うだるように暑い夏。
どれだけ暑くても、人間が生きていくためには、何か食べないといけない。
しかし、うだるように暑い夏、
台所での調理は、なるべく短い時間で終わらせたい。
そういう時、「~豆腐」とつくものは便利である。
普通の「豆腐」に、「胡麻豆腐」など、冷蔵庫の中に入れておいたものを、
小皿に取り出し、薬味やタレをかけるだけで、品数を増やせる。
火を使うような行程は全くなく、食べてもひんやりと涼感がある。
今回はそんな「~豆腐」の中から、「玉子豆腐」を取り上げてみる。
玉子豆腐は、「豆腐」という言葉を使っていながら、
その原料には、豆腐も大豆も使われていない。
この点、「胡麻豆腐」と同じである。
材料として使われているのは、卵とダシツユだけである。
卵液とダシツユを混ぜ合わせ、型に入れて蒸し上げると「玉子豆腐」は出来る。
実にシンプルな料理である。
これを冷蔵庫などで冷やして食べる。
フルフルとした極小の弾力と、とろけるような柔らかさが身上だ。
箸を使って食べてもいいが、正直、柔らかいため食べにくい。
小さめの匙を使って食べるのが、具合がいいようだ。
玉子豆腐の歴史は、江戸時代に始まる。
もともと日本人は、卵を食べない民族だったが、
日本にやってきた南蛮人たちが、カステラをはじめとする、
卵を使った料理を伝えた。
それまでの日本では、卵は身近にあるものの、
食べるものという認識ではなかったのだ。
卵を食べる、ということに目覚めた日本人は、
以降、様々な卵料理を作り出していくことになるのだが、
これが一般層にも広がっていったのは、江戸時代に入ってからであった。
江戸時代後期、1785年に出版された「萬寶料理秘密箱」の「玉子百珍」には、
「卵豆腐の仕方」がある。
古くはまだ固まっていない豆腐に、卵を入れて蒸したものをさしたらしい。
卵を使っている点から考えると、
こちらも江戸時代に作られたものだと、考えられる。
そうなると、玉子豆腐は江戸時代後期に作り出されたことになる。
同じように、ダシで溶いた卵液を蒸し上げる料理に、茶碗蒸しがある。
これは寛政年間(1789年~1801年)に大阪で作られたといわれ、
その後、江戸や長崎に広がっていったといわれている。
年代的に見れば玉子豆腐が作られたすぐ後に、作られたことになる。
前述の「萬寶料理秘密箱」は、器土堂(きとどう)なる人物が書いたもので、
彼は京都の人だった。
ということは、「萬寶料理秘密箱」も京都、もしくはその近辺で発売された
可能性が高く、それに玉子豆腐が載っていたということは、
玉子豆腐は京都辺りで作られた可能性が高い。
となると、全体的な流れとしては、こういうことになる。
1700年代中頃くらいに京都で玉子豆腐が発明された。
玉子豆腐のダシの効いた、ほんのりとした薄口の味わいは、
やはり上方風の味付けであるし、まず間違いはないだろうう。
これが「萬寶料理秘密箱」によって紹介され、
関西でメジャーなものになった。
その玉子豆腐をヒントにして、寛政年間に大阪で茶碗蒸しが作られた。
それが江戸や長崎ヘと、広がっていった。
長崎名物の卓袱料理の中に、「茶碗蒸し」があるという。
恐らくはこの時に、大阪から伝わったものだと思われる。
スーパーでは、玉子豆腐は、豆腐の側に、並べて売られている。
値段は安く、普通の豆腐とほとんど変わらない。
ポリエチレンなどの四角いチューブに入ったものや、
小さな個包装のパッケージが、3~4個セットになっているものもある。
どれもおしなべて安く、ついているタレも、どれも薄味のものばかりだ。
うだるような猛暑の中、つるんと食べることのできる、
冷えた玉子豆腐は、まさにベストチョイスである。
あるときは一枚のミツバを添えて。
あるときはネギと鰹節をまぶして。
あるときは刻んだミョウガを添えて。
あるときは茹でた枝豆を、一粒か二粒、添えて。
玉子豆腐に飽きてきたころには、猛暑も終わっているだろう。