寿司の形、と聞いて、どのような形を思い浮かべるだろうか?
にぎり寿司を思い浮かべた人は、卵形を思い浮かべるだろう。
巻き寿司を思い浮かべた人は、円筒形を思い浮かべるだろう。
稲荷寿司の場合も、卵形だ。
ちらし寿司の場合、不定形ということになる。
このように、様々な形状をしている寿司だが、
世の中には「四角い寿司」が存在する。
その代表的なものが、「バッテラ」である。
これは長方体に固められたすし飯の上に、
酢でしめたサバの身が、のった寿司である。
サバの上には、半透明の昆布が一枚、貼付けられている。
一般的なにぎり寿司よりも、ひとまわり小さい。
今回は、この「バッテラ」について書いていく。
子供のころ、法事などの集まりがあると、寿司を買ってきていたのだが、
その中に四角い寿司が入っていた。
アナゴの押し寿司と、バッテラである。
アナゴの方は、すし飯の上にアナゴがのった寿司だったが、
バッテラの方は、すし飯の上にのったサバの、さらに上に、
なんだかよくわからない「半透明のシート」が張り付いていた。
子供のころは、これが一体何であるか、全然わからなかった。
食べていいものなのか、はがして食べるものなのか?
何となく食べ物のようにも見えるし、ビニールのようにも見える。
何も考えず、口の中に放り込んでしまえば、よかったのだが、
なんだかよくわからないものを、口に入れるのには、抵抗があった。
だから「君子、危うきに近寄らず」ということで、
バッテラには手をつけなかった。
バッテラの上に張り付いているのが、昆布であるということを知ったのは、
結構、大人になってからであった。
何のことはない、後になって聞いてみると、
バッテラの上に張り付いているのは、「白板昆布」という昆布であるという。
これは、昆布を削って「とろろ昆布」をとった後に残る、
いわば芯の部分だ。
削りカス、といってしまっては語弊があるが、
とろろ昆布を作った時にできる、副産物であることには違いない。
白板昆布は、別名「バッテラ昆布」と呼ばれるように、
そのほとんど全てがバッテラに使われる。
この白板昆布を、締めサバの身の上にのせることで、乾燥を防ぎ、
酢の酸味を押さえ、昆布の旨味を付け加える。
バッテラにはかかせない、重要な要素である。
バッテラが初めて作られたのは、明治28年である。
その年、コノシロの一種である「ツナシ」が豊漁であった。
獲れすぎて、ただ同然の値段に下がったツナシを、寿司屋が大量に仕入れ、
それを寿司ダネとして使った。
しかし、ツナシは漁獲量の変動が激しい魚であり、
毎年安価に、かつ大量には入手できなかった。
そのため、比較的漁獲量が安定している「サバ」を、ツナシの代わりとした。
これがバッテラ誕生の瞬間であった。
「バッテラ」という名前だが、これはポルトガル語でボートのことを意味する。
当時のバッテラは、サバの腹にすし飯をぎっちりと詰め込み、
それに重しをして作った。
そのため、サバについているヒレが、重しをされることによってピンと伸び、
ボートのオールのように見えた。
サバをそのまま使ったため、形が流線型であり、
ますますボートのように見えたのだろう。
これを見た客の1人が、
「この形、船に似ている、バッテラやな」
ということになり、このサバの押し寿司は「バッテラ」と呼ばれることになった。
……。
そもそもどうして明治時代の大阪人が、ボートのことをバッテラと呼んだのか?
実はその当時、大阪市内の川を走っていたボートのことを、
「バッテラ」と呼んでいたのだ。
つまり、当時の大阪では「バッテラ」という言葉は「ボート」の意味で、
ごく当たり前の単語であった。
やがて時代が下るにつれ、「ボート」の単語が浸透していき、
「バッテラ」は寿司の名前に残るのみとなった。
そんな「バッテラ」であるが、
回転寿しでは、まずお目にかかれない。
大手回転寿しチェーンのメニューの中には、「バッテラ」は入っていない。
ベルトコンベアーのない、普通の寿司屋でも、
バッテラを扱っている所は少ないだろう。
逆に、持ち帰りの寿司店などでは、置いてある所が多い。
関西圏では、スーパーの寿司コーナーでも、「バッテラ」を売っている。
一人暮らしをしていたときは、
よく仕事帰りに買って帰り、晩ご飯にした。
パックに入っているスーパーのバッテラは、
家に持って帰るころには、上の白板昆布がずれたり、剥がれたりしていた。
それを箸先できちんとなおし、口に運ぶ。
にぎり寿司と違って、食べるのに醤油も何もいらない所が、
実に簡便である。
咀嚼すると、口の中に広がるすし飯の味と、酢でしめたサバの酸味。
一日の疲れが癒される、やさしい酸っぱさだった。