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歴史

前世紀〜その1

更新日:

「前世紀の遺物」という言葉がある。

小説などでもよく使われる言葉なのだが、その意味としては、

・古すぎて役に立たないもの
・現代的でないもの
・時代遅れなもの

というようなものになる。
21世紀に生きている我々からすると、
「前世紀」という言葉で思い浮かべるのは、
やはり20世紀のことだろう。
21世紀になって、はや17年。
現代に生きる多くの人たちには、わりと鮮明に「前世紀」の記憶がある。
20代半ば以上の人間の頭の中には、何かしら、
「前世紀」の記憶が残っているに違いない。

20世紀は激動の時代、といわれる。
実際、20世紀の100年間のうちに、科学も文明も大きく進化し、
人間の生活も意識も、大きく変わった。
世界規模の戦争が起こったのも、人類の歴史上、
この100年間の間だけのことである。

今回は、この激動の時代であった20世紀を振り返ってみたい。

20世紀の始まりは、近代科学文明の勃興期のただ中であった。
20世紀開始間もない1903年には、
ライト兄弟が初の有人飛行に成功し、
ヨーロッパは「飛行機ブーム」に沸いた。

その一方、地球の裏側に当たる我が日本は、
1904年、当時、世界一強大とされていたロシアとの戦争に突入し、
まさに存亡の危機を迎えていた。
世界の大国・ロシアと、極東の小国・日本の戦いは、
互いが大きなダメージを受けながらも、辛くも日本の勝利に終わった。
この敗北が、後に帝政ロシアの崩壊の一因となっていく。

また、このころ、中東地域において、
後の歴史に関わってくる大きな発見がなされた。
そう、石油の発見である。
中東地域に、莫大な量の石油が埋蔵されていることが判明したのだ。
科学文明の発達に伴い、エネルギーとしての石油に
注目が集まっていた時代である。
それまで、産油国といえばアメリカ合衆国というのが常識で、
世界で使用される石油の大半を、アメリカが供給していたのである。
(現代でも知られる「ロックフェラー」は、
 19世紀後半に、アメリカ国内の石油事業において財を成した)
とはいえ、この時代はまだまだ燃料に石炭も使われていた時代である。
先に触れた日露戦争に用いられた軍艦群も、
石炭を焚いてその動力としていた。
この10年後に勃発した第1次世界大戦においても、
先進国の軍艦でなお、石炭と石油の併用であったことを考えると、
このころは、化石燃料の変換期でもあったのだろう。
石炭=古い、石油=新しいという価値感のもと、
アメリカは、この未来のエネルギーの現・主産地、
中東は未来の一大産地であった、ということだ。
当然、各国の視線が中東に注がれることになるのだが、
この当時、中東には広大な領土を持つ1つの大国家があった。
オスマン帝国である。
中東の石油資源を狙う先進各国にとって、
このオスマン帝国は、まさに目の上のコブであった。

1914年、バルカン半島のサラエボにおいて、
オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、凶弾に倒れた。
犯人はセルビアの民族主義者で、オーストリアの支配に抵抗している
秘密結社の一員であった。
この一件を期に、オーストリアはセルビアに宣戦を布告、
一方、バルカン半島への領土拡大を狙っていたロシアは、
セルビアを支援。
これが、歴史上初めての「世界大戦」の始まりとなる。

