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甘栗

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去年は、山の栗が散々であった。

どういうわけか、全くといっていいほど、
実をつけていなかったのである。
いつも、秋になれば山に登り、落ちている栗を拾い、
これで色々作るのだが、
結局、去年はそういうことも全く出来なかった。
話を聞いてみると、不作だったのは栗だけではなく、
他の山の幸にしてみても、実生は良くなかったようだ。
実際、例年はこれでもかというほど採れるアケビにしても、
採れたのは小さめのものが多く、数も少なかった。
気候のせいなのかどうかはわからないが、
この近辺の山では、様々な山の幸の不足となり、
クマなどが人里にやってくるのでは?という懸念がなされた。

不思議なことに、
うちの裏の畑に植えられている栗の木などは、
例年にないほどの大豊作で、
はち切れんばかりに大きくなった栗が、
イガの中から、そのツヤツヤとした外皮を覗かせていた。
野生の栗と、栽培種の栗とでは、
気候に対する適応性も違っているようである。

さて、今年の話だ。
今年も裏の畑の栗の木は、たくさんのイガをつけている。
イガはまだ緑色で、全く割れていないため
その中がどのように生育しているのかは、分からないのだが、
イガ自体は去年のものより、やや小振りな気がする。
去年ほどの大豊作ではないのだろうか?
と、いうことになると、逆に山の栗は……。
いやいや、まだ確かめもしないうちに
そういう結論を出すのは早計に過ぎる。
いずれ近いうちに、山へと様子見に行かないといけないだろう。

以前、「クリ」について書いた際、
様々な栗を使ったお菓子についても書いた。
焼き栗やマロングラッセ、モンブランなどは、
どれも栗を使った代表的なお菓子であり、
それぞれ、手間こそかかるものの家庭でも作ろうと思えば、
作れないことはない。
現にインターネット検索で調べてみれば、
マロングラッセにしろ、モンブランにしろ、
そのレシピはかなりの数がヒットする。
それに従って作っていけば、
どちらも家庭で作ることが出来るのだ。
しかし、栗を使ったお菓子の中で1つだけ、
全くレシピのないものがある。
それが「甘栗」である。
あれ?「甘栗 レシピ」で検索してみると、
結構な数のレシピが出てくるよ?という人もいるだろう。
そういう人は、出てきたレシピを良く見てほしい。
どれも「甘栗」を作るためのレシピではなく、
「甘栗」を使って作る料理なり、お菓子なりのレシピである筈だ。
つまり、あれだけいるネットユーザーの中にも
「甘栗」を自宅で作ったという人間はいないのである。
どうして「甘栗」は、家庭で作ることが出来ないのだろうか?

お正月近くになると、スーパーなどの一画で
機械仕掛けの釜を動かしながら、「甘栗」を作っているのを
目にすることがある。
釜の中では、たくさんの栗が小石と一緒にかき混ぜられ、
周囲には独特の甘い香りが漂っている。
ちょっと見ただけでは、「石焼き芋」に似ている気もする。
もちろん、似てはいるものの違っている所もある。
「石焼き芋」の場合、窯の中をかき混ぜることもないし、
「甘栗」の様に、砂糖を入れたりするようなこともない。
かなり大掛かりな道具を使っており、
これを家庭で再現するのは、正直、かなり厳しい。
しかし問題はそれだけではない。
「甘栗」を家庭で作ることが出来ない最大の理由は、
その原材料にある。
原材料って言ったって、普通の「栗」なんじゃないの?
と、思われるかも知れない。
実は「甘栗」に使われている「栗」は、
日本で普通に食べられている「栗」とは違っている。
「甘栗」に使われている「栗」はシナグリ(支那栗)、
中国では「板栗」と呼ばれる種類なのである。
このシナグリの大きな特徴は、日本のクリのように
渋皮が実に密着していないことである。
そのため、これを丸のまま加熱加工した後に、
手だけを使って、簡単に皮を剥くことが出来る。
北京付近が名産地として知られ、
近郊の天津の港から、この栗が出荷されたため、
「天津甘栗」と呼ばれるようになった。
現在では、北アメリカや日本でも栽培されている。

日本の栗は、縄文時代から食べられ続けてきていることは、
以前「クリ」について書いた際にも触れたが、
中国でもまた、6000年以上前から食べられていた。
ただ、当時の栗は焼き栗に加工された後、
棗などと一緒に「飴」に加工されていたようである。
現在のような「甘栗」が作られるようになったのは、
13世紀、元の時代のころのことだと考えられている。
当時の文献中に「糖炒栗子」というものについて書かれており、
これは麦芽糖に栗を混ぜて、砂と一緒に釜で焼くというもので、
原理的には現在の「甘栗」と同じである。
これが、現在確認出来る上で、
もっとも古い「甘栗」の記録である。

この「甘栗」が、日本に伝えられたのは、
ずっと時代の下がった1910年ごろのことだ。
神戸の南京町で食べられるようになったのが、最初である。
日本の栗では作ることの出来なかった「甘栗」は、
どうしても中国本土から、
原材料のシナグリを輸入してこなければならず、
当時、貿易港として発達していた神戸の中華街であったからこそ
これを作ることが出来たのだと考えられる。
当時、中国全土の栗が天津に集められ、
ここから日本に向けて出荷されたため、
「天津甘栗」と呼ばれるようになった。
故にこの呼び方は、日本独自のものであり、
中国では先述した「糖炒栗子」と呼ばれている。

「甘栗」は、栗を使ったお菓子の中でも、
もっとも手軽に食べることが出来るものである。
最近では、すでに皮が剥かれた商品も販売され、
そのお手軽さから、大ヒット商品になっている。
実は、この「剥き甘栗」、
全て手作業によって剥かれているという。
熟練者ともなると、1分間に30個の甘栗の皮を剥くらしいが、
そこまでいくと、たかが甘栗の皮むきでさえも、
「超人技」の様相を呈してくる。

それほどの「技」で剥かれていると知ると、
あだやおろそかに口の中には放り込めない……ような気がする。

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