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八宝菜

更新日:

一人暮らしをしていると、
「栄養バランス」なんていう言葉が頭の中をよぎる。

いつも頭の中をよぎっていればいいのだが、
これが頭の中をよぎるのは、ごく稀な時である。
健康診断の後、体重計に乗った後、
風呂場で自分の身体をじっくりと眺めてみた後などは、
特に頭の中をよぎるようである。
もっとも、ひとしきり反省した後は、
再びきれいに頭の中から消えてなくなるのが普通で、
それ以降は、勝手気侭にものを食べる。
まさに「のど元過ぎれば、熱さを忘れる」である。

ただ、そういう無頼な食生活をしていると、
突如フラッシュバックのように、
「栄養バランス」が思い出される瞬間がある。
食事時である。
もっともこれは、ある程度歳をとってからそうなることが多く、
10~20代くらいでは、
ほとんどフラッシュバックすることはない。
今日のお昼は何を食べようか?
なんてことを考えながら町を歩いていると、
目の前に現れるのが、人気のラーメン屋である。
噂では、博多風の固ゆで麺が、
特濃のとんこつスープにぴったりあって、
えもいわれぬウマさだという。
さらにダシには博多産の干しトビウオが使われており、
その魚介系のダシがとんこつスープに、
深い旨味を与えているらしい。
さらにさらに、仕上げにはニンニクの風味をつけた豚の背油を
これでもか、というくらいドンブリに振りかけており、
これがまた、とんでもないコッテリ感を出している。
10~20代なら、何も考えることはない。
すぐさま店の中に飛び込んで、大盛りを注文し、
さらに餃子も注文しようかと、悩むだけだ。
ところが30歳を越えていると、
店に飛び込む前に「ちょっと待てよ」ということになる。
前述した「栄養バランス」が頭の中をよぎるのである。
目の前の店のラーメンは確かにうまそうだ。
現に店の前のここにまで、とんこつスープのニオイと、
ニンニクの匂いが漂ってきてい る。
しかし、このラーメンは脂が多そうである。
どう見ても、この1杯で自分の1日の脂肪摂取量を超過する。
ここで激しい葛藤が起こる。
必ず起こる。
自分の食欲をとるか、健康のための「栄養バランス」をとるか?
このとき、頭の中に先日行なわれた、
会社の健康診断の結果が浮かんでくる。
「血圧」と「血糖値」が、平均値よりも随分高く、
塩分・脂肪分の摂取量を控えるようにとコメントもついていた。
そうだ、俺ももう若くないんだ。
彼は、泣く泣く人気ラーメンを諦め、
隣の蕎麦屋で山菜蕎麦などをすすることになる。
……。
まあ、これは極端な例だとしても、
これに類する葛藤は、それこそどこでも行なわれているだろう。
例えば、中華料理店。
店先のショーウインドウを見渡せば、
目に入ってくる中華料理の数々。
唐揚げが食べたい、いや、でも脂が……。
そんなときに目に入ってくるのが「八宝菜」である。
たっぷりの野菜と豚肉、イカ、エビ、ウズラの卵。
ああ、とりあえずこれを食べておけば、
「栄養バランス」はどうにかなる。
これが一種の免罪符のようになり、
彼は「八宝菜」と「唐揚げ」を注文することになる。
……。
あれ?「八宝菜」は確かにバランスはとれているけれど、
それと一緒に「唐揚げ」を食べれば、
結局、カロリーも脂肪分も超過してしまうんじゃないの?
なんて風に突っ込んではいけない。
食事というのは、すべからく
心安らかに行なわれるべきだからである。

