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プリン

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子供の好きなお菓子は数あるが、
特に我が家で人気だったのは「プリン」である。

うちは子供が3人いたので、
母親はよく、3つ入りのプリンを買ってきて、
子供に食べさせていた。
花型の透明容器に入っていて、
底についている突起を折ると
皿の上に落ちてくる、あのプッチンプリンである。
最初のころは、皿の上にひっくり返して、
プッチンしていたのだが、
やがてそれもやらなくなった。
プリンを買ってきた母親から、
フタを開いて、そのまま食べるようにと
厳命されたからだ。
何のことはない。
プリンをいちいち別の皿の上にひっくり返していては、
その度に皿を洗う『手間』が発生する。
うちの母親は、どうもこの『手間』を嫌ったらしい。
こちらとしても、皿の上に移したからといって、
プリンの量が増えるわけでもない。
そのままフタを開け、スプーンを突っ込んで
あっという間に中身を平らげた。
やがて、子供が大きくなり、
小さなプリン1個では、
量が足りないと文句が出はじめると、
我が家での、オヤツとしてのプリンは
その役目を終えた。

プリンの歴史を辿ってみると、
「プティング」というものに行き当たる。
現在でも、ちょっとシャレた店では、
プリンのことを「カスタード・プティング」と
表記している店もある。
しかしこの「プティング」、
我々が頭に思い浮かべている「プリン」とは、
まったく違った「料理」なのである。

「プティング」について、その起源を調べてみると、
大きく2つの説が浮かび上がってくる。

ひとつはイギリスのごく普通の家庭で、
パンの欠片や屑を無駄にしないように、
卵と一緒に溶いて蒸し上げた、というものだ。
これは、お菓子として作られたものではなく、
あくまでもパン屑等を無駄にしない「料理」であった。
味付けも砂糖ではなく、塩でされており、
今日でいうプリンとは、かけ離れたものであった。

もうひとつは、16世紀後半に
イギリスの船乗りたちの非常食として
作り出された、というものである。
こちらの説でも、パンの屑や肉の欠片など、
本来であれば捨ててしまうようなものを
溶いた卵の中に混ぜ込んで、蒸し上げたものである。
こちらもお菓子ではなく「料理」として作られている。
一度、港を離れれば、食料の補給の出来ない
「船」という環境では、
わずかなパンの欠片といえども、
決して無駄には出来なかったのだろう。
「船」という閉鎖環境での、苦しい食料事情が伺える。

この2つの説に、共通している部分がある。
「卵」を溶いたものに、まぜこんでいること、
パン屑を無駄にしないための「料理」であること、
この2点である。

「卵液」に混ぜ込んであるため、
蒸し上げることによって、これを固めることが出来る。
タンパク質の熱凝固である。
ただ、長期航海をする船に、「卵」なんてあったの?
と、不審に思われる人もいるだろう。
現在でも、卵の賞味期限は意外に短く、
保存の際は冷蔵庫に入れておくというのが、
当たり前になっている。
これを船に積んでいって、
食料にすることが出来たのだろうか?

実は、卵のパックに記されている賞味期限も、
冷蔵庫の中で保存するという、保存方法にしても、
「卵を生食する」ことを前提にして考えられている。
この「卵を生食する」という習慣があるのは日本だけで、
世界中のほとんどの国では、卵は生食しない。
卵を生食せず、
しっかりと火を通して食べるという前提で、
その賞味期限を定めると、
常温でも1ヶ月ほど保存しておくことが出来るのである。
これだけの期間、常温保存が可能なのだから、
船に積み込む食料の中に、
「卵」があったとしても不思議ではない。

もうひとつの共通点が、パンの屑である。
どちらの説も、パンの屑を無駄にしないという
目的のために「プティング」を作り出している。
しかし、ここでも疑問が浮かび上がってくる。
そもそも
「パンって、そんなにボロボロ屑がでるか?」
ということである。
パンは我々の食生活でも、
お馴染みの食品になっているが、
これを食べる際に、屑をポロポロこぼすというのは、
子供がトスートなどを食べる時くらいだ。
その量にしたって、実際は微々たるものだろう。
果たして、パン食になれた西洋人が、
そんなにボロボロとパン屑をこぼすのだろうか?
これが家庭なら、
食べるのがヘタクソな子供がいるかもしれないが、
船の上には、子供はいないのである。

実はこれについても、簡単に説明できる。
恐らく、船で食べるパンというのは、
保存性を上げるために、しっかりと焼き上げられた
「固パン」だったのである。
現在のものでいえば、乾パン、ビスケット、
ラスクに近いものだったのではないだろうか?
これらは湿気させなければ、
かなりの期間、常温で保存できる。
これらを湿気させないように、
密封した箱の中などに保管しておいたのだろうが、
そこは揺れる船の中である。
かなりの固パンが、衝撃で砕けたはずである。
形の残っている固パンを取り出した後には、
大量の砕けた固パンが残ったに違いない。
船の中でプティングを作ったとすれば、
この砕けた固パンの粉末を使ったに違いない。

以上のことを考えた場合、
イギリスの一般家庭で生まれたとするよりも、
長期航海中の船の中で生まれたとする説の方が、
より自然なのではないかと思われる。

しかし、ここで生まれた「プティング」は、
あくまでも廃物を再利用した「料理」であり、
お菓子としての、「プリン」ではない。
この「プティング」が、
お菓子である「プリン」に生まれ代わったのは、
イギリスと海を隔てた、フランスでのことである。

18世紀の末、数々の名料理人や
製菓職人が存在したフランスにおいて、
卵、牛乳、砂糖、香料を使い、カラメルをのせた
「プリン」が作り出された。
当時のフランスは、アントナン・カレームをはじめする
製菓職人や料理人が、様々な新菓子を創出していた。
そのフランス菓子界の流れに乗るような形で、
「プリン」は生み出されたのだ。
その際、隣国イギリスの「プティング」と呼ばれる
蒸し料理が、その発想のきっかけになったのだと思われる。

この「プリン」が日本に伝えられたのは、
江戸時代末期から、明治時代初期にかけてのことだ。
文献上、「プリン」が初めて確認できるのは、
1872年に発行された「西洋料理通」で、
その中に「ポッディング」「プッジング」と
書かれているのがそれである。
言葉を聞く限り、「プティング」という言葉が、
伝えられたようだが、
後に「プリン」と呼ばれるようになった。
「プティング」がやがて「プティン」となり、
さらにこれが変じて「プリン」になったのだろう。
1900年代の初めには、
洋食の料理本に「プリン」の作り方が掲載されたが、
実際に「プリン」が一般に普及していくのは、
1964年に、ハウス食品から
「プリンミクス」が発売されてからである。

さて、子供時代にオヤツのプリンと決別してから、
とんとプリンとは縁のない生活が続いている。

スーパーに買い物に行くことがあっても、
プリンの並んでいるコーナーは、
ほとんど素通りしてしまう。
いい歳した男が、真剣にプリンを物色するのは、
なかなか勇気のいることのなのだ。
その点、和菓子や高級そうな洋菓子は
お茶請け、コーヒータイムのお菓子、とごまかせるのだが、
あの昔懐かしい花型容器のプリンだけは、
その手の「いいわけ」を許さない雰囲気がある。

もっと子供時代に真剣に味わっておけばよかった。
プリンを見ていると、そういう後悔が湧いてくるのである。

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