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餃子

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これまでに何度か、餃子を作ったことがある。

こういう風に書くと、小麦粉を練って皮を作り、
それに自作の肉餡を包んだように聞こえてしまうが、
実際には皮の方は既製品を買ってきただけで、
自作したのは、中に包む肉餡だけである。
つまり、正確にいえば、
餃子を半分だけ作ったということである。

どうして餃子を作ってみる気になったのかは、わからない。
何かきっかけはあった筈だが、全く覚えていない所を見ると、
意外に大したことのない理由だったのかも知れない。
スーパーの肉製品コーナーの隅に置いてある「餃子の皮」と、
豚挽肉、ニンニクなどを買い込んで、餃子作りは始まった。
(白菜やニラに関しては、婆さんの作ったものや
 庭に自生しているものがあったので、買わなかった)
と、いってもそれほど大仰な作業があるわけでもない。
大きめのボウルに豚挽肉を入れ、そこに刻んだ白菜、
ニラ、ニンニク、チューブ入りのおろし生姜などを混ぜ込み、
塩、胡椒、胡麻油、醤油などを入れて味を付ける。
こうして出来た肉餡を、後は市販の餃子の皮に
包んでいくだけである。
肉餡を皮で包むというのも、全く初めての経験だったのだが、
2、3個ほど色々試しながらやってみると、
意外に簡単にコツが掴めた。
失敗をしないためには、中に包む肉餡を少なめにすればいい。
ただ、余りに中の肉餡を少なくしすぎると、
まるでワンタンのようにビラビラの部分が多くなり、
餃子のボリューム感が無くなってしまう。
皮を上手く包むことが出来る範囲内で、
いかにたくさんの肉餡を包み込むか、というのが
餃子作りの大きなキモであるらしい。
つまり、包むのがうまくいかない、という場合、
心持ち、中に入れる肉餡を少なめにすれば
結構上手く餃子が作れるものなのである。

肉餡を包み、完成した餃子は、
あまり間を置かず、フライパンで焼くのがいいようだ。
いくつかの生餃子にラップをかけて、
冷蔵庫の中に入れておいたのだが、
肉餡の汁気によって、皮が水分を含んで軟らかくなり、
かなり扱いにくくなってしまった。
白菜を刻んだ際に、しっかりと水を絞り切れていなかったか、
あるいは肉餡に味付けをした際に、
醤油とごま油を入れすぎたのかも知れない。
ただ、この辺りに気をつけた2回目以降も、
作り置きをしていると、やはり皮が水分を含んでしまったので、
これはもう、そういうものなのかも知れない。
出来上がった餃子を焼いて食べてみると、
肉餡に味をつけたつもりだったものが、意外に薄味で、
サッパリとした餃子になってしまった。
市販の餃子には、結構、強い味がついているらしい。

「餃子」は、小麦粉に水を加えて練り、
これを延ばして作った皮に、肉、野菜、エビなどで作った
具を包み、加熱調理したものである。
この加熱調理の方法に関しては、焼く、茹でる、揚げる、蒸すと、
様々な方法が用いられるが、
日本で一般的なものは、
生の餃子をそのままフライパンなどで焼いた「焼き餃子」である。
だが近年では、本場中国風の「水餃子」や「蒸し餃子」を
提供する店も増えてきている。

