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日本五大名飯〜サヨリ飯

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ここまで4回にわたって「日本五大名飯」を紹介してきたが、
それもいよいよ今回が最後となる。
「日本五大名飯」の最後を飾るのは、岐阜県の「サヨリ飯」である。

ここまでに紹介してきた五大名飯に比べると、
「サヨリ飯」というのは、非常に単純な名前である。
すなわち、名前を聞いた時点で「ああ、サヨリを使った料理なんだな」と、
その内容について推測をたてることが出来る。
ここの所に大きな罠がある。

実はこの「サヨリ飯」最大の特徴は、
「サヨリ」と魚の名前を謳っておきながら、
実際にはサヨリを全く使っていないという所にある。
え?じゃあ、サヨリって魚のサヨリのことじゃないの?という話になるが、
「サヨリ飯」のサヨリは、まぎれもなく魚のサヨリのことである。
……。
いい具合に頭が混乱してきただろう。
では「サヨリ飯」とは、一体、如何なるご飯料理なのか?
実はサヨリ飯とは、「サンマ」を炊き込んだ「炊き込みご飯」のことだ。
それじゃあ、「サヨリ飯」じゃなくって「サンマ飯」じゃん、
ということになるのだが、その昔、海の無かった岐阜県では、
そこら辺の海水魚の区別というのがとてもいい加減で
「細長い魚」については全て「サヨリ」と呼んでいたらしい。
ひょっとすると、真面目に「サンマ」のことを
「大きくなったサヨリ」ぐらいに思っていたのかも知れない。

改めて今回、「サヨリ飯」について調べてみたのだが、
どういうわけかこの「サヨリ飯」の情報だけ、
他の五大名飯と比べても明らかに少ない。
「サヨリ飯」というワードでインターネット検索してみても、
他の五大名飯の情報が出てくるなんてこともあった。
他の五大名飯の情報の中で、日本五大名飯が紹介された際、
そこにこの「サヨリ飯」の名前が書かれることになるのだが、
どうやらその名前すら拾ってこなければならないほどに、
「サヨリ飯」についての情報が少ないのである。
その作り方にしてみても、キチンとした公式のレシピのようなものは無く、
説明にはただぶっきらぼうに「サンマを使った炊き込みご飯」と
書かれているだけだ。
何で、ここまでいい加減なのか。
味付けは?サンマ以外の具材は?そもそもどういう経緯で作られたのか?
などなど疑問はつきないのだが、それに答えてくれるものは無い。
いくつか公開されているレシピ(これについても、それぞれのサイトで
「あくまでも私のやり方」と断りが入っていた)を見てみたが、
肝心のサンマの扱いから「一緒に炊き込む」というものがあるかと思えば、
「別に焼いてほぐしたものをご飯に混ぜ込む」というものもあった。
見事に統一感が無い。
普通、「日本五大名飯」なんていう美味しい材料があれば、
自治体などが率先してこれを取り上げ、
大々的に町おこしに利用していくものだが、
この「サヨリ飯」に関しては、そういうような動きが全く無いというのも
驚きである。
ひょっとして、岐阜県の人々は「サヨリ飯」について
特別な情熱というようなものは抱いていないのだろうか?
現状を見る限りでは、そう判断するより仕方がない。

改めて繰り返すことになるが、「サヨリ飯」とは
サンマを炊き込んだ「炊き込みご飯」のことである。
岐阜県内でも可児市、御嵩町、美濃加茂市、恵那市などの郷土料理だ。
ここに挙げた町は、どこも木曽川に沿った場所に位置しており、
ひょっとすると「サヨリ飯」に使われたサンマは
この木曽川の水運を利用して運ばれてきたのかも知れない。
あくまでも「コレ」と決まった形のレシピがあるわけではないが、
色々調べた中での平均的な作り方を挙げると、
『コメに、サンマ(塩サンマ)、ゴボウ、ニンジン、
 生姜の千切りなどを入れて、塩や醤油、酒などで味付けして炊き上げる』
というような感じになる。
ここからサンマを除けば、それこそ大阪の「かやく飯」に
かなり近いものになることから、ひょっとするとこの「サヨリ飯」は
大阪から全国に広まった「炊き込みご飯(かやく飯)」の 
1つの地方亜種と捉えても良いかも知れない。
地理的に新鮮な海の魚が手に入りにくいこの地域で、
貴重な塩サンマを使ったこの「サヨリ飯」は、
大変な御馳走であったであろうと思われる。
ただ、戦前までは秋の収穫を祝って
各家庭で盛んに作られていたようであるが、
現在では地元でも珍しい存在になってしまっているようだ。

逆に、この「サヨリ飯」がいつごろから作られていたか?という点に関しては、
全く情報が得られなかった。
日本人がサンマを食べるようになったのは、
江戸時代以降ということなので、少なくともそれ以降なのは間違いないが、
もし自分が考えているように、この「サヨリ飯」が
「炊き込みご飯(かやく飯)」から派生した地方亜種であるとすれば、
その発生は江戸時代の末期から明治時代にかけてくらいに
絞ることが出来そうだ。
ここで登場している「塩サンマ」というのは、
サンマに塩をして、その保存性を高めたものであるのだが、
それでも、現在ではその「塩サンマ」ですら冷凍状態で流通していることを
考えると、干物ほどには保存性が良くなかったのだろう。
先に述べたように「サヨリ飯」が木曽川沿いに
広まっていることを考えれば、木曽川の水運を利用して
「塩サンマ」が運ばれてきていたと考えられるが、
この範囲より下流でも、上流でも「サヨリ飯」が食べられていないという点は、
一体、どういう理由があるのだろうか?
(ちなみに日本で冷凍技術が用いられはじめたのが、
 大正時代の後期ごろから昭和初期にかけてである。
 これ以降に「サヨリ飯」が誕生した可能性も否定は出来ないが、
 やはりその分布が木曽川沿いに広まっている点から、
 「サヨリ飯」が食べられはじめたのは、冷凍技術が一般的になる
 以前のことであった可能性が高い)

さて、ここまで5回にわたって、「日本五大名飯」について紹介してきた。
その中には全国的に広まって、すっかり一般化している「かやく飯」や、
それぞれの地方で名物として食べられている「忠七飯」「深川飯」「うずめ飯」、
さらには現在ではほとんど食べられていない「サヨリ飯」など、
様々な扱われ方をしているものがあった。
ただ今回、これらを取り上げてみて思ったのは、
どの五大名飯にしてみても、わりと作り方自体は簡単で、
どこの家庭でも、比較的簡単に再現できるのではないか?ということである。

日本人のコメ離れが叫ばれている現在、
こういった特徴的なご飯料理を見直し、各家庭で再現してみることも
コメの消費量を増やすことに一役買うのではあるまいか。

我が家でも、機会があれば是非チャレンジしてみたいと思う。

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