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武蔵、発見

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By: *Yaco*

先日、ニュースにて「武蔵発見」一報が流れた。

武蔵といっても、剣豪のそれではない。
太平洋戦争中に、日本海軍の最大の戦艦であった
「大和」の2番艦の「武蔵」である。
2番艦といっても、「大和」と「武蔵」には
ほとんど違いはなく、まさに双子といってもいい。

「大和」については、改めて語ることもないだろう。
日本の艦船の中で、もっとも有名な一隻だからだ。
少なくとも、「戦艦」というカテゴリーの中では、
戦後、半世紀以上たった現在まで、
世界最大の船であり続けている。
(もちろん、旅客船や貨物船などでは、
 「大和」以上のサイズの船も作られている。
 「戦艦」自体が、第2次世界大戦以降
 全く建造されなくなったので、
 恐らくこの先も「大和」は、
 世界最大の戦艦であり続けるだろう)
だが、「大和」が
世界最大の「戦艦」であるということは、
当然、「武蔵」もまた、
世界最大の「戦艦」だということである。
そういう意味では、
「武蔵」も「大和」と同じような評価を
受けてもいい筈であるが、
残念なことに「大和」のそれに比べると、
「武蔵」はあまり評価されてはいない。

これは「大和」の最期が、
あまりにドラマチックだったためだろう。
敗色が確定的となった、太平洋戦争末期。
壊滅状態となった日本海軍の最後の作戦として、
わずかな護衛艦と共に、
沖縄への海上特攻「天1号作戦」をしかけ、
その途中、坊ノ岬沖にて米軍航空機300機以上の
猛攻撃を受け沈没。
その最期はまさに、日本海軍の最期であった。
ここまで劇的な最期を遂げているのだから、
「大和」が人気なのも当然だろう。
よく「大和」を
「悲運の最強戦艦」などと称することがあるが、
確かにその最期こそ壮絶に劇的であったものの、
歴史的に見れば「大和」はそれほど悲運でもない。
それは戦後の「大和」を見ればわかる。

日本の戦艦・軍艦の代名詞のように語られる「大和」。
様々なメディアで、今もなお、熱く語られる「大和」。
また「大和」を題材にした、
様々な映画やドラマが作られている。
あげくの果てには、宇宙戦艦となってアニメとなり、
一大「ヤマト」ブームを巻き起こした。
「大和」は、その悲劇的な最期も含めて、
英雄視、神聖視されている向きもある。
日本の船の中では、もっとも有名な船であり、
その名前は、もはや神話の登場人物や、
歴史上の偉人と同じように認識されている。
この先、日本という国が続く限り、
「大和」の名前は、永遠に語り継がれることだろう。

それに引き換え「武蔵」はどうか?

「武蔵」の名前も、そこそこには有名である。
しかしそれは、あくまでも「大和」の2番艦として
有名なのであり、
いわば、「大和」の影である。
マリオに対するルイージであり、(偏見)
ライダー1号に対するライダー2号であり、(偏見)
ウルトラマンレオに対するアストラである。(偏見)
つまり何が言いたいかというと、
ほとんど同じものにも関わらず、
「大和」ほどの人気がない、「武蔵」。
はっきりいって、戦後の様子を見るだけでは、
「悲運の戦艦」というのは、
「武蔵」にこそふさわしいだろう。

「武蔵」は、第2次世界大戦中に建造された、
大和型戦艦の2番艦である。
1938年に起工され、
1940年11月に完成、進水している。
1942年8月、就役し、1944年の10月24日、
レイテ沖海戦によって、シブヤン海に沈んだ。
全長263m、全幅38m、排水量は65000tで、
この辺りの数字は「大和」と変わらない。
「大和」と同じく、3連装46㎝砲を3基、装備している。
全くの同型艦であるが、製造された場所は違っていて、
「大和」が広島県の呉市で建造されたのに対し、
「武蔵」は長崎県の長崎市で建造されている。
人間の双子とは違い、この2隻は
全く別の腹から、生まれてきたということになる。
「大和」よりもわずかに遅れて起工されたため、
その完成もまた「大和」よりも遅れることになり、
そのため、日本で最後に建造された
「戦艦」ということになった。
(本来は3番艦として「信濃」が建造されていたが、
 これは航空母艦需要によって、
 建造途中で空母へと作り変えられた。
 こちらは実戦に投入される前に、撃沈されている)

「大和」と同じく、「武蔵」も世界最大の大戦艦であったが、
すでに海軍の主力は戦艦ではなく、
航空母艦(空母)へとシフトしており、
「武蔵」は生まれながらにして、
時代に遅れているという運命を背負っていた。
当然、その活躍の場は少なく、レイテ沖海戦において
爆弾44発、ロケット弾9発、
魚雷25発を受けて沈没した。
これだけの攻撃を受けながら、実に9時間も航行を続けた。
受けた攻撃の数も、「大和」より、かなり多い。
「大和」はわずか2時間ほどの戦闘で沈んでいるが、
これは、「武蔵」との戦闘の経験から、
片舷のみに魚雷攻撃を集中されたためであるとされる。

「大和」に比べ、随分と発見が遅れたが、
これは「武蔵」の沈んでいる場所が、
実に水深1000mもの地点であったためである。
(「大和」の場合は、350mほどであった)
この「武蔵」を探索していたのが、
アメリカ・マイクロソフト社の共同創業者、
ポール・アレン氏である。
彼は実に8年もの年月をかけて、
ジブヤン海に沈む「武蔵」を探し続けてきた。
今回の発見は、その探索の成果である。
調査の結果、艦首部や水上艇発進のためのカタパルト、
主砲の砲座や錨などが確認されており、
それらの映像から「武蔵」に間違いないとされた。
現在、その時の調査映像がインターネット上で公開され、
誰でも閲覧することが出来るようになっている。

「大和」という、偉大な兄弟艦の陰に隠れ、
これまでほとんど注目されることのなかった「武蔵」。

今回の発見は、「武蔵」再評価のきっかけになるだろうか?

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