インターネットニュースサイトの兵庫県版を見ていると、
こんな記事が目に入った。
『ハモ疾走、淡路瓦のコースでレース 兵庫・南あわじ』
ニュースには写真がついており、それを見ると
瓦が葺かれた屋根の様な斜面を、水と一緒に生きたハモが滑り落ちている。
見た感じ、ハモはまるまると太っていて、サイズも1m以上ありそうだ。
これは南あわじ市・福良漁港前で行なわれた「べっぴん鱧祭り」での
一コマらしい。
福良といえば、鳴門海峡に面した淡路島の漁港だ。
地図でいえば、縦に長い淡路島の南西の一部分が深くえぐれているが、
ちょうどここの所が福良である。
うず潮で有名な鳴門大橋の東側に位置しており、
北に向かえば播磨灘、南に向かえば紀伊水道という、
海の要衝ともいえる場所で、深く陸地に向けて、
えぐれ込んでいるという天然の良港である。
この福良漁港から海へ出て、南の紀伊水道側へ進んでいくと、
淡路島の南側に浮かぶ小島・沼島がある。
この沼島沖がハモの漁場となっており、福良漁港の漁師たちは
ここでハモ漁を営んで来た。
一説によると、太閤秀吉のころからハモ漁が行なわれていたらしいから
最低でも400年以上の歴史のある漁ということになる。
沼島沖のハモは、胴が太いわりに顔が小さい。
このハモを、体に傷がつきにくい「はえ縄」漁で獲るために、
非常に姿形が優れているのが特徴で、その特徴から
この沼島沖のハモは「べっぴん鱧」と称されている。
味の方についても折り紙付きで、皮が柔らかく、脂がのっている。
さらに場所的な理由かどうかは分からないが、
他の漁場よりも早くハモが獲れるようになるらしい。
この「べっぴん鱧祭り」は、その福良産のハモを
内外にアピールするのを目的としたイベントのようだ。
「ハモ」は、ウナギ目ハモ科に属する魚類の一種である。
円筒形で細長いその体は、他のウナギ目の魚類同様であり、
体色は茶褐色で腹部が白くなっていて、体表面にはウロコが無い。
ただ、ウナギやアナゴなどに比べると、
どうしてもその顔つきには獰猛さがあり、
その口も大きく目の後ろまで裂けており、顎には鋭い歯が並んでいる。
この顔だけを見れば、ウナギの仲間というより
太刀魚かカマスの仲間のようにも見える。
もちろん、この鋭い歯で噛みつかれるとケガをするのは必至なので、
生きているハモを取り扱う場合には、そこの所を注意する必要がある。
(まあ、生きているハモをどうこうする機会というのは、
あまり無いと思うが……)
太平洋の西部とインド洋の熱帯・温帯海域に広く分布しており、
日本では福島より南の海域に分布していて、
紀伊水道、瀬戸内海、九州などが主な漁場となっている。
この分布と産地のためか、一般的には西日本で好んで食べられるが、
東日本ではそれほど需要は無く、値段も安いようだ。
瀬戸内海などに生息し、漁港の中などにもやって来ることがあるので、
投げ込み釣りや、ルアー釣りなどをしていると、
ハモがかかってくることがある。
もちろん、エサの選択によっては、ハモを狙って釣ることも出来るのだが、
実際にハモを狙って釣っている釣り人というのは少なく、
釣具屋などにいっても、釣り方について聞けるとは限らない。
ウナギやアナゴ、あるいは太刀魚などと似た姿をしていることから
分かるように、ハモの引きは強い。
さらにいえば、サイズも1mを超えるものも珍しくなく、
大きなものでは、2mを超すサイズもいるために
釣りの対象魚として、もっと人気が出ても良さそうだが、
ハモを狙う釣り人というのは、まずいない。
何故、釣りの対象魚として、相手にされないのだろうか?
それはひとえに、釣った後、これを食べるのが難しいからである。
もともとウナギの様なニョロニョロとした魚は、捌くのに技術がいるが、
ハモの場合、捌くという作業の他に、もう1つ、厄介な作業がある。
それが「骨切り」だ。
もともとハモには、約3500本の骨がある。
その中でも厄介なのが、600本ほどある小骨である。
ハモをウナギなどと同じように捌いただけでは、
この小骨がそのまま身に残り、とても食べられない。
その小骨を口に当たらないようにするために、
身に細かく包丁を入れて、小骨を小さく切り刻む。
ちょうど皮1枚を残し、小骨に対して垂直に包丁を入れていくのだが、
これが実に面倒なのである。
「一寸(3㎝)の間に26筋」、包丁を入れられるようになれば、
一人前といわれるらしいが、これではほとんどミリ単位での包丁さばきになる。
魚の身に、そこまで細かく包丁を入れるのが、簡単なワケが無い。
下手をすれば、身はボロボロに崩れてしまって、
すり身かミンチに近い状態になってしまう。
これが出来るようになるのに、8〜10年もかかるというから、
それだけ大変な技術なわけである。
素人がハモを釣った場合、この「骨切り」が出来ないため、
これを上手く食べることが出来ない、というわけなのである。
(もちろん、すり身にすれば食べられるわけだから、
フードプロセッサーなどを使えば、食べれることは食べれるだろうが、
どうしても調理方法は限定されてしまう)
日本人は、縄文時代にはすでに、ハモを食べていたらしい。
平安時代には、瀬戸内海で獲れたハモが、京都まで運ばれていた。
ハモは生命力が強いため、京都まで生かして運ぶことが出来たのだ。
ただ、このころはまだ「骨切り」の技術がなかったため、
ハモはすり身に加工されて、カマボコにして食べられていたようだ。
ハモの「骨切り」が、いつ、どこで始まったのか?
ということについては諸説あり、
ハモの消費が盛んになった安土桃山時代に始まったとする説もあれば、
江戸時代に入ってから始まったとされる説もある。
その発祥の地にしても、京都・大阪辺りでというものや、
細川家でというもの、大分の中津でという説など、
正に諸説入り乱れている。
場所についてはいまいちはっきりしないが、
時代に関しては、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてというのが
本当の所らしい。
さて、最初に書いた「べっぴん鱧祭り」だが、
そのハモレースで、どのハモが勝つかを当てた地元の小学生は、
こんなコメントを残した。
「ハモの天ぷらは給食に出るけど、生きているのは初めて見た。
長くてびっくり」
なんと地元では、学校給食にハモの天ぷらが出されるらしい。
実にうらやましい話である。