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楽しいUMA シーサーペント 〜その2

更新日:

前回、海棲UMA「シーサーペント」の概要について
ざっと取り上げてみた。

その結果、「シーサーペント(大ウミヘビ)」と名付けられながらも、
その目撃証言から得られた情報は、
どれもヘビ・ウミヘビ・ウナギ(ウナギの中にもウミヘビ科がある)
の特徴とは一致せず、どちらかといえばクジラなど海棲ほ乳類の
性質を持っているという、おかしな結論になってしまった。
今回は、「ネッシー」や「ビッグフット」を取り上げた際に
やったように、その目撃証言を年代順に並べてみて、
そこから「シーサーペント」について、検証してみたい。

「シーサーペント」の記述については、古代からある。
旧約聖書のヨブ記・イザヤ書などには、
巨大な生物としてのレビヤタン(リヴァイアサン)についての
記述がある。
これは古代オリエントの世界で、
ヘビかワニのような姿をした伝説の怪物の名前で、
海に住む竜と、並んで記されている。

また、アッシリアの王・サルゴン2世は、
キプロスに向かう航海の途中で、
「シーサーペント」に遭遇したという。
これなどは紀元前700年ごろの話なので、
現在から2700年前のことになる。

しかし、大マジメな話、
2700年前の書物に書かれている記述を、そのまま目撃談として
もちいるのには無理がある。
なんといっても、そのころの歴史書には怪物やら奇跡やらが、
ごく当たり前に出てくるものが、珍しくないからだ。
これらを目撃談として取り上げるのは、
日本神話に書かれている「八岐大蛇」をUMAとして
取り上げるのに等しい行為である。
それでは、謎の生物の話ではなく、ただの昔話になってしまう。
そういうわけで、これらの古代の記述については、
あくまでも「そういう記述があるよ」というくらいの認識に留め、
詳しい検証は避けることにする。

記録の上で「シーサペント」の記述が多くなってくるのは、
15〜17世紀の大航海時代以降である。
やはり、大海原に漕ぎ出してゆけば、
その手の目撃談も多くなるものらしい。
特に目撃談が多いのは、ヨーロッパの北の海域と、
大西洋の北部から中央部にかけての海域である。
これまた大航海時代には、
もっとも多くの船が行き交っていた海域である。
ただ、前回も書いた通り、「シーサーペント」とは
「大ウミヘビ」という意味であるのだが、
これの元となったウミヘビは熱帯・亜熱帯の海域にしか
生息していない。
緯度でいえば、ちょうど地中海辺りが
日本と同じくらいの緯度となるので、
常識的に考えれば、それより北には
ウミヘビは生息していないと思われるのだが、
どういうわけか「シーサーペント」は、これよりも遙か北の海でも、
その姿を目撃されている。

ただ、この時代の目撃証言というのも、
正直、そのまま信じてしまうのは、無理である。
まだまだこの時代には、神や悪魔、怪物や化け物などが
普通に信じられていた時代である。
そういう社会情勢であれば、1人の嘘つきの作った話が、
世間に大きく取り上げられ、
事実のようになってしまうこともあり得る。
だから、この時代の目撃談にしても、
とりあえず、ということで紹介しておく。

1500年代後半のことである。
北大西洋でスペインの「無敵艦隊」が「シーサーペント」に遭遇、
海上に頭を出し、2枚のヒレを広げて泳いでいたそれに対し、
無敵艦隊は砲撃を開始。
謎の巨大生物に対して、いきなり武力攻撃を仕掛けるというのは
まるで怪獣映画を見ているような気もするが、
とにかく、その砲弾の1つがヒレに命中、
「シーサーペント」は重傷を負った。
逃走を開始した「シーサーペント」は、ジブラルタル海峡を抜け
アルボラン海まで逃走、しかし無敵艦隊もこれを追跡し、
バレンシアの浜辺に追いつめたときに、息絶えたという。
浜辺に引き上げられた「シーサーペント」は巨大で、
胴の幅が4m前後あり、その巨大な口は馬に乗った人間が
そのまま入っていけるほどだったという。
胃袋の中から人間の死体が2人分出てきた、ということなのだが、
これが無敵艦隊の船員だったのかどうかは、明らかでない。
ただ、この話を見る限りでは、まぎれもなく「シーサーペント」を
殺して、その死体を引き上げている。
当然、普通ならばこれを詳しく調査するところだろうが、
どうもそういった話もないようだ。
胴の幅が4mあり、ヒレがあったという点だけ考えれば、
これはまるでクジラの様にも思えるのだが、
細かい「シーサーペント」の概要が無いので、
なんとも判断し難いところだ。

