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山火事

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先日、家でのんびりしていると、近くの消防無線が鳴り響いた。

家からほんの100mほどの所に、スピーカーがあるので

消防団の集合サイレンが、けたたましいことこの上ない。

火事は時間を選ばないので、ひどい時には深夜半過ぎに鳴り響いたり、

早朝、まだ薄暗いうちに鳴り響いたりする。

しかし、火災は一大事であるので、文句もいえない。

とりあえず、家の近くの消防団のサイレンが鳴り響いたということは、

火事が近くで起こっているということである。

すぐに2階の窓から、家の東西南北を確認してみる。

時折、煙がもうもうと上がっていたり、夜空が赤く染まっていたりする。

それで火事を確認できなければ、インターネットの「防災ネット」を確認する。

「防災ネット」は自治体が運営しているサイトで、

事件や事故が起こった時には、リアルタイムで情報が出る。

それを確認してみると、ちょっと離れた所で、

林野火災が起こっているということだった。

いわゆる山火事である。

ここの所、近くで山火事が連続している。

5月11日、赤穂市で70haも焼く、山火事があった。

これは全国ニュースにもなっていたから、知っている人も多いはずだ。

バーベキューで使った炭を、山に捨てたために、起こった山火事だった。

この事件からしばらくは、ワイドショーなどで、

炭の後始末のやり方を延々と紹介していた。

その記憶が薄くなってきた6月3日、今度は隣の相生市で、山火事が発生した。

こちらは約7haを焼く山火事になった。

近くに造船所や、火力発電所があり、そこの社員が避難する騒ぎになった。

特に火力発電所には、燃料の重油タンクがあるので、

もしこれに引火していたら、それこそ大惨事になっていた所であった。

そして6月14日、うちの近所で林野火災である。

これについてはまだ詳細が出ていないが、早い段階で鎮火報が出ていたので、

それほど大きな被害は出なかったと思われる。

自分は山登りをするためか、山火事というものは、

かなり恐ろしいものだと思っている。

もちろん、山に登っていなくても、山火事というのは恐ろしいものだが、

山に登っていると、よけいにそれを感じるのだ。

自分が登っている時に、山火事に巻き込まれたら、という思いがあるからである。

初めての山に登っている時に、山火事など起きた日には、

生きた心地がしないどころか、本当に生還できるかもあやしい。

よほど山に精通していないと、うまい逃げ道は見つからない。

それほど登山者にとって、山火事とは怖いものである。

幸い自分は、登山中に山火事にあったことはない。

だが、登山中に火事を発見したことがある。

兵庫県上郡町の愛宕山(同名の有名な山があるが、全くの別物である)に、

登った時のことだった。

登山道に設置された休憩所のベンチに座り、景色を見ていると、

麓にあるビニールハウスから、黒い煙がもうもうと上っていた。

最初は、ゴミでも焼いているのかと思った。

だが、一緒に登っていた相方が、「火事じゃないか?」と言い出した。

えー、まさかー、と思っていたのだが、山の中腹から見ていると、

どんどんと煙の量が増えている。

山から離れているので、燃え移ることはないだろうが、

自分で確認できないということは、結構もやもやするものである。

見ていると、ビニールハウスの中から米粒大の人が出てきて、

必死に消火にあたっているようだった。

ここにきて、ようやく自分もゴミを燃やしているのではなく、

火事が発生したのだという確信を持った。

それとほぼ同時に、上郡の町から消防車のサイレンが聞こえてきた。

そのままずっと、消火の様子を見ていたのだが、

その非日常的な光景は、かなり印象的だった。

この火事は、山に燃え移らなかったが、

仮に燃え移っていたならば、逃げられなかっただろう。

なぜなら、そこは初めての山で、他の下山ルートを知らなかったからだ。

そう考えると、あの時、山に燃え移らなかったのは幸運だった。

山火事というのは、様々な原因で起こる。

昔は、木が風で、隣の木と擦れあって火がつく、ともいわれていた。

古代人が、木をこすりあわせて火をおこしたのと、

同じことが自然の中で起きていると考えたのである。

しかし冷静に考えてみると、これはかなりおかしい。

そんなことで火がつくのなら、日本の山は今ごろ、禿げ山ばかりだろう。

自然発生的に山火事が発生するというのであれば、

その原因は、落雷あたりが現実的な所だろう。

実際の所、一番多い山火事の原因は、人的なものである。

たとえば、野焼きの火が燃え移った、タバコの火の不始末、

赤穂の例にあるように、レジャーで使った火の不始末。

どれも人的な原因である。

考えてみれば、火を使う動物は人間しかいないわけだから、

これはごく当たり前のことである。

前に「海難」について書いた時、船の火災は恐ろしいと書いた。

逃げ場所がないからである。

しかし究極的には、海に飛び込めば何とかなることもある。

山火事だとそうはいかない。

もちろん山の中にいなければ、それほど恐ろしいこともないのだが、

山中でこれに遭遇すれば、それこそ船の火災よりも恐ろしい。

まわりは全て可燃物、といってもいいからだ。

自分より上方で火事が起こった場合は、火が迫ってくるスピードは遅いが、

実際には麓から火がつくことが多い。

そうなると、煙は上がってくるわ、火は迫ってくるわの大ピンチだ。

もちろん山に入る人は、そのことをよく知っている。

だから山の中を歩いていると、こんな所にも?と驚くような所にも

「火の用心」の赤い看板が立ててある。

すべては、そこでの火が、どれだけ恐ろしいかわかっているからである。

山火事の場合、焼けた面積を表すのにha(ヘクタール)という単位が使われる。

先の赤穂の山火事の場合70ha、相生の山火事の場合7haの山林が焼けた。

これではちょっとわかりにくいかもしれない。

1haは、100m×100mの広さのことである。

つまり10000㎡ということになる。

また1a(アール)は、10m×10mの面積をさす。

つまり100㎡である。

いかに広い面積の山林が焼失したのか、実感してもらえるだろう。

昔、小学校の先生だったか、中学校の先生だったかに、

森林伐採で無くなった森は、回復が非常に遅い、と教えてもらった。

逆に山火事などで焼失した森林は、すぐに再生する、というふうに教えられた。

播磨地方で、山火事によって、山林を焼失した山は多い。

高砂市の高御位山、姫路市の京見山、赤穂でも過去に何回か山火事があった。

その失われた森林を見ていると、いつまでたっても再生してくる気配がない。

全く無いわけでもないが、そのスピードは恐ろしいほどにゆっくりだ。

このスピードでは、もとの山林に戻るには、

それこそ100年に近い時間が、かかりそうな勢いである。

山火事で燃えた、森の再生が早い、とは一体なんだったのか?
今までの森林は、相当の時間をかけて、育まれてきたということだろう。

そしてそれらは、先人らの細心の注意によって、守られてきたのだ。

そんな山を、現代人の不注意で、燃やしてしまうようなことは、

決してあってはならない。

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