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アジ

更新日:

どういうわけか、我が家はアジに縁が薄く、
サバと縁が深かった。

何のことやらワケがわからない、と思われるかも知れない。
自分が子供のころ、食卓にアジが上がることがなかったのだ。
アジの干物が出てくることもなかったし、
アジの塩焼きも、アジの刺身も、アジのたたきもなかった。
アジは「大衆魚」なんて風にいわれるが、
戦後日本の平均的な中流家庭(?)であった我が家の食卓に、
全くアジが上がらなかったというのは、不思議な話だ。

そのかわり、というわけでもないのだろうが、
我が家の食卓には、とにかくサバが多かった。
さすがに刺身こそなかったものの、
シメサバ、塩焼き、煮付け、水煮缶詰、バッテラと、
とにかくサバはよく食卓に姿を現した。
生まれてから今までで、自分がもっとも口にした魚は、
間違いなくサバだろう。

本来なら、アジもサバも同じ大衆魚なのだから、
同じくらいの頻度で、食卓に上っていても不思議ではない。
どうして、かくも極端にサバに偏ってしまったのか?

我が家で、こういう極端な「食」の偏りが存在していた場合、
その原因は、大概、大人にあった。
うちの両親は、子供には好き嫌いを許さない方針であったが、
自分たちの好き嫌いには、驚くほど寛容であった。
従って、両親の嫌いな食べ物というのは、
食卓に全く姿を見せることがなかった。
そういう食生活を準備していた上で、
「自分たちには好き嫌いなんてない、
 だから子供たちも好き嫌いをいわずに食べるように」
という教育をしていたのである。
そりゃあ、自分たちの嫌いなものを全く用意しないのだから、
何でも平気で食べられる筈である。
出来レースか八百長かという、卑劣なやり口であるが、
我が家の三兄弟たちは、
さすがに大人は何でも食べるもんだなぁ、なんていう風に、
感心してしまっていたのである。
もちろん、我が家の3兄弟が大人になり、
その「真相」を知ったときには、大いに幻滅したものである。

ともあれ、そういう我が家の事情から考えてみると、
両親がアジが嫌いだったか、サバが大好きだったかとの
疑惑が沸く。
しかし、中学生ぐらいのときに、
友人と行った「サビキ釣り」で、
アジ・サバをタップリと釣って帰った際、
サバはもちろん、アジについても普通に料理して、
食卓に上がっていた所を見ると、
どうやらアジが嫌いなわけではなく、
ただサバが好きで、サバのみを偏食していただけのようである。
それ以降も、自分が釣って帰る以外では、
我が家の食卓にはアジが上がることはなかったので、
我が家のアジ料理に関しては、
自分の好きだった「アジフライ」か、「アジの南蛮漬け」しか
並ばなかったのである。

アジというのは、スズキ目アジ科に属する魚類の総称である。
こういう風に分類してしまうと、
「アジ」の中に含まれる種類が大変な数になってしまうが、
日本で一般的に「アジ」といえば、マアジのことを指している。
よって、ここから先は、このマアジを中心とした話になる。
アジ類ということになれば、これは全世界的に分布しており、
世界中の熱帯から温帯にかけての、
比較的温かい海に生息している。
日本でよく知られる「マアジ」ということになれば、
意外にその分布域は狭く、南シナ海から北海道にかけての
日本近海ということになる。
スーパーなどでパックに入れられて販売されているアジを見ると、
そのサイズは5㎝程度の小アジから、
30㎝ほどのものまでくらいになるが、
実は最大サイズまで成長すれば、50㎝ほどにもなる。
身体は紡錘形であるが、身体の幅(厚み)に関しては
厚みのあるものも、薄く平べったいものも存在している。
身体の側面尾ビレ側に、硬い刺状の鱗が並んでおり、
これを「稜鱗(りょうりん)」と呼び、
アジの大きな特徴の1つとなっている。
この「稜鱗」は、「ぜいご」「ぜんご」などとも呼ばれ、
食べる際には削ぎ落としてしまうのが、普通である。
一般的には外洋を回遊している「回遊魚」として知られているが、
中には回遊せず、岩礁などに住み着いてしまう
「居着き型」のアジも存在している。
「回遊型」のアジは体色が黒く、細長い体型をしているが、
「居着き型」のアジは体色が黄色く、体高が高くなっている。

日本では、四季に関わらず大量に水揚げされるが、
「サビキ釣り」の回でも書いた通り、旬は夏とされている。
手に入りやすいこともあり、日本では非常に重要な魚の1つだ。
それゆえにその調理方法も多岐に渡っており、
刺身、たたき、寿司だね等の、生食するものを始め、
唐揚げ、南蛮漬け、フライ、ムニエル、塩焼き、煮付けなど、
和洋中を問わず、様々に調理される。
一方で、干物に加工したり、くさやなどに加工されることもある。
(くさやはマアジではなく、ムロアジを漬け込んだものだが……)

アジがいつごろから、食べられていたのかは
はっきりとは分かっていないが、
横須賀市鴨居にある中台貝塚からは、
アジ科の魚の骨が出土しており、
有史以前から、日本人がアジを食べてきたことは
確実である。
藤原宮跡から出土した木簡、平城宮跡から出土した木簡には、
それぞれ「阿治」「安遅」と「アジ」について記されたものが、
見つかっており、税の一種として
「アジ」が収められていた証拠だろう。
藤原宮、平城宮ともに海からは相当離れた場所であるため、
恐らくは干物に加工された「アジ」が、
収められていたと考えられる。
平安時代になると、漁獲量が増えることにより、
干物の生産量も増え、都の市には干物の店も出ていたという。
これらは貴族の間では酒肴として大変珍重され、
「源氏物語」の中にも、貴族たちの宴の酒肴として
干物が登場している場面がある。
平安貴族たちも、アジの干物で日本酒を飲んでいたのだとすれば、
恐らくは、それなりに高価な食品であった可能性もある。

鎌倉時代に入ると、「アジ」は一気に大衆化していく。
この時代の日常の食品について、
比較的良く書き残している「庭訓往来」では、
カツオ・マグロ・サバなどとともにアジの名前も記されている。
貴族たちの酒肴であったアジは、武士の世になり、
庶民も口にすることが出来るようになったのである。
逆に、貴族の間や、高貴な人々の間では
アジはほとんど食べられなくなり、
これ以降、アジは「大衆魚」として、
庶民の食卓に上がり続けることになるのである。

さて、アジと、同じ大衆魚であるイワシには、
面白い関係性がある。
約40年ほどの周期で、イワシがよく獲れる時期が来たり、
アジがよく獲れる時期がきたりしているのである。
これは地球の環境の変化によるもので、
地球は40年ごとに暖かい時期と、
冷たい時期を繰り返しているのだ。
暖かい時期にはアジの漁獲が増え、イワシの漁獲が減る。
逆に冷たい時期にはイワシの漁獲が増え、アジの漁獲は減る。
平成時代に入り、地球は暖かい時期になり、
アジの漁獲は増えている筈の時期になった。
だというのに西播地方では、年々アジは釣れなくなっている。

このまま、再び地球が冷たい時期に入れば、
もう全く、アジなど釣れなくなってしまうかも知れない。
そのような事態だけは、何としてでも避けたいものである。

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