先日、図書館の帰りにスーパーによると、
フルーツの見切り品のカゴに、パックに入った「スモモ」があった。
イチゴと似たような大きさの容器の中に、
ゴルフボールより、ひと回り大きいサイズのものが、
4個入っていて、150円であった。
実は、今までにも、「スモモ」を目にすることはあったのだが、
これを買って、食べてみたことが無かった。
濃い赤色を呈しているそれは、なんとはなしに柔らかそうで、
ウマそうな外見をしているのだが、どうも味が想像できない。
「スモモ」というだけあって、形は桃に似ているのだが、
大きく、色も穏やかな「モモ」に比べると、
どうしても「スモモ」の色は、毒々しい感じがする。
それに、大方の「スモモ」は、ひとパックに6〜8個入っていて、
一人暮らしの人間が買うには、少々、数が多すぎる。
そんなわけで、ここまで「スモモ」を購入することを
控えていたのだが、今回見つけたものは幸い4個入りなので、
無理をしなくても、1人で食べ切ることが出来るだろう。
(まあ、見切り品だけに賞味期限が短く、
急いで食べないといけないのだが……)
自分は迷わずこれを購入し、家に持ち帰って冷蔵庫に放り込んだ。
ここの所の猛暑は強烈だ。
たつの市では、まだ気温が35度を超えるようなことは無いが、
全国的に言えば、あちこちで猛暑日が記録されている。
今回購入した「スモモ」は、パッと見た感じ、
かなりジューシーそうな様子である。
これを冷蔵庫でキンキンに冷やし、満を持してかぶりつけば、
さぞかしウマいに違いない……はずである。
冷蔵庫の中に放り込んでおくこと3時間。
おそらく、もう「スモモ」は芯まで冷えきっているはずである。
ウキウキしながら冷蔵庫から取り出し、
さて、ハタと考え込んだ。
これは、このままかぶりついて良いものだろうか?
それとも「モモ」のように、皮を剥いて食べるものなのか?
迷った挙げ句、とりあえず「モモ」と名乗っているのだから、
「モモ」と同じように、皮を剥いてみることにした。
早口言葉にもあるではないか。
「スモモも、モモも、モモのうち」と。
もともと「スモモ」がそういう性質なのか、
あるいは見切り品のため、全体が熟れて柔らかくなっているのか、
手に持った「スモモ」の表面は柔らかく、
ちょっと爪をたててみれば、すぐに皮に切れ目が入る。
これは包丁などを使って皮を剥くより、手で剥いた方が良さそうだ。
めくれ上がったら皮を指先でつまみ、ゆっくりと引っ張ってみると、
ペロリと簡単に皮が剥けていく。
ただ、皮自体が非常に柔らかいので、優しく剥かないと
すぐに皮がちぎれてしまう。
ゆっくり、丁寧に皮を剥いていき、ひとつキレイに剥き終わった。
皮を剥いて手に持った感じは、少々小振りではあるものの
まさしく「モモ」のそれである。
それも、よく熟れた「モモ」のそれだ。
すなわち、かなりジュクジュクで、かなりウマそうだ。
「モモ」ならば、1つのサイズが大きいため、
ここから包丁で切り分ける所だが、「スモモ」は小さいので、
そのままポイと、口の中へ放り込むことが出来る。
迷わず口の中に放り込み、ゆっくりと噛み締めると、
冷たく甘い「スモモ」の果汁が口の中に溢れる。
この甘さは、全く「モモ」と同じものである。
幸せな気持ちで、口の中で咀嚼を続けていると、
突如として、口の中に酸味が走った。
「スモモ」も「モモ」と同じように、中心部にタネがあり、
「モモ」の場合、ここの所は甘味が少なくなっているのだが、
「スモモ」の場合、ここに酸味があるようだ。
「スモモ」は、バラ科スモモ属に属する落葉樹だ。
この木になる果実を「スモモ」と呼ぶこともある。
先ほど、「スモモも、モモも、モモのうち」と書いたが、
「モモ」は同じバラ科でも、モモ属に属しているので、
正確に言うのであれば、「スモモ」と「モモ」は
全くの別物ということになる。
これを食べた際、中心部のタネの周りに酸味があった、と書いたが、
ここから「酸っぱい桃」変じて、「酸桃」となった。
中国では、これを「李」とするが、
「李下に冠を正さず」という言葉に出てきている「李」は、
「スモモ」の木のことを指している。
要は、「スモモの木の下で冠を正せば、その格好から
桃を盗んでいると思われてしまう。そんな疑わしく思われることは
しないほうがいい」という意味である。
英語では「プラム」と呼ばれ、
フランス語では「プルーン」と呼ばれる。
大きく分けるのであれば、中国を原産とする「日本スモモ」と、
カスピ海沿岸を原産とする「西洋スモモ」があり、
「日本スモモ」を「プラム」、
「西洋スモモ」を「プルーン」と呼ぶという話もある。
ただ、日本では「プルーン」といえば、一般的な「スモモ」ではなく
これを乾燥させたものを思い浮かべることが多いようだ。
日本に「スモモ」が伝わったのは奈良時代のこととされており、
「古事記」や「日本書紀」などにも登場している。
ただ、先に書いたように「スモモ」=「酸っぱい桃」であったため、
長い間、軽んじられており、栽培が始まったのは
グッと時代が下って、明治時代に入ってからのことである。
奈良時代に持ち込まれた際には、
食用としてではなく、観賞用として持ち込まれていたのかも知れない。
それが野生化し、明治時代になるまでは
完全に野山の一植物として扱われ、
あまり食されることも無かったのだろう。
少なくとも、ある程度、身分のある人たちは、
「酸っぱい桃」ではなく、普通の「モモ」を食べていたはずだ。
本格的な栽培(商業ベースの栽培?)が始まったのは、
さらに時代が下がって、大正時代になってからである。
ちょうどこのころ、アメリカ大陸に渡った「スモモ」が品種改良され、
日本へ戻ってきており、これが1つのきっかけになったのかもしれない。
さて、中心部こそ酸味が強かったものの、
周りの大部分は、全く普通のモモの様に甘味が強かった「スモモ」。
(見切り品になるくらい、徹底的に熟していたせいかも知れないが……)
後で調べてみると、わざわざ皮を剥かなくても、
そのままかぶりついても良かったらしい。
むしろ、皮の部分にはポリフェノールなどの栄養も
たくさん含まれており、栄養的に考えるのであれば、
積極的に食べていきたい所である。
ただ、皮の部分には中心部と同じく酸味があるらしいため、
これが苦手な場合は、皮を剥いて食べた方が良いだろう。
(自分も、少しだけ、皮がついたまま食べてみたが、
特に強い酸味は感じなかった。
実が熟し過ぎなくらい、熟していたため、
甘さの方が勝っていたのかも知れない)
暑さの強烈なこの時期。
ジューシーすぎるほどにジューシーで、
甘味と酸味のある「スモモ」は、まさに水菓といえる。
風呂上がりにでも、キンキンに冷やした「スモモ」にかぶりつけば、
きっと、その間だけでも暑さを忘れることが出来るだろう。