。

先に、茗荷は東アジア原産と書いた。

これにはもちろん、日本も含まれている。

文献中に初めて、「茗荷」の名前が出てくるのは、

中国の「魏志倭人伝」(3世紀)の中である。

この中に、茗荷を意味する「襄荷」の字が見られる。

これが日本の茗荷について書かれた、もっとも古い記述だ。

で、どういう内容が書いてあるか、といえば

「日本人は(滋味なのに)茗荷を食べない」

と書かれている。

……どういうことか。

逆に考えてみれば、食べもしないものを、日本へと持ち込むはずもない。

少なくとも茗荷が、日本原産であるということは間違いがないようだ。

時代が下り、7世紀ごろの長屋王邸宅跡から発見された木簡には、

「茗荷の醤漬け」とおぼしき記述があるので、

このころには、茗荷を食べるようになっていたようだ。

恐らくは、大陸より茗荷を食べる習慣が、持ち込まれたのだろう。

平安時代の「延喜式」にも、「茗荷漬け」の記述がある。

茗荷の食べ方としては、漬け物が一般的であったようだ。

ちょっとおかしなことがある。

現在、世界で茗荷を食べているのは、日本、韓国、台湾だけである。

つまり中国本土では、全く食べられていないわけだ。

しかし、「魏志倭人伝」の中には、日本人が茗荷を食べないことが、

いかにもおかしなことのように書かれている。

ということは、「魏志倭人伝」が書かれた3世紀ごろの中国では、

茗荷は普通に食べられていたことになる。

その後、一体どういう経緯があって、茗荷を食べなくなったのだろうか?

茗荷の名前の由来だが、古代インドの話がある。

釈迦の弟子であった、チューラバンタカは物覚えが悪く、

自分の名前も覚えられなかったため、首から自分の名札をぶら下げていた。

彼の死後、その墓のまわりに生えてきたのが、茗荷だった。

彼が首から名をぶら下げていた、つまり荷していたところから、

「茗荷」という名前がついたという。

だが、これは嘘である。

この説を正しいとするのなら、古代インドで漢字が使われていないといけない。

古代インドで用いられていた文字は、サンスクリット語、つまり梵字だ。

つまりこの説は、後に中国か日本で作られたものだろう。

別の説では、中国から生姜とともに、茗荷が入ってきた時、

香りの強い方(生姜)を「兄香」、香りの弱い方(茗荷)を「妹香」と名付けた。

この「妹香(せのか)」が変じて、「茗荷」になったという説である。

しかし「魏志倭人伝」の記述からも、もともと日本に茗荷が自生していたことは

明らかなので、この説にも大いに疑問が残る。

茗荷を食べると、物忘れするという話がある。

もちろんこれは、根も葉もない話だ。

この話は、先に書いた、釈迦の弟子のエピソードに由来している。

しかしその話が、全くの嘘なので、当然これも作り話ということになる。

茗荷というのは、意外に高価な野菜だ。

スーパーなどで探してみると、わずか1個か2個パックされているだけのものが、

200円近くすることもある。

しかし一度その味を知ってしまうと、なかなか離れられない魅力がある。

特に暑い時期、あのスカッと爽やかな芳香は、なにものにも変え難い。

みそ汁に、冷や奴に、天ぷらに、あるいは大振りに切って鰹節と醤油で。

ついつい値段のことを「忘れて」、いくつも購入してしまう。

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