よく、日本では、餃子はご飯と一緒に食べる
「おかず」として扱われることが多いが、
中国では餃子だけで、1つの食事として成り立っているといわれる。
実際に中国北部では、餃子は主食として食べられており、
そのためか、分厚く作った皮で具材を包んでいる。
恐らくは、皮を厚くすることによって
具材からはほとんど摂取出来ない「炭水化物」を
充分な量摂取するためだと考えられる。
だが、その一方、中国南部においては
餃子は「蒸し餃子」が一般的であり、
こちらは中国北部の餃子に比べて皮は薄い。
これは、餃子が主食としてではなく、
「点心」と呼ばれる、一種の軽食として食べられているからだ。
「飲茶」と呼ばれる、中国茶を飲む習慣において、
お茶請けとして食されている餃子は、主食というよりは
菓子的な要素の高いものであると考えられる。
イギリス人たちが、紅茶と一緒に
スコーンやサンドイッチなどを食べるのと似たようなものだろう。
栄養補給のための食事、というよりは、
お茶会で供される嗜好品、といった位置づけであろうか。
そのため、中国南部の餃子は皮も米粉などで薄く作られ、
蒸し上げた際に半透明となり、
水餃子には無い「美しさ」を演出している。
本場・中国の餃子といえど、主食として食べられるだけのものでは
無いということだ。

餃子の歴史は古く、紀元前6世紀ごろ、
春秋時代の遺跡から、
餃子が食べられていた痕跡が見つかっている。
だが、餃子という括りに囚われず、
小麦粉で作った生地で、具材を包み込んだ食品については、
紀元前3000年ごろの
メソポタミア文明の遺跡からも見つかっている。
一説によれば、これこそが餃子の元祖とでもいうべき食品で、
はるか太古のうちに、シルクロードを通り
中国に伝えられたとされることもある。
実際、世界中に餃子に類する食品が点在しており、
それがこの説を裏付けているともいえる。
だが、世界的には長い歴史を持っている「餃子」も、
日本へ伝わったのは、かなり遅く、
江戸時代になってからのことである。
これは、日本が仏教の影響により、
長く「肉食禁止」であったためだ。
……。
いや、江戸時代もまだ「肉食禁止」だったんじゃないの?
と、思われる人もいるだろうが、その通りである。
「肉食禁止」の風潮根強い日本へ餃子を持ち込んだのは、
朱舜水という、明の儒学者である。
日本へと亡命していた彼は、徳川光圀に招かれ
彼に儒学を教えていたが、その際、
彼の故郷の料理である餃子やラーメンなどを作り、
光圀に振る舞ったとされる。
日本国内で一番最初に餃子、ラーメンを食べたのは、
時代劇で有名な、水戸黄門だったわけである。
「肉食禁止」の日本で、豚肉が手に入ったとは思えないので、
彼の作った餃子は、鳥肉を使ったものだったのではないかと
考えられる。
だが、この朱舜水の持ち込んだ餃子は、
あくまでもそのとき限りのもので、
1つの食文化として、日本に定着することは無かった。
明治時代を迎え、各地に中華料理店が出来ると、
そのメニューとして「餃子」も並ぶことになったが、
それでも日本人に受け入れられることは無かった。

日本に本格的に餃子が広がっていくのは、
昭和時代に入ってからのことである。
当時、中国の日本領へと出向いていた日本人が日本へと帰り、
現地で食べた餃子を作って売り出したのが、
日本に餃子が広まっていくきっかけになった。
当時、中国で食べられていたのは
残った水餃子を焼いたものだったのだが、
日本に持ち込まれて以降は、生の餃子を直接焼くようになった。

現在、日本の各地に「餃子」を名物として
売り出している町がある。
ちょっと挙げてみよう。
福島市、宇都宮市、裾野市、静岡市、浜松市、津市、
神戸市、北九州市八幡東区などである。
パッと見た感じ、東日本の町に偏っている。
この中で、西日本地域といえるのは、神戸市と北九州市だけだ。
神戸市の場合は、元々貿易港でもあり、
古くからの中華街があるため、
その関連で餃子が持ち込まれ、
食べられるようになったと考えられるが、
それ以外の場所では、先に書いたように中国から帰ってきた人間が、
日本に持ち帰ったと考えられる。
だが、そうだとすれば、もっと全国的に散らばっていても
良いのではないだろうか。

はっきりとした理由はわからないが、
あるいは東西日本の嗜好の違いが、餃子の浸透度に現れている、
と、考えるのは、飛躍し過ぎだろうか?

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