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雑感、考察

能楽 ~その2~

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前回、能楽について書いた。

だが前回の記事では、能楽の何より重要な点についてわざと書かずにおいた。

ひょっとしたら前回の記事を読んだ人の中には、

不思議に思った人もいたかもしれない。

そう、今回は前回書かなかった能楽の何より重要なポイント、

能面について書いていきたいと思う。

よく無表情な人の顔を、「能面のような」などと表現することがある。

一般に能面、と言われて頭の中に思い浮かべるのは、

「小面」と呼ばれる若い女性の面である。

この「能面のような」という表現の場合、この「小面」の面をイメージして

使っているのだろうと思われる。

たしかにこの「小面」の面は一見無表情のように見えて、不気味でさえある。

しかしである。

ぜひもう一度、「小面」の面を冷静に見直してみてほしい。

本当に無表情だろうか?

目尻は明らかに下がり気味になっているし、口元は間違いなく笑っている。

そう、明らかに「小面」の面は笑っているのだ。

実は自分が能楽に興味を持った原因は、「能面」である。

図書館で能面の写真集をパラパラとめくってみたのが、その出会いだった。

そこには前述の「小面」をはじめ、ありとあらゆる能面の写真があった。

驚いたのは、その表情の豊かさである。

怒り、悲しみ、絶望、笑い、喜び……。

ありとあらゆる表情がそこにあった。

「能面=無表情」という、一種の公式じみた思い込みがあった自分は

なんとも目から鱗が落ちたような思いだった。

さらに意外だったことは、非人間的だと思っていた能面の表情は、

自分が思っていたよりもずっと人間的で、いきいきとしていたことだ。

そもそも能楽では、全ての役柄を面をつけて演じるわけではない。

それは実際に能の舞台を見てもらえればわかる。

舞台に上がっている演者のうち、何人かは面をつけずに演じている。

こういう面をつけていない演者を、直面(ひためん)という。

では何故、面をつける演者と、つけない演者がいるのか?

演者と演じる役割の年格好が似通っている場合、基本的に面はつけない。

例えば中年男性の演者が、中年男性の役を演じる場合などである。

こういう場合には基本的に、直面で演じる。

しかしこの直面というのは、面を省略しているだけである。

つまり自分の顔を面のかわりにしているのだ。

だから能を上演中の直面の演者の表情は、

それこそ能面のようにかわることがない。

面をつけるのは、これ以外の場合である。

女性の役を演じる場合、全て面をつける。

能役者には女性がいないからである。

同じように、人ならざる者を演じる際も、全て面をつける。

神、精霊、天女、亡霊、生霊、妖怪、怨霊、動物等々。

特に人ならざる者の場合、その瞳の白目の部分が金色に塗られている。

それがひとつの符号のようになっていて、

観客はそれでその役が人ではないと知ることができる。

老人や子供の役の場合も、面をつけることがある。

能の場合、子役がいるので、子供の役の場合子役に演じさせることが多いが

中には役柄上、慈童や菊慈童の面をつけることがある。

もちろん、この場合は演者は大人である。

さらに特例として、特定の役柄を演じる際に、上記の例を外れて面を

つける場合がある。

敦盛、中将、などがそれで、それぞれ特定の演目に使われることが多い。

さて、能面を語る場合、先述した「小面」と並び有名なものが「般若」だろう。

これは能舞台のみならず、時代劇などで主人公がかぶって出てきたりもする。

このあまりに有名な「般若」を、鬼だと思っている人も多い。

確かに「般若」は鬼だが、これは鬼女である。

しかも「小面」を始めとする、女面から繋がっている鬼女である。

いわば「小面」も「般若」も同じ存在なのである。

能面の中には「小面」から「般若」までをつなぐ、変身途中の面も存在している。

小面 → 泥眼 → 生成 → 般若

この流れで、女は鬼へと変身していく。

先に書いた通り、「小面」は一番有名な女面である。

「泥眼」は「小面」がカッと目を見開き、口を大きく開き始めた形態だ。

「生成」はさらに眼を見開き、口には牙が生え、額には角が生え始めている。

そして「般若」、これもまた一番有名な鬼女の面である。

そして「般若」はここからさらに変化する。

顔つきがさらに人間離れし、額に血管を浮き上がらせ、口から舌を出す。

「真蛇」と呼ばれる、蛇の化け物になる。

いわば女の怨念の最終形態と言える。

恐るべきは、女の怨念の、表現の丹念さである。

これに比べれば、男の怨霊の怖さなど子供だましのようなものだ。

恐らくは太古の昔より、男は女の怨念に震え上がってきたのだろう。

とある能楽の本に不思議な話が書かれていた。

「能楽があって能面があるのではない。

 能面がまずあって、能楽はその後にできたのだ」

この世界最古とも言われる仮面劇、その面は劇のために作られたものではなく、

もともと面があり、その後、それを使って劇をするようになった、と言う。

ではもともと能面とは、一体なんだったのか?

能面は謎をはらんだまま、現代もなお存在し続けている。

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