現代では当たり前になっていることが、いつから行なわれていたのか?
これを調べていく所に、歴史の面白さはある。
歴史とは社会科の授業中に習うだけのものでなく、
人間の生活の中で目に入る全てのものに存在する。
そしてそこには意外な物語が存在する。
それこそが歴史の面白さであり、楽しさだ。
今回、紹介するのはカステラである。
この長崎の名物菓子は、今や日本全国で食べられている。
とは言え、カステラはお菓子としては微妙な立ち位置にいる。
洋菓子かと言われれば、もうその面影はずいぶんと薄い。
和菓子かと言われれば、その枠からは少々外れている。
どっちつかずな印象がある。
スーパーの菓子パン売り場と、和菓子売り場の間くらいにひっそりと置いてある。
いまいち、ぱっとしない。
だが、このカステラは日本の食の歴史に、とてつもない変化をもたらした。
お菓子の歴史ではなく、食の歴史にだ。
今回は、このカステラが日本にやってきた所から始まる。
カステラが日本にやってきたのは、室町時代の末期だ。
ポルトガル人の宣教師によってもたらされたこのお菓子は、
一種のスポンジケーキだ。
小麦粉と卵、砂糖でできたこのお菓子は、日本人にある変革をもたらした。
卵だ。
そう、日本人はこの南蛮渡来のお菓子によって、初めて卵を食べたのだ。
現代人には信じられないだろうが、カステラがやってくる以前、
日本人は卵を食べたことがなかったのだ。
日本人と卵の歴史は、カステラによって始まった。
ちょっと話は横道にそれる。
この時、ポルトガルからもたらされた菓子は、カステラの他にもコンペイ糖、
ボーロ、ビスケット、有平糖など現代にも伝わっているものが多いが、
その中に鶏卵素麺というのがある。
卵黄を糸状に固めたお菓子で、熱した糖液の中に、卵黄を細く流し入れて作る。
これもカステラと一緒に日本にやってきたお菓子だが、全国的には広がらず、
現在では福岡県の銘菓として作られているのみだ。
考えてみれば、これはすごい話だ。
卵を使った料理だと、もっと単純ですぐにできるものがいくらでもある。
ゆで卵、卵焼き、目玉焼き等々。
こんなシンプルな料理を飛び越えて、いきなりカステラだ。
パッと見た感じ、卵っぽさはまるでない。
……逆にそこが良かったのかもしれない。
古来から日本には鶏がいた。
当然、卵も目にしてきていた。
しかし日本人は、カステラによって卵を食べるまで、
卵を食べるものだとは考えなかった。
鶏は食べている。
仏教の影響で、肉食はしにくい風潮があったが、それでも人々は肉を食べていた。
その中には当然のように鶏肉も入っている。
そのために鶏を飼ってもいた。
そうなると卵を目にしていないはずはない。
それでも卵を食べようとは思わなかった。
卵が先か?鶏が先か?という話がある。
少なくとも食材の歴史としては、鶏の方が遥かに先だった。
カステラが長崎で作られるようになったのは、
材料の入手条件が良かったせいではないだろうか?
カステラの主な材料は、小麦粉、卵、砂糖である。
この内、小麦粉は当時の日本でも普通に使われている。
卵は日本にはあったが、それまでは食べられていなかった。
すなわち当時としては手に入れるのも、難しくはなかっただろう。
恐らく、卵の価値が認められる前だったはずだ。
砂糖はこの頃はまだ、中国からの輸入に頼っていた。
輸入品だけに数も少なく、値段も高かった。
だからこそ、カステラは砂糖の入手しやすかった、
貿易港長崎で作られたのだろう。
カステラを作るのに大変だったのは、道具だ。
そう、日本にはオーブンがないのだ。
当時の日本にあった料理用の道具では、
オーブンのように天火で焼くことはできない。
そのため「引き釜」という、炭火を使う日本独特の道具が作られた。
西洋風のスポンジケーキとカステラの違いは、そのしっとり感にある。
日本人と西洋人の生理的な違いとして、唾液の分泌量の違いがある。
日本人の唾液分泌量は、西洋人のそれに遥かに及ばない。
そのためか、同じパンにしても日本ではもっちりとした食感のものが、
西洋ではさっくりとした食感のものが好まれる。
全ては唾液の分泌量の違いのためだ。
恐らくカステラも、日本で作るようになってから、
もっちり感やしっとり感を強調するように、変化していったのだろう。
室町時代に日本にやってきたカステラは、400年以上の時間をかけて
じりじりと日本人の好みに近寄ってきた。
西洋菓子でもない。
和菓子でもない。
カステラは、カステラとしか言いようのない位置にたっている。
日本に卵食という、画期的な変革をもたらした、この偉大なお菓子は、
今日もスーパーの和菓子売り場と菓子パン売り場の間で、
どこか肩身が狭そうに、それでも誇らしく並んでいる。