かつて、古い料理の本に「飛鳥鍋」というのを見つけ、
これを紹介したことがあった。
実はこの本を読んでいた際、
もうひとつ、今まで聞いたことの無い、
初めて聞く「鍋」料理を見つけていた。
それが「おばけ鍋」である。
「おばけ鍋」。
なんだかよく分からない響きである。
「スッポン鍋」にはスッポンが入っているし、
「カニ鍋」にはカニが入っている。
この伝でいけば、「おばけ鍋」には
「おばけ」が入っていることになる。
「おばけ」を捕まえて、これを食材にするとなれば、
これはまさに料理史上でも前代未聞の料理であり、
人類がこれまでに食べたことの無い、珍奇な味になるだろう。
その本は、昭和52年に発行された
「見ながらスグ作れる なべ料理」という本で、
以前紹介した「飛鳥鍋」の他にも、
「すき焼き」や「寄せ鍋」、「アンコウ鍋」などの
定番鍋の他に、「火鍋」、「ブイヤベース」、
「チーズフォンデュ」なども紹介してある。
さらに「鯉こく鍋」や「ジンギスカン」など、
それって「鍋料理」か?と首を傾げたくなるものまで載っている。
この本に「おばけ鍋」は載っているのである。
昭和52年、今から40年近く前になるが、
そのころ、人々は「おばけ」を食べていたのである。
歴史も一定以上遡ると、事実とオカルトが入り混じったものに
変貌してしまうが、
料理の歴史は、わずか40年遡っただけで
オカルトが幅を利かせていたのであろうか?
……。
そろそろ種明かしをしよう。
「おばけ鍋」というのは、
たしかに「おばけ」の入った鍋である。
しかし、この「おばけ」は「お化け」ではなく、
「尾羽華」と書く。
この「尾羽華」とは、実は「さらしクジラ」のことである。
一定以上の歳の人には、「さらしクジラ」といえば、
ああ、あれかとすぐに理解してもらえるだろう。
かつて、我々の食卓に頻繁にクジラが上がっていたころ、
結構な頻度で「さらしクジラ」も食べていたからである。
白くてプリプリとした「さらしクジラ」は、
黄色い酢味噌につけて食べるのが定番であったが、
場所によっては、これをみそ汁の具などにも使っていた。
……。
しかし、一定以下の歳の人には、
何を言っているのか、さっぱりわからないだろう。
最近の若い人の場合、すでに物心ついたころには
「鯨」は身の回りには無く、
「さらしクジラ」などといっても、
何のことかさっぱりわからない。
もちろん、かつて「さらしクジラ」を食べていた人にしても、
それが一体クジラのどの部分だったのかを
はっきりと知っている人は、どれほどいるだろうか?
なんかよく分からない、白くてプリプリしたものを、
酢味噌で食べていたという記憶しかない人もいるだろう。
「さらしクジラ」というのは、クジラの尾びれである。
魚類の尾びれは縦向きについているものが多いが、
クジラやイルカなど、水棲ほ乳類の尾びれは横向きについている。
脂肪とゼラチン質から出来ており、「尾羽毛(おばけ)」とも
「尾羽(おば)」とも「おばいけ」ともいう。
これを薄く切って熱湯をかけ、冷水にさらしたものが
「さらしクジラ」である。
白く半透明な外観から「おば雪」、
「花クジラ」などとも呼ばれる。
先に書いたように、酢味噌をつけて食べるのが一般的だった。
今回の「おばけ鍋」は、
この「さらしクジラ」を使った鍋なのである。
この「おばけ鍋」の記述を見つけた後、
インターネットでこれを検索してみたのだが、
「おばけ鍋」という鍋料理については、一件もヒットしなかった。
一般的な鍋料理ではなかったらしい。
「おばけ鍋」の材料は、「さらしクジラ」の他にも
油揚げ、白菜、ゴボウ、しいたけ、ねぎ、となっている。
鉄鍋にサラダ油を入れて、これを熱し、
鍋が温まったらゴボウを入れてさっと炒める。
そうしたところに、ダシ汁、塩、みりん、
醤油で作った割り下を入れ、そこに残りの具材を入れて火を通す。
「さらしクジラ」に火が通れば出来上がりである。
……。
材料といい、調理方法といい「すき焼き」に酷似している。
「さらしクジラ」の代わりに、牛肉の薄切りでも使えば、
あっという間に「すき焼き」に早変わりだ。
そう。
「おばけ鍋」とは、「さらしクジラ」を使って作る
「すき焼き」のことだったのである。
そこまでわかると、いつくらいから食べられているのか?
どの地方で食べられているのか?なんてことが気になってくる。
「すき焼き」と同じ調理方法なのだから、
少なくとも江戸時代には食べられていたかも知れない。
(我々の良く知る「牛」すき焼きが、
明治時代に確立されたものであることは、よく知られているが、
これと同じ調理方法は以前より存在しており、
同じ調理方法で「鳥肉」などを食べていたらしい)
また、同じようにクジラの「尾羽」は塩蔵されたらしいので、
海から離れた地方で食べられていた可能性もある。
そう考えて調べてみたのだが、
「さらしクジラ」を鍋で食べる、すき焼きにして食べる
という情報は無かった。
ただ、同じ本に「クジラ鍋」というメニューも掲載されており、
その片隅に、
「九州地方では鯨肉を特に好み、みそ味で「すき焼き」のように
煮ながら賞味します。
美味しい所は尾肉で、霜降りのように脂肪が肉の全面に光り、
美しい色をしています」
とある。
ここで紹介されているのは、「さらしクジラ」ではないが、
鯨肉を「すき焼き」の様にして食べることは、
九州地方で行なわれていたようである。
ひょっとすると「おばけ鍋」というのは、
この九州の鯨肉の「すき焼き」をもとにして、
この本の作者が作り出した、
オリジナルの鍋料理では無いだろうか?
捕鯨禁止によって、ほとんどクジラを捕ることが
出来なくなってしまった現在。
この「おばけ鍋」を、作ってみるのに必要な
「さらしクジラ」を手軽に入手することが出来ない。
(まあ、それでもネット通販などで探せば出てくるが……)
「おばけ鍋」は一体どういう出自の、どんな味の鍋だったのか?
それこそ「おばけ」のように、正体不明である。