この時代、列強各国はそれぞれ軍事同盟を結んでおり、
オーストリアは、ドイツ・オスマン帝国と、
ロシアは、イギリス・フランスと同盟を結んでいた。
1914年、ドイツがベルギーに侵攻。
ベルギーと同盟を結んでいたイギリスもまた、この戦争に加わる。
これ以前、40年間ほど平和な時代が続いていたヨーロッパでは、
開戦当初、人々は馬に乗って移動し、大砲や鉄砲を用いて戦っていた。
まるで戦国時代のようだ。
だが、時代は近代化科学文明勃興の最中である。
その成果ともいえる新兵器が次々と、戦場に投入されることになる。
機関銃、戦車、飛行機、そして潜水艦。
これらは全て、この第1次世界大戦中に使われ始めたものである。
そしてこの戦いの中で、恐るべき化学兵器が登場する。
毒ガスである。
ドイツのユダヤ人科学者・ハーバー博士は、空気中の窒素から
アンモニアを生成する方法を見つけ出した。
これは、植物の育成に必要な肥料に欠かせないもので、
現在でも、彼の考案した方法によって肥料が生産され、
それが食料生産を支えていることを考えると、
まさに人類の発展に大きく貢献した、偉大な科学者といえる。
だが、彼はこの戦争において、その頭脳を毒ガス開発に向けた。
彼の開発した毒ガスは、この戦争において100万人以上の命を奪い、
後の第2次世界大戦では、彼の同胞・ユダヤ人の命を奪うことになる。
彼の妻や、彼の友人であったアインシュタインは
彼のこの研究を厳しく批判した。
(もっとも、そんなアインシュタインの研究もまた、
 後に「核兵器」を生み出すのであるが……)

オスマン帝国の石油利権を狙うイギリスは、この戦争を期に
強大なオスマン帝国を倒そうと、破壊工作を始める。
彼らはオスマン帝国から独立を果たそうとするアラブ民族を支援し、
内部から帝国を崩そうと企んだ。
その任務に当たったイギリス軍の将校こそ、
後に「アラビアのロレンス」として知られることになる、
エドワード・ロレンスである。
イギリスは、アラブ民族の独立国を作ると約束。
だが彼らは同時に、同じ場所にユダヤ民族の独立国を作ることも約束。
この約束のダブルブッキングが、現在まで続く禍根の始まりである。
アラブ民族、ユダヤ人が独立国を夢見た場所・パレスチナは、
列強によってユダヤ人たちに与えられ、
アラブ民族はパレスチナを追われた。

開戦から3年。
ロシアでは、人々の生活は困窮を極めていた。
そんな中表れた1人の革命者によって、ロシアにてクーデターが勃発。
革命者の名はレーニン。
彼はこの革命にて、世界初の共産主義国家・ソビエトを誕生させた。
ソビエト政府はドイツに降伏し、一応、大戦からは離脱したのだが、
国内ではロシア残党とソビエト共産党との内戦が続いていた。
その混乱の中で、900万人を超えるロシア難民が餓死し、
10万人を超えるユダヤ人が虐殺されるという、悲劇が起きている。

こうしてヨーロッパを中心として、戦いの広がった
第1次世界大戦であったが、1917年、
アメリカ合衆国の参戦を期に、
趨勢はイギリス・フランスをはじめとする連合国側優位となる。
豊かな国力から、大量の兵器・物資を戦線に投入するアメリカ。
すでに何年も戦い続けて来たドイツをはじめとする同盟国側は
国力も疲弊して来ており、それが国内での不満として蓄積していた。
やがて、ドイツにおいて皇帝が退位に追い込まれ、
1918年、4年に渡る戦いは連合国側の勝利となった。

この4年間の戦いは、戦いに参加したほとんどの国の国力を疲弊させた。
破れた同盟国側はもとより、勝利した連合国側もである。
国土が戦場となった国も多く、人的な被害もまた甚大だった。
そんな中、空前の好景気に沸き立っていた国がある。
アメリカである。
自らの国土を焼かれることなく、生産力を維持していたアメリカは、
「狂乱の20年代」と呼ばれる好景気に突入した。
国民所得は30%も向上し、家庭には自動車や家電が揃った。
人々はスポーツに、映画に熱狂し、
株式投資に夢中になった。
まさにアメリカは、資本主義の豊かさを世界中に見せつけていた。
そしてそれは、突如として終わりを告げた。
1929年10月24日、暗黒の木曜日。

世界恐慌が始まったのである。

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