1639年、アメリカ・マサチューセッツ州のアン岬で
「シーサーペント」が目撃された。
これがアメリカで初の目撃談ということになるのだが、
このとき目撃したものを絵に描き写したものがあり、
それをみると、大きなヘビのような生物が
水中から大きく鎌首をもたげており、
その後方では水面から出た身体が、4つのアーチを作っている。
それを見る限りでは、なるほど上下運動によって
泳いでいるように見える。
絵の中では、「シーサーペント」の手前側に
5〜6人の成人男性が乗っているボートが描かれており、
それからサイズを推測してみると、少なく見積もっても
全長50m以上はあるようなサイズである。
これまた、全長だけでいえばゴジラサイズである。

この手の目撃事件は、19世紀に入ってからも起こっている。
これくらいになってくると、かなり科学が信じられるようになり、
目撃談の信用性も、上がってくると考えてよい。

1808年、スコットランドのヘブリディーズ諸島の近海で、
ドナルド・マックレインが操縦していた船が、
全長24mの怪獣に追いかけられた。
彼が岸まで逃げたところ、怪獣もうっかり浅瀬に入り込んでしまい、
そこで暴れた後、海へと戻っていった。
その怪獣は上下運動で泳いでいたことから、
は虫類だったのではないか?と、いうことになっているのだが、
上下運動で動いていたというのなら、
それは海棲ほ乳類ではないのだろうか?
怪獣のサイズや動きについては、やたら細かい報告があるのに、
その形状や色に関しては一言も触れられていない。
なんともミョーな目撃談である。

1848年、大西洋を北上していたイギリスの軍艦デイダラス号が、
巨大生物を発見した。
その生物は1.2mほど海上に頭を出しており、
胴体の直径は40〜50cm、体長は18m以上で、
背中にはたてがみのようなものがあったという。
艦長以下、4名の士官と3名の水兵が、この生物の動向を
20分ほど観察した。
イギリスに到着した艦長は、この目撃事件を公式に発表。
この発表はイギリスの新聞にも掲載され、
「シーサーペント」の目撃例としては、かなり有名なものになった。

同じ1848年、アメリカの帆船・ダフネ号が、
ポルトガルのリスボン沖で、全長30mほどの「シーサーペント」に
遭遇した。
およそ、36mの位置にまで近付いたところで、砲撃を開始した。
だが、「シーサーペント」はそのまま逃げ去っているので、
この砲撃は命中しなかったようだ。
36mといえば、大砲にとってはごく至近距離だが、
それでも当てることが出来なかった辺り、
射撃手の腕は、大したことは無かったようだ。
船長の証言によれば、まるで竜の頭を持つ巨大なヘビだったと、
いうことである。
ひょっとするとそれは、ヘビではなく竜そのものだったのではないか?
同じ年に、同じ大西洋で、似たような生物に遭遇している。
(ただ、それぞれのサイズが違うため、形状が似ていても
 全く別の個体であろう)
ただ、こちらの方は相手をよく確かめもせずに砲撃している。
(しかも、おそらくは他国の領海内で)
ここら辺は、イギリスとアメリカの国民性の違いだろうか?

さて、ざっと古代から19世紀半ばごろまでの目撃例を、
書き出してみた。
次回は、この続きから現代までの目撃例を挙げていく。

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