雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

歴史 雑感、考察

死体の保存方法

更新日:


以前、野見宿禰と龍野の地名由来について、
何度か触れたことがある。
大和(奈良)から出雲(島根)へ向かう途中、
龍野の地で病に倒れ、そのまま死んでしまう話だ。
これを悲しんだ出雲の人々が龍野へやってきて、
野見宿禰の墓を作ったという。
出雲からやってきた人々は、野に立ち、
川からリレー方式で小石を運んだ。
この「野に立ち」という部分が、「立つ野」となり、
やがて「龍野」になったというのだ。

考えてみれば、龍野で野見宿禰が死んでから、
出雲から人々がやってきて彼の墓を作るまで、
それなりの時間がかかったはずだ。
なんといっても、当時は古代も古代、
神話と、現実の歴史が入り交じっている、
いわゆる「グレーな時代」だ。
交通インフラなど存在せず、
駅屋(うまや・街道沿いに設置され、
ここで馬を乗り継ぐことが出来た)もまだ存在していない。
ということは、龍野で野見宿禰が死んでから、
馬か歩きで出雲に連絡がいき、
凶報を聞いた出雲の人々が人を集め、
そこそこの人数の旅団を組んで、龍野に向かったはずだ。
そこそこの人数が旅をしたのなら、
その準備にも、それなりに時間がかかったに違いない。

龍野から出雲まで、道路検索で距離を見ると、
最短で266km、最長で332kmだった。
わかりやすさのため、これを切りよく300kmとしよう。
まず、龍野から出雲まで、
野見宿禰が死んだことを知らせる使者が出る。
仮にこれが歩きだったとすれば、
1日に歩けるのは大体30km。
おおよそ10日かかることなる。
出雲について、野見宿禰の病死を報告、
そこから墓を作る人々を選び、その旅支度をする。
当時は旅館などない時代だ。
食料などは、全て自前で持って行かなければならない。
恐らくは米や塩にくわえ、
簡易の調理器具を用意したのではないか?
ことによれば、炭などの燃料も用意したかもしれない。
恐らくこの準備に5日はかかるのではないか?
そこから大人数の旅団での、出雲から龍野への旅が始まる。
使者は10日で移動できたが、
こちらは大人数のため、その移動スピードは遅いだろう。
この移動に15日かかるとすれば、
龍野から使者が出て、出雲から人々が到着するのに、
ほぼ30日、1ヶ月ほどかかる計算になる。
この間、野見宿禰の死体はどうなっていたのか?

かつて自分は、野見宿禰が龍野の土師で仮埋葬され、
出雲の人々が到着した後に、改めて埋葬し直したとした。

仮に野見宿禰が仮埋葬されていなかったとしたら?
1ヶ月間、何もせずに死体を置いておいたら、
当然、腐敗する。
ただ、1ヶ月という期間ではまだ白骨化するには至らず、
またミイラ化することもない。
恐らくはかなり腐敗した状況か、
半生状態の乾きかけになっていると思われる。
さすがにそんな放置状態には、ならなかっただろう。
となると、何らかの死体保存処理がなされたのではないか。

今回は、この死体の保存方法について書いていく。

歴史を見てみれば、戦場で討ち取った敵の首を保存し、
自軍の大将に届け、恩賞を受けたという。

こういう場合、使われるのは塩だ。
一種の漬け物の原理で、腐敗を防ごうというわけだ。
漬け物というよりは、「塩辛」に近い。
塩辛や漬け物などが、強烈な臭いを出すように、
生首の塩漬けは、かなり臭かったのではあるまいか。

同じように、酒に漬けることもあったという。
ちょっとイメージしにくいかもしれないが、
マムシ酒の中にマムシの死骸が入っているが、
あれの生首版だと思えば良い。
ただ、マムシ酒に使われるのは度数の高い焼酎で、
度数の低い酒の場合は、防腐効果はほとんどない。
だから普通の日本酒では、マムシ酒は作れない。
恐らくは、生首を焼酎に漬けたと思われる。

また江戸時代には、死体の防腐処理に
「朱」が使われることがあった。
朱は水銀で出来ており、殺菌作用があるため、
高貴な人物の死体処理に使われた。
具体的には、徳川将軍の棺に朱が詰め込まれていた。
朱は非常に高価であったため、
将軍くらいの身分がないと使えなかったのだ。

海外では酢漬けにしたり、ブランデー漬け、
オリーブ油漬けなどにした。

酢の殺菌作用は強いので、これで死体を保存するのは
理にかなっている。
日本でも、酢は古代から使われていたので、
死体の保存に使われていても不思議ではないのだが、
そのような記録は残っていない。

ブランデー漬けは、日本でいう所の酒漬け、
つまり焼酎漬けと同じことだ。
日本酒を蒸留して作られた焼酎に対する、
ワインを蒸留して作られたブランデーである。

オリーブ油漬けは、一種の油漬けになる。
肉や魚を漬け込む保存方法のひとつだが、
油につけ込むことによって、食材が柔らかくなる。
ツナ缶などはまさにこれだ。
ひょっとしたら、死体も柔らかくなるのかもしれない。

北欧やロシアなどでは、死体を氷漬けにした。
冷凍保存である。
これまでに書いた、様々なものに漬け込む方法よりは、
いたく真っ当な方法に思える。
しかしこれは、気温が低く、
雪や氷の豊富な地域でしか出来ない方法だ。

さて、国内外の様々な死体保存の方法を調べてみたが、
古代日本で、実際に執り行える方法は少ない。

龍野は海に近いので、
塩を手に入れることは出来ただろうが、
製塩技術の未熟だった当時、死体を塩漬けに出来るほど、
塩をふんだんに使えたとも思えない。

酒にしても、この当時の酒ではアルコール度数が低く、
これに漬け込んだとしても、腐敗は止められないだろう。

先に書いたとおり、当時、酢は存在したはずだが、
日本ではこれを、死体保存に使った例はない。

油に関しても、当時は非常な貴重品であり、
とても死体の保存などには使えなかったであろう。

朱、ブランデーに関しては、古代日本には存在していない。

気温を考えれば、氷漬けも不可能だろう。

そうなると、野見宿禰の死体を1ヶ月間、
保存しておく手段は、当時、存在していないことになる。
では、仮に何もせず、死体を放っておいたらどうなるか?

ひとつ凄い話がある。
1066年、イングランドを征服した
ウイリアム1世が亡くなったとき、猛暑であった。
急速に腐敗が進み、
葬儀の最中、ついに死体が爆発した。
え、死体って爆発するの?と思われるかもしれないが、
どうも腐敗が進み、体内のガスが外に出る事なく爆発、
ということになったらしい。
ウイリアム1世は、ひどい肥満体型だったというから、
ガスが抜けるべき所が、自重でつぶれたのかもしれない。
葬儀会場に腐肉と内臓が降り注ぎ、
辺りには異臭が立ちこめ、惨憺たる状況だったという。

ここで注目したいのは、
野見宿禰が「相撲の元祖」であったことだ。
彼が肥満体型であったとは限らないが、
現在の相撲取りの体型を見れば、
太っていた可能性は、充分にある。
もし同じように、野見宿禰が亡くなったのが
真夏であったなら……。

やはり、自説通り、
野見宿禰は亡くなった土地において、
すぐさま埋葬された、と考えるのがいいようである。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-歴史, 雑感、考察

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.