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アントナン・カレーム

更新日:

By: Kanko*

洋菓子の起源を調べていくと、

そのうちのいくつかが、同じ人物に行き着く。

フランスが生んだ天才菓子職人、というよりは天才料理人と言った方がいい。

料理人が、歴史に名前を残すというのは難しい。

日本の場合、歴史上の人物に料理人はいない。

厳密に言えば、いないというわけでもないだろうが、

そのほとんどが戦後の人物になる。

これはTVやラジオ、雑誌の発達が、関係している。

名料理人といわれる人物が、TVや雑誌に登場し、その力で名前を売る。

これが現在の有名料理人誕生の、定型と言っていい。

今回紹介するのは、アントナン・カレーム。

19世紀初頭に活躍した、フランスの料理人だ。

この時代、TVもラジオも存在していない。

それなのに現代に名前が残っていることからも、その凄まじさがわかるだろう。

実際、彼の残した業績は、その後の料理人の業績と比べても圧倒的だ。

アントナン・カレームが生まれたのは、1784年。

当時のフランスは、フランス革命の前夜とも言える状況だった。

フランス革命は、1789年に始まり、1799年まで続く。

つまりカレームは、その少年期のほとんどを、

フランス革命中に過ごしたことになる。

まさに激動の時代だったが、カレームの人生もまた、波乱に満ちている。

彼は極貧の家に生まれた。

貧乏子沢山、という言葉があるが、カレームの実家もその例に漏れず

カレームを含め25人の子供がいた。

家族計画もへったくれも、あったものではない。

それだけでもすごいのだが、彼は10歳の時、パリの路上に置き去りにされる。

1795年のパリといえば、フランス革命のまっただ中だ。

彼は生きるため、安食堂で住み込みで働き、そこで技術を磨くことにより

徐々に頭角を表していく。

1798年、シルヴァン・バイイに弟子入り。

この時の兄弟子に、ジャン・アヴィスがいる。

彼はシュークリーム、マドレーヌを作った職人として知られている。

カレームはその影響を受けてか、エクレアを作り上げる。

フランス名「エクレール」、稲妻という意味がある。

生地を焼いた表面に走る割れ目が、稲妻に似ていることからこの名前がついた。

このころ、後にカレームのパトロンとなる、タレーランに出会っている。

この時代、彼は建築学を習い、

それを工芸菓子(ビエスモンテ)製作に生かしている。

カレームの作った工芸菓子は、寺院やピラミッド、古代遺跡をかたどったもので、

高さが数フィートにもなる巨大なものだった。

やがてカレームは、タレーランやナポレオンなど、

パリの上流階級の料理を請け負うようになる。

さらにカレームの飛躍は続く。

イギリスの皇太子ジョージ4世、ロシア皇帝アレクサンドル1世、

オーストリア皇帝フランツ1世などに、次々と仕えた。

この後、彼はパリに戻り、銀行家ジェームス・ロスチャイルド邸で

料理長を務めている。

まさに料理人として、考えられる最高の経歴を持っている。

現代にまで語り継がれるのも、無理はない。

しかしカレームの業績は、それだけではない。

彼は菓子にゼラチンを積極的に使い、次々と新しい味を作り出した。

シャルロッテ、ジュレ、ババロア、ブラン・マンジェ、プティング、

ムース、スーフレ、さらに先に書いたエクレアなど、

現代まで続いている菓子も多い。

さらに菓子だけに留まらず、料理全般において影響を残した。

それまで、フランス料理で使われていた、ソースの素材等を分析、

ソース・アルマンド、ソース・ベシャメル、ソース・エスパニョール、

ソース・ヴルーテの4つの基本ソースに分類した。

さらにそれまでに作られていた、肉や魚がごちゃ混ぜになっているような

料理を一掃して、シンプルに整理し直した。

さらにソースの帝王とも呼ばれ、各種のポタージュを考案した。

フランス料理は、この時期、カレームによって、

その体系を確立したといっていい。

これだけではない。

カレームは調理器具に関しても、新発明をしている。

現代にも残っているものとして、コック帽、しぼり袋、各種の鍋類など。

さらに彼は著作も残している。

フランス料理の百科事典的な書籍をいくつも残しており、

全5巻の「19世紀のフランス料理術」は、特に有名だ。

この中で、彼は何百ものレシピだけではなく、

フランス料理における、テーブルマナーなどについても記している。

まさにアントナン・カレームは、

フランス料理を、自分の力量でもって作り直した。

この時代、フランスは、革命によって新しい時代へと、歴史は大きく動いたが、

同じ時期、1人の天才によって、料理の世界でも革命が起きていたのだ。

こんな波瀾万丈の人生を送った、アントナン・カレームは、

1833年、48歳でこの世を去る。

まさにフランス料理界が生んだ、希代の天才だった。

彼の生んだ菓子の数々は、時代を超え、世界中で愛されている。

とある書籍に、彼がデザートムースを作った際の、動機が書かれていた。

彼は料理を腹一杯食べた客が、さらに食べることのできるデザートとして

空気を大量に含み、口当たりがよく食べやすい泡(ムース)を作った。

これは現代、多くの女性が口にする「甘いものは別腹」そのものではないか?

彼の活躍した時代から200年。

世のスイーツ好きの女性達は、ずっと彼の手のひらの上で、

踊らされ続けてきたのかもしれない。

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