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年越し蕎麦

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新年あけてすぐのネットニュースで、こんなものがあった。

「売れ残った年越しそばの悲しい姿が話題に
 1袋3食入りで54円の破格」

とあるスーパーで、年越し蕎麦用にと入荷していた蕎麦が売れ残り、
新年あけて、叩き売りされていたというニュースである。
POPには、「可哀想にな 年越せなかったそば」と書かれており、
それがなんとも哀愁を誘っていると、話題になっているようだ。
まあ、わざわざ年越し蕎麦用にと入荷した品であるのなら、
それなりの品質の蕎麦である可能性も高く、
それが1袋3食入りで54円というのは、確かに破格といえるだろう。

ただ、まあ、真面目に考えるのであれば、
これを「年越せなかった」と表現するのはどうだろうか?
もともと年越し蕎麦というのは、大晦日に食べるものなので、
年を越す前に、消費者の腹の中に収まってしまうのが普通だ。
これを擬人的に捉えるのであれば、この時点で蕎麦の生命は終わり、
大往生を遂げたということになるはずである。
そう考えれば、無事に食べられた蕎麦たちは、
生きて新年を迎えることが出来なかった、ともいえるわけで、
彼らは年を越せたとはいえないだろう。
だとすれば、店で売れ残った蕎麦たちは、
無事に生きて年を越した蕎麦たち、と言い表すことも出来る。
……。
何かこういう風に書くと、売れ残ってしまった蕎麦が、
それなりに縁起のいいものの様に思えてしまうから不思議だ。
そういう意味では、売れ残った年越し蕎麦のPOPには、
「年を越してしまった蕎麦」と書く方が、正しいのかも知れない。
同じ季節のもので例えるのであれば、
クリスマスに売れ残ってしまったケーキだろうか。
26日には、半額引きか、それ以上の割引シールを貼られ、
売り場の片隅で小さくなっている姿は、本当に哀れだ。
蕎麦だって、31日までであれば、
年末の主役として大きな顔が出来ていたのだ。
それがたった1日過ぎてしまっただけで、
その価値はガタ落ちして、消費者たちからは
憐れみの目を向けられるのである。

「年越し蕎麦」とは、大晦日(12月31日)に
縁起をかついで食べる蕎麦のことで、日本の食文化の1つである。
地域によって、その呼び方に様々な違いがあるのが特徴で、
それらをザッと列挙してみると、
晦日蕎麦、大年蕎麦、つごもり蕎麦、運蕎麦、大晦日蕎麦、
年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、
福蕎麦、思案蕎麦などとなる。
晦日とつごもりは、どちらも月末のことを指しており、
大年と大晦日は、どちらも12月31日を指している。
この4つの呼び方に関しては、食べる時を呼び名にしているわけである。
運、福、寿命というのは、いかにも縁起の良さそうな言葉を
蕎麦の名前の前に付け足した感じであるし、
年取りいうのは、かつて紹介した「年取り魚」の場合と同じく、
「年越しの食事で食べる」という意味があるのだろう。
年切り、縁切りという2つの名前には、
どちらも「切る」という言葉が入っている。
年切りというのは、「年によって切れる」という意味があり、
縁切りは、ずばりそのままの意味だろう。
恐らくは、どちらも前年の厄を切り捨てるとか、
去年のことはすっぱりと切り捨てて、新しい気持ちで
新年を迎えようという様な意味が込められているのだろう。
ただ1つ、思案蕎麦というのだけが、いまいち意味が分からない。
蕎麦を食べながら、この1年を思い返すという様な意味なのだろうか?

一説によると、年越しに蕎麦やうどんなどの麺類を食べている人は、
実に9割近いという。
こんな風に、現在では年末の風習として
すっかり定着してしまっている「年越し蕎麦」だが、
これが始まったのは、江戸中期ごろで、
その歴史は、決して長いものではない。
どうして年越しに蕎麦を食べるのか?という由来についても
ハッキリとしたことは分かっておらず、
いくつかの説が挙げられているだけである。
例によって、それらを書き出してみよう。

1・蕎麦は細く、長く伸びることから、縁起がいいという説。
  寿命を延ばし、家運を伸ばしたいという願いが込められているという。

2・蕎麦は切れやすい、ということから、
  一年の苦労や厄災をサッパリ切り捨てようと食べる、という説。

3・元禄時代の書物「本朝食鑑」にも、蕎麦は健康によい食べ物、
  といった意味のことが書かれているので、そこから
  蕎麦によって体内を清浄にして新年を迎えるため、という説。

4・金銀細工師は、飛び散った金銀の粉を集めるときに蕎麦粉を使う。
  そこから蕎麦は「金を集める」という縁起で
  食べるようになった、という説。

5・鎌倉時代、博多の承天寺にて、年末を越せない町人に
  「世直し蕎麦」と称して蕎麦をふるまった所、
  その翌年から町人たちに運が向いて来たので、
  それ以来、大晦日に蕎麦を食べる習慣が出来た、という説。

この中で5の説は、年越し蕎麦が江戸中期ごろから始まったとする
前提を見事にぶち壊してしまっている。
さらにいえば、鎌倉時代のことであれば、現在の様な麺状の
いわゆる「蕎麦切り」は作り出されておらず、
ふるまわれていた蕎麦は、団子状の「蕎麦がき」だったはずである。
これが後々に伝わっていったのだとすれば、
これが麺状に変化してしまっているのは、ミョーな話である。
「蕎麦切り」に加工するよりは「蕎麦がき」の方が作りやすく、
そちらの方を食べて運が向いて来た、というのであれば、
験を担ぐという意味でも、そこの所を変えるとは思えない。
1と2は、どちらも「蕎麦切り」のことを指している。
この2つの説の場合、麺の形そのものに意味を見出しているので、
ここに変化を付けることは出来ない。
逆にいえば、切れやすいという蕎麦ならではの特徴のある
2の説はともかく、1の説では、うどんだろうと、素麺だろうと、
麺状の食物であれば、なんでもいいということになってしまう。
3の説は、蕎麦の形状については言及されていない。
ただ、現在の蕎麦屋で、栄養がたっぷりあるということで
蕎麦湯を飲むことなどを考えると、麺状の蕎麦よりは、
団子状の蕎麦の方が栄養は豊富だろうし、この説には合っている。
4の説は、明らかに団子状の蕎麦のことだろう。
金銀を蕎麦粉で作った団子で集めた後、これを水に溶かせば
底に金銀が沈んでいるという塩梅である。
水に溶けやすいということは、
つなぎなどは用いられていないのかも知れない。
1〜5の説は、まあ、どれも微妙にありそうな話になっているが、
現在、食べられている蕎麦が麺状である点、
その材料が蕎麦である必然性があるという点で、
2の説が、もっとも説得力があるように思える。

さて、今年の「元旦登山」の記事の中でも少し触れたが、
我が家にも、この年越し蕎麦の風習は根付いている。
ただ、これについては、本格的な生蕎麦を茹でて食べる、
ということはなく、毎回、これに用いられるのは、
お湯を入れて3分待つ、カップ麺であった。
これは自分が子供のころからの定番であり、
それはそのまま、現在の自分へと受け継がれている。

年末の年越し蕎麦にカップ麺というのは、
あまりにいい加減に思われるかも知れないが、
カップ麺の持つ、あの圧倒的な夜食感は、
紅白歌合戦を見終わり、ゆく年来る年を見ながら食べるものとして、
非常にマッチしていると、いわざるを得ない。

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