「八宝菜」は、肉、魚介類、野菜などを炒め、
その後スープを加えて軽く煮込んだ後、
これに水とき片栗粉などを加えて、トロミをつけた料理である。
中華料理の1つで、元は広東地方の料理だ。
日本では「五目うま煮」と呼ばれることもある。
名前の中に「八」とあるものの、
別段、8種類の具材が使われているわけでもなく、
8種類の具材を使わなければならない決まりもない。
中国では「八」という数字には、
「たくさん」という意味があるのと、
「八」という数字は「縁起がいい」とされているためである。
(この辺は、「末広がり」ということで
 「八」を「縁起がいい」とする日本と共通している)
ただ、現在の中国でも、
全ての地方で食べられているわけではなく、
「八宝菜」を注文してみたら、漬け物が出てきた、
なんていう話もある。
日本では、前述したように
肉・魚介類・野菜を使ったものが一般的であるが、
中国では野菜だけで作られた「八宝菜」も存在している。
これなどは、日本の中華料理店で出しても、
近年来の健康ブームによって好評を得られるかも知れない。

この「八宝菜」の誕生には、2つの説があるようだ。

1つ目はもっとも有名なもので、
清王朝の時代、中国の政治家であった李鴻章が
友人宅を訪問した際、友人の奥さんが肉・野菜のうま煮を出した。
これがあまりに美味しかったので、
彼は料理人にこの料理を研究させ「八宝菜」を作り出したという。
「八宝菜」という名前も、李鴻章が
「まるで宝石のようだ」といったためにつけられた、
という話もあるのだが、さすがにこれは出来過ぎだろう。
また、李鴻章に関わる説として、
彼がアメリカの苦力(クーリー・移民労働者をさす)を
激励しに行った際、彼らが食べていた
「ごった煮」が大変美味しかったので、
それを世に広めたというものもある。
ただ、こちらの方はアメリカに「八宝菜」によく似た
「チャプスイ」という料理があるので、
これのことではないかと考えられる。
だが、この「チャプスイ」はご飯にかけて食べることも多く、
どちらかといえば、日本の「中華丼」に似ている料理である。
この「チャプスイ」と「八宝菜」に
どういう関係があるのかはわからないが、
この「チャプスイ」も、もとは広東料理をアレンジしたものなので、
案外、「八宝菜」と出所は同じかも知れない。

もう1つは、同じく清王朝の時代、
宮廷料理人たちが、残り物の料理のごった煮を旨そうに食べていた。
これを見た西太后が試食し、
その美味しさに「まるで宝石のようだ」といったというものだ。

李鴻章も西太后も、共に清朝の人で生きていた時代も重なっている。
その2人が、誕生説に関わっているということは、
恐らくは19世紀の末期ごろに「八宝菜」が誕生したという、
何よりの証拠ではないだろうか。
さらに全ての説に共通しているのが、
これを生み出したのは身分の低いものたちであるという点だ。
これらを合わせて考えてみれば、
19世紀の末ごろに、中国の庶民階層の料理店から、
一種の「ごった煮」の変形として
「八宝菜」は作り出されたと見るべきだろう。

これがいつごろ日本に入ってきたのかは、全く不明である。
だが、「八宝菜」をご飯にかけた「中華丼」は、
昭和の初めに東京の中華料理店で作り出されたと言うから、
少なくともそれ以前には、日本に入ってきていたのだろう。
もちろん、本場中国には「八宝菜」をご飯にかけた「中華丼」は
存在していない。
だが、実は中国には、
めでたいときに食べる「八宝飯」という料理がある。
え?それって「中華丼」じゃないの?と思ってしまうが、
この「八宝飯」は、餅米にこしあん・蓮の実・棗・干しぶどう
・干し竜眼などを加え、氷砂糖で作った葛餡をかけて
蒸し上げたものである。
原材料などを見ても分かるように、
これは菓子・デザートに類する一品である。

さて、自分も大学生で一人暮らしをしていたころは、
これを食べているから「栄養バランス」は大丈夫と、
自分をごまかした食生活を送っていたわけだが、
さすがにこれは甘かったらしく、
歪んだ食生活のツケは、そのまま自分の体重に
跳ね返ってくることになった。

たしかに「八宝菜」自体は、肉・魚介類・野菜が
ふんだんに入っており、バランスがとれている。
しかし、それを免罪符にして、無茶な食生活をしていると
なかなか笑えないことになってしまうのである。

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