ガレージの中で、若い男性が全裸で逆さ吊りになっている、
という風に書けば、どことなく淫猥な感じがする。
その男性の腹が大きく切り開かれ、
内蔵を全て抜き取られているということになれば、
途端に、淫猥な感じは吹き飛び、猟奇的ムードになってくる。
その男性が、生後1年ほどの若い男性だということになれば、
幼児虐待だとか、虐待死などという言葉がちらつく。
手足は力なく伸びきり、瞳はうつろに開かれたまま、
その表情は全く変わることはない。
死体の表情を見れば、その死の状況が分かるという。
苦悶の表情に歪んでいることもあれば、
恐怖に引きつった顔をしていることもあるだろう。
あるいは、安らかに、
眠るように静かな顔をしていることもあるだろう。
しかし残念ながら、自分はその顔を見ても
何の感情も読み取ることが出来ない。
自分が人の顔色に鈍感、というわけでもない。
これには理由がある。
そこで逆さ吊りになっているのは、シカだからである。
もう半月以上、前のことになるのだが、
友人から一通のメールが届いた。
それが「シカを解体しよう」という、メールであった。
メールを受け取った翌日、友人に案内されて、
たつの市新宮町の、あるガレージへと向かった。
ガレージといってもそれほど大きなものではなく、
トラクターとコンバインを入れれば、
一杯になってしまう程度の大きさのガレージである。
天井の鉄製の梁からロープが吊るされていて、
その下に1匹のシカがぶら下がっている。
後ろ足の1本を縛って吊るしてあるので、
頭が地面の方へと垂れている。
逆さ吊りだ。
腹部が縦に切り開かれていて、
その中に入っているはずの内蔵は、
全てきれいに抜き取られている。
人間の切腹は、腹を横一文字に切るものだが、
これは縦に切り開かれている。
魚でもシカでもそうだが、腹を縦に割ると、
相手を「食材」として、扱っている気分になる。
もっとも目の前のシカは、これから解体されて、
肉になっていくわけだから、
「食材」というのも、あながち間違いではない。
実は、自分は過去に一度、シカの解体を目にしたことがある。
今回誘ってくれた友人に連れられて、
地元猟友会主宰の「狩猟体験会」に参加した際に、
催し物の1つとして、シカの解体があったのである。
年齢から見て、熟練と思われる猟師が、
あっという間にシカをバラバラにしていく。
大きな塊に分けられ、テーブルの上に置かれたシカの肉は、
そのままナイロン袋に入れられ、参加者へのお土産になった。
その手際は圧巻で、わずか10分か15分ほどで、
大きなシカは、いくつもの肉の塊に変わってしまった。
その「狩猟体験会」から数年。
友人は猟師になり、自分はならなかった。
自分は山登りはするものの、
猟師になるつもりは全く無かったので、
自分にとってシカというのは、山の中を歩いていて、
稀に遭遇する相手でしかなかった。
しかし、どういう巡り合わせか、そのシカが今、
目の前でブラリとぶら下がって、解体されるのを待っている。
(待っているわけではないかも知れないが……)
下には、ブルーシートが敷いてあり、
わずかに垂れた、シカの血がついている。
血の量が余りに少ないようだが、どうやらトドメを刺して
内蔵を抜く前に、血も流し出してしまうようである。
ガレージのシャッターは開け放たれていたのだが、
それでもわずかに、独特の生臭さが中にこもっている。
シカのぶら下げられている奥に、
1台の軽四トラックが置いてあり、
その荷台の上に、プラスチック製の白い板が敷いてある。
解体した肉塊は、その上に置けばいいらしい。
自分の記憶が確かなら、例の「狩猟体験会」のシカ解体では、
一番最初に、その毛皮を剥いでいた。
どういう風にやっているのか、細かい所は分からなかったが、
ナイフを皮と肉の境目に入れると、
面白いようにペロリペロリと剥けていく。
今回の解体でも同じく、まずはシカの毛皮を剥いでいくようだ。
友人から小さなナイフを渡される。
刃渡りが10㎝ほどの小型のナイフで、
どうみても普通の果物ナイフにしか見えない。
もっと小さな魚を捌くのにも、
これより大きな出刃包丁を使うのだが、
用意されているのは、この手の小さなナイフだけである。
使い捨てのビニール手袋をつけて、ナイフを握りしめる。
さて、いざシカを目の前にすると、
どこから皮を剥がしていけばいいのか、さっぱりわからない。
友人に聞くと、足の先の方で、
クルリと1周するように切れ目を入れ、
それをとっかかりにして、皮を剥ぎ始めるといいと言う。
その言に従って、ロープで持ち上げられている足の細い部分に
クルリと1周するように切れ目を入れた。
ナイフの切れ味は相当なもので、全く苦もなく皮が切れる。
切れ目が入ったら、それに垂直に切れ目を入れ、
直角になった部分をつまんで引っ張ってみる。
ぐぐっと力を入れて引っ張ると、意外に簡単に、
そしてきれいに皮が剥け始める。
「狩猟体験会」で猟師がやっていたように、
皮と肉の境目にナイフを走らせるようにすると、
大した力も入れていないのに、ペロリペロリと皮が剥けていく。
正直、結構楽しい。
今回は、皮と肉の境目にナイフを走らせて皮を剥いだが、
皮だけを掴んで、力任せに引っ張っても、
剥くことが出来るようだ。
友人と2人で、せっせと皮を剥いでいき、
10分か15分後には、下の首の部分から
全身の皮が裏返るようにして、
ぶら下がっているような形になった。
何ともいえない光景である。
陰惨といえば陰惨だが、どこか滑稽でもある。
きれいに毛皮を剥いでしまうと、死体という感じが無くなり、
肉塊という感じに変わってしまう。
とりあえず、首を取ってしまおうということになり、
首周りの肉を切り開いていく。
喉の辺りに、塩化ビニール製のパイプのようなものが入っており、
それがどうやら気管のようである。
首の骨だけを残して、グルリと肉を切り開いたのだが、
首の骨がなかなか太い。
骨と骨のつなぎ目に刃を入れて、軟骨を切るようにすれば、
ナイフでも切り落とせるらしいのだが、
これがなかなかに難しい。
何度かチャレンジの末、「無理」ということになり、
強引にねじ切ってしまおう、ということになる。
自分が身体を抑え、友人が首を掴んでグリグリと捻っていくと、
やがてブチッと首がちぎれた。
なかなかに生々しい。
「脳みそを食べるか?」と聞かれたが、
さすがにその気はなかったので、その旨を伝えると、
そのまま皮と一緒に、ゴミ袋に放り込んでしまった。
さすがにそのまま「生ゴミ」として捨てることは出来ず、
キチンと産業廃棄物ということにして、
手続きを踏んで処分しないといけないらしい。
まあ、ゴミの日に、ゴミ袋の中にシカの生首が入っていれば、
ちょっとしたパニックが起こるだろう。
首を取ってしまえば、本当に肉塊が
天井の梁からぶら下がっている状態となり、
どことなく、精肉工場にいるような気分になる。
さて、いよいよ肉塊をバラしていく、
「解体」の本番である。