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甘食

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先日、友人と話をしていると、ポソリとこんなことを言ってきた。

「嫁が「甘食」のことを知らなかった」

どうも、それなりにショックを受けているようである。
説明を付け加えるのであれば、この友人はちょうどひと回り(12年)
年下の女性と結婚している。
これだけ年が離れているのだから、当然、そこに価値の世代間格差、
つまりジェネレーションギャップが存在する。
例えば、我々の世代が子供のころに触れた世界と、
友人の奥さんが子供のころに触れた世界には、
きっちり12年というズレが生じているため、
我々の世代が当たり前の様に思っていることが、
奥さんの世代では、全く意味不明なことであったりするわけだ。
今回、友人が口にした、この「甘食」でも
どうやら友人夫婦の間では、このジェネレーションギャップが
発生したらしい。

「甘食」。
「あましょく」と呼ぶ。
ちょっといびつな円錐状をした、焼き菓子のことである。
原材料は小麦粉、砂糖、卵、バター、牛乳、ベーキングパウダーなど。
これらの材料を混ぜて生地を作り、天板の上に生地を絞り、
中央の部分に十字形の切れ目を入れて焼き上げる。
(十字形に溶かしバターやマーガリンを塗るというのもあった)
そうすると、その十文字の所から生地が膨らみ、
ちょっと見た感じには、帽子のような形をした焼き上がりになる。
原材料はどれも、洋風の焼き菓子でお馴染みのものばかりで、
当然、焼き上がった後の味わいも、食感などの違いはあるものの
スポンジケーキやビスケットなどに、似通っている所がある。
この「甘食」の食感は、ちょうどスポンジケーキとビスケットの
中間のような感じである。
モソッとした歯ごたえで、モソモソとした口当たりだ。
うまい感じに食べないと、食べるそばからボロボロとこぼれて、
母親から叱られることになる。
子供の場合は、それこそ1つか2つも食べれば
充分お腹がいっぱいになるのだが、モソモソの生地が
口の中の水分を持っていってしまうので、ちょっと水を飲みたくなる。
大方、5〜6個が一袋で売られており、
自分が子供のころのオヤツの時間には、
我が家の兄弟それぞれに、これが1つか2つ与えられた。
子供としては、ワアッと盛り上がるオヤツではないが、
とりあえずお腹は良く膨れるため、まずまず手堅いオヤツであった。

この「甘食」の歴史について調べてみると、
その起源を、安土桃山時代に南蛮人たちが持ち込んだ
「南蛮菓子」であるとしているサイトがいくつかあった。
まあ、たしかにこの手の小麦粉、卵、砂糖などの生地で作った
各種菓子の起源はそこにあるのかも知れないが、
さすがにこれは現実的な解釈を離れ過ぎている。

もうちょっと現実的な視点でこれを見るのであれば、
「甘食」を初めて作ったのは、明治27年、
東京・芝にあった「清新堂(せいしんどう)」という菓子屋である。
(「清新堂」はパン屋、という情報もあった。
 まだ西洋文化がしっかりと根付いていない時代、
 パン屋、菓子屋というハッキリとした区別は、無かったのかも知れない)
この店の主人の創作によって焼き上げられた「甘食」は、
その後、急速に全国に広がっていき、
大正・昭和期には子供のオヤツの代表的なものとなった。
清新堂主人の手によって、「富士山の形」を模して作られたこのパンは、
「一般のパンよりも早く焼き上げること」が、その最大の狙いであった。
生地に膨張剤を入れ、オーブンでの焼き時間も
10〜15分と短い「甘食」は、
「イカリ印のまき甘食」として販売された。
「イカリ印」はまあ、店の屋号か何かのことだとしても、
「まき」というのは、気になるワードである。
恐らくは、「巻き」ということなのだろうが、
だとすれば、清新堂が販売していた「甘食」には、
どこか形状の上で、「巻き」と称される部分があったというとになる。
現在の「甘食」に、そのような形状も、製作行程も無いので、
ひょっとすると、この清新堂の「甘食」は、
我々の知っている「甘食」と、どこか形状が違っていたのかも知れない。
ネットの画像検索で、「甘食」を検索してみた結果、
膨大な数の検索結果の中に、ほんの2〜3枚だけ
渦巻き状に成型されている「甘食」があった。
パッと見た感じ、いつもの「甘食」の様な富士山状ではないものの、
やはり中心部分がふっくらと盛り上がっている。
盛り上がっている部分に、十字形に切れ目などを入れた跡が
見当たらないので、この盛り上がりは成型によって
作られたものだろうか?
それでは、本来の(?)絞り出すという行程と異なり、
生地の硬さなども違っているかも知れない。
あるいは、一点で生地を絞り続けるのではなく、
クルクルと渦巻き状に生地を絞っていったのだろうか?
ここで、ふと思い当たった。
もし現在も、この清新堂が続いているのであれば、
そちらの方を調べてみれば、何か詳しいことが分かるかも知れない。
そう思って、散々調べてみたのだが、
清新堂については、どこのサイトでも
「かつてあった」という表現しかしておらず、
どうも現在ではなくなってしまっているようだ。
地図検索で「東京 芝 清新堂」と検索してみたのだが、
これにも引っかかってくることがなかった。

昭和30年ごろには、菓子としての甘食が「絞り甘食」、
渦巻き型のロールパンの甘食が「甘食」として販売されていたという。
渦巻き型の方が「甘食」そのものの名前を冠している辺り、
やはり「まき甘食」が、甘食の元祖であるということだろうか?
だとすれば、もともと「甘食」は渦巻き状のものであり、
現在、目にする富士山状の「甘食」は、渦巻き状のものが
普及していく中で、その亜種として生み出されたということになる。
生地を渦巻き状に成型するよりは、単に天板の上に絞り出した方が
ずっと効率的で、大量生産に向いている。
渦巻き状の「甘食」が、富士山状の「甘食」に取って代わられたのも
そういう意味では、当然のことだったのかも知れない。

さて、最初の友人夫婦の話に戻ろう。
「嫁が「甘食」のことを知らない」と言った友人だが、
そういうことなら「甘食」を買って、実際に食べさせてやろうと
近くのスーパーなどで探してみたらしいのだが、
どうやら見つからなかったらしい。
幸い自分の方には、これを扱っているスーパーの心当たりがあったので、
それを友人に教えた所、早速、買いに行ったようだ。
はたして、初めて「甘食」を食べた
奥さんや子供の反応はどうだったのだろうか?

今回のことでも分かるように、どうもここの所、
「甘食」を扱わない店も増えて来ているようである。
この先、いつまで生き残っているか分からないので、
食べてみたい人は、早めに探して、食べておいた方がいいだろう。

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