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辛子明太子

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By: Kanko*

我が家に「辛子明太子」を持ち込んだのは、自分である。

それまでの我が家では、
「たらこ」を食べることは稀にあったが、
「辛子明太子」を食べることは全く無かった。
その「たらこ」にしても、生で食べることはなく、
魚焼きグリルなどで、カリカリに焼いたものを食べていた。
「焼きたらこ」だ。
ほんのりと塩っ辛い「それ」は、ボソボソとした口当たりで、
あまり美味しいものという認識は無かった。

そんな自分が、初めて「辛子明太子」を食べたのが
大学に入学し、福岡に引っ越してすぐのことである。
自分の住んでいた学生アパートの大家さんが、
その年の新入生たちを自宅に招待して、
色々と御馳走してくれたのだ。
大学新入生の歓迎会でありながら、
ビールや焼酎がずらりと並ぶ、恐ろしい歓迎会であった。
現在では、ちょっと考えられないかも知れないが、
そのころは、そういう時代だったのである。
九州の山の幸、海の幸が並んだ御馳走だったのだが、
その中に大きな皿に盛られた、おにぎりがあった。
当時の自分は、全く酒が飲めなかったので、
酒を飲む代わりに、このおにぎりを食べて
腹を満たすことになったのだが、
このおにぎりに具材として埋め込まれていたのが、
大振りに切り分けられた「辛子明太子」であった。

それまで住んでいた龍野市には、
まだコンビニエンスストアも少なく、
コンビニおにぎりというものとは縁遠い生活をしていたし、
スーパーで販売されているおにぎりも、まず買うことは無かった。
おにぎりといえば、家で母親が作ってくれるものが全てで、
具材といえば、梅干し、おかか、塩鮭、
塩昆布くらいのものだった。
これらの具材にしても、入っていればいい方であり、
ほとんどの場合は、何も具材を入れずにおにぎりを握り、
これに味付け海苔を巻いたものであった。

母親が作ったおにぎりよりも無骨で、
やや大振りなそれにパックリとかぶりつくと、
大きな梅干し大の「辛子明太子」が姿を現した。
鮮やかな赤色に染まったそれは、
全身にトウガラシをまとっていて、ピリリと舌を刺激する。
もちろんトウガラシの辛さもあるのだが、
「たらこ」そのものの辛さ、
漬け込まれた調味液の辛さが相まって、
それまでに味わったことの無い種類の「辛さ」であった。
このピリリとした辛さは、おにぎりの白飯に驚くほどあっていた。

当然、食べたことはないにせよ、
それまでに「辛子明太子」というものの名前は知っていた。
たんに「明太子」とも呼ばれるそれは、
雑誌やTVなどで紹介されることもあったからだ。
知っていながらも、食べてみたいと思わなかったのは、
当時の自分の、わりと保守的な食習慣のせいだろう。
現在のように、インターネットなど無かった時代、
そういうグルメ情報は、TVのグルメ番組を見るか
グルメ雑誌を読んでみるしかなく、
我が実家においては、それらの情報に触れる機会が
少なかったからである。
奇しくも、九州福岡という遠隔地の大学に通うことにより、
ようやくそれらの情報に、
自由に接することが出来るようになるのだが、
この「辛子明太子」に関しては、
その冒頭でガーンとやられた結果になった。

「辛子明太子」とは、「たらこ」をトウガラシや
その他の調味料で味付けしたものである。
多くの場合、「明太子」といえば、
この「辛子明太子」を指していることが多いのだが、
福岡を中心とした西日本の一部では、
「たらこ」のことを「明太子」と呼んでいる場合がある。
つまり、そういう地域で「明太子下さい」といえば、
「たらこ」を出されてしまうのである。
なんだかややこしい話であるが、
「明太子」の名前の由来についてはいくつか説があり、
そのなかでもっとも有力視されているのが、
中国・朝鮮では、「たらこ」の親であるスケトウダラを
「明太魚」と呼んでおり、「たらこ」はその「子」であるために、
「明太子」となったという説である。
ただ、中国・朝鮮では「たらこ」のことは「明太卵」と呼んでおり、
「明太子」とは違っている。
つまり「明太子」というのは、
日本の「たらこ」という呼び名と、
中国・朝鮮の「明太卵」という呼び名が、
入り混じったものなのである。
このようなおかしな名前が作られたのは、
福岡や下関が中国・朝鮮との窓口のような存在だったからだろう。
中国・朝鮮の言葉と、日本の言葉が飛び交う環境であったからこそ、
このようなおかしな折衷語が作られたのだと考えられる。

この「辛子明太子」が、いつ、どこで作られたのかに関しては、
はっきりとしたことは分かっていない。
ただ、日露戦争から太平洋戦争の間、
日本領であった朝鮮に、
「辛子明太子」に近いものがあったようである。
朝鮮には白菜を、トウガラシと様々な材料によって漬け込んだ
キムチが存在していたが、これと同じように、
「たらこ」をトウガラシなどで漬け込んだものが存在しており、
これこそが朝鮮版の「辛子明太子」であった。
ただ、これは現在、日本で多く流通している、
調味液につけ込んで発酵させた「辛子明太子」とは違い、
ただ塩漬けの「たらこ」に、
トウガラシなどをまぶしただけのものだったようだ。
これが日本へと持ち込まれた。

持ち込まれた先は2つある。
1つは福岡、そしてもう1つは下関である。
両方とも中国・朝鮮との窓口であり、
大陸の食文化が入ってきやすい町だったのだが、
福岡は現在でも知られているように、
「辛子明太子」を名物としているのに対し、
下関の方ではそのような話は、とんと聞かない。
これはどういうことなのか?

実は、下関に持ち込まれた「辛子明太子」は、
韓国風の、塩漬け「たらこ」にトウガラシを
まぶしたものだったのだ。
一方で、福岡の方では独自の製法を考案し、
調味液の中に「たらこ」とトウガラシを漬け込み、
これを熟成させるものを作り出したのである。
下関のトウガラシまぶし型の「辛子明太子」は次第に衰退していき、
逆に福岡の漬け込み型の「辛子明太子」は、
最初こそ振るわなかったものの、
次第にその販売数を伸ばしていき、
新幹線が博多まで開通したのを期に、爆発的に売り上げを伸ばした。
現在では、「辛子明太子」といえば福岡、というイメージがあるが
まだ一部では、トウガラシまぶし型の「辛子明太子」も
製造されている。

さて、話を戻そう。
かくして「辛子明太子」の美味しさを知った自分は、
第1回の帰省のお土産に、
「辛子明太子」をお土産として買って帰った。
もちろん、有名な明太子の老舗で買ったものではなく、
アパートの近くのスーパーで買った、切れ子である。
冷静に考えてみれば、当時でも龍野のスーパーには
「辛子明太子」くらいあっただろうから、
わざわざ福岡から持って帰ってくることもなかったのだが、
一応、「本場もの」ということを強調したのだ。
そこそこの量を買って帰ったので、
それからしばらく、我が家では明太子を食べることになり、
以降、自分がいない時でも「辛子明太子」を
買って食べるようになったらしい。

これ以外にも、たまに変わったものを
帰省のお土産に買って帰ってきていたのだが、
結局、我が家に根付いたのは、この「辛子明太子」だけであった。

遠く離れた土地の食文化を根付かせるには、
やはり、それそのものが全国的に展開されない限り、
かなり難しいようだ。

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