前回、取り上げた「日本五大名飯」を並べてみると、
その名前の由来というのも様々である。
「かやく飯」と「サヨリ飯」は、中に入っている材料から来ているし、
「深川飯」は東京の地名から来ているのは明らかだ。
「うずめ飯」というのは、パッと聞いただけではどういう意味か捉えかねるが、
実はその調理方法から来ている。
早い話、「埋め飯」というわけだ。
それらの中にあって「忠七飯」という名前は、はっきり言って異色だ。
誰が聞いても分かるように、この名前は明らかに人名から来ている。
これ以外の「五大名飯」はある程度、その名前から
内容を思い浮かべることが可能であるが、
人名を冠している「忠七飯」だけは、その名前だけでは
料理の内容を思い浮かべることが出来ない。
(厳密に言えば、「深川飯」についてもこれは言える。
深川の産物を使っている、深川で生まれたものなどと
ある程度想像を巡らせることは出来るが、
ハッキリとその姿を思い浮かべるのは不可能である)
逆にいえば、この「忠七飯」という人名を冠した名前は、
ある1つの事実を如実に指し示している。
つまり、「この料理は忠七なる人物が作ったよ」である。
この「忠七」、正確には「八木忠七」なる人物で、
彼は埼玉県比企郡小川町の旅館「二葉」(現在)の8代目の当主である。
彼が作り出したからこそ、この料理は彼の名前が冠されている。
この旅館「二葉」は、現在も同地で経営を続けており、
そのホームページには、「忠七飯」の由来が記されている。
それをちょっと書き出してみよう。
『「忠七飯」は気骨ある料理人だった当家八代館主・八木忠七と
明治の偉傑・山岡鉄舟居士との出会いから生まれました。
鉄舟居士は父の知行地・小川町竹沢を訪れる折々、
必ず当館に立ち寄られ忠七の調理する料理を食べながら
酒を飲まれるのが常だったということです。
ある日、忠七に向かって居士は「調理に禅味を盛れ」と示唆され、
それを受けた忠七が苦心に苦心を重ねた上、創始致しましたものが
「忠七飯」でございます。
鉄舟居士が極意を極めた「剣・禅・書」三道の意を取り入れ、
日本料理の神髄である「風味と清淡」とを合致させたもので
これを居士に差し上げました。
ところが、「我が意を得たり」と喜ばれて、
「忠七飯」と名付けられました』(原文ママ)
山岡鉄舟といえば、現在でもよく知られた剣の達人である。
江戸時代末期から明治時代にかけて生きた人物で、
剣の他に禅・書の方面でも、達人として知られている。
歴史の上での働きを見てみれば、幕末の動乱期、
官軍による江戸攻撃が行なわれようとしていた直前、
単身、官軍の留まっている駿府に乗り込んで、西郷隆盛と会談を行った。
明治維新における江戸城無血開城については、
官軍・西郷隆盛と幕臣・勝海舟の会談がよく知られているが、
山岡鉄舟のこの会談はその準備段階ともいえるもので、
全くの敵地同然であった駿府へ単身乗り込んでいったのだから、
彼の剛胆さは凄まじいというしか無い。
彼のこの準備交渉があってこその、後の西郷・勝会談だったことを考えれば、
彼が日本史の上で果たした役割というのは、かなり大きい。
そういう剛胆さが買われたのか、明治新政府となった後も、
彼は明治政府によって様々な役職を与えられている。
官軍にとっては敵軍であった旧幕府側の人物でありながら、
このように取り立てられていること自体、
彼の非凡な才能を示しているといえる。
そんな山岡鉄舟が、八木忠七に「調理に禅味を盛れ」と示唆したことが
きっかけとなり、忠七は苦心惨憺の末「忠七飯」を完成させるのだが、
冷静になって考えてみれば、これはかなりのムチャ振りではあるまいか。
「調理に禅味を盛れ」などとは、何とも抽象的に過ぎる指示で、
忠七がこれに苦労したというのもよく分かる。
思わず、お前は海原雄山か!と突っ込みたくなる。
苦心の末、忠七が作り出した「忠七飯」というのが、
ホームページによると
『ご飯茶碗に、ご飯の中央にお薬味のさらしネギ・わさび・柚子をのせ、
その上から、土瓶の熱いおつゆを八分目にかけ、
お茶漬けの様にさらさらと召し上がっていただきます』(原文ママ)
というものらしい。
ただ、ホームページの「忠七飯」の写真を見る限りでは、
ここに書かれた材料以外に、何やら黒いものが大量に乗せられている。
それはどうやら細かくちぎった海苔のようで、
どうしてこれが「忠七飯」の説明から外されているのか不思議だ。
どうやら山岡鉄舟が極めた「剣・禅・書」の三道を
剣……わさび(ピリリとした刺激の中に、剣の鋭さを蔵す)
禅……海苔(極めて淡い味の中に、禅を宿す)
書……柚子(香り高い中に、書の精神を観る)
という風に表現しているらしい。
山岡鉄舟が示唆したのは「調理に禅味を盛れ」とのことだったので、
よくよく考えてみれば、海苔だけで良かったのでは?
という気もしないではないが、ひょっとすると海苔だけではあまりに寂しいため
「禅」の他に「剣」と「書」を加えることで、
より山岡鉄舟らしさを出しつつ、料理の完成度を高めたのかも知れない。
ただ、自分のような凡俗からしてみれば、
「剣・禅・書」の3味のうち、どうにか理解できそうなのは
「剣」のわさびくらいで、肝心の「禅」と「書」については
どうも無理矢理こじつけているだけなんじゃ?という気がしないでもない。
詰まる所、「忠七飯」とはご飯の上にちぎった海苔を散らし、
その上にさらしネギ、わさび、柚子と添えておいてから、
これにダシツユをかけ回して食べる料理ということになる。
ぶっちゃけ、これまた家庭で再現しようと思えば
ほとんど難なく再現できてしまいそうな感じだ。
使う材料は、スーパーで買い揃えても500円もかかるまい。
海苔、ネギ、わさび、柚子。
質にさえこだわらなければ、安価なものばかりだ。
それはそうと、この「忠七飯」に使われている材料を見ていて、
ふと、あることに思い至った。
ここに挙げられている海苔、ネギ、わさび、柚子といった材料は、
すべて「薬味」として用いられるものばかりである。
「薬味」を「飯」に「加」えているわけだから、
これは当然、本来的な意味での「かやく飯」ということになる。
「加薬」を「具」として捉えた、大阪難波の「かやく飯」。
それ以前の、いわゆる「薬味」のみを加えた「忠七飯」。
そういう意味では、「忠七飯」もまた「かやく飯」といえるのかも知れない。