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チーズ

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今から考えてみれば、意外なことなのだが、
自分が小さかったころ、我が家の朝食はパン食が多かった。

パン食といっても、現在のように色々な種類のパンを
用意して食べていたわけでもなく、
基本的には食パンを焼いた、
「トースト」を中心としたものだったのだが、
自分が小学生の低学年のころまでは、
朝はご飯よりもパンが多かった。

これは当時としても、結構、珍しかったのではないかと思う。
自分が幼かった昭和50年代前半は、
まだまだ「日本人なら朝はご飯」という風潮の
強かった時代である。
そういう時代の朝食に、パンが度々出てきたというのは、
今、考えてみても、少し異質だったように思える。
夜になったら五右衛門風呂を炊いていたような家の朝食が、
マーガリンやジャムを塗ったトーストに牛乳である。
不釣り合いなこと、この上ない。
しかし、後々になってよく考えてみると
当時、母親がどうしてそんなおかしなパン食をしていたのかが、
何となく分かってきた。
ポイントは父親の仕事である。
自分がまだ幼かったころ、父親は三交代制で仕事をしていた。
つまり、普通に朝、自宅にいないこともあったわけだ。
自分が幼稚園にいっていたころや、
小学生の低学年だったころは、まだ妹も弟も小さく、
ちゃんとした固形物を食べるのは、自分と母親ぐらいであった。
妹や弟はミルクか離乳食を食べていたのである。
そういうことになると、普通にご飯を炊いても
1食分で大人1人分と子供1人分である。
そんな少量の米をわざわざ炊くのは、逆に面倒くさい。
パンならば、大人1枚、子供1枚、トースターに放り込んで焼けば、
それでおしまいである。
コップに牛乳を注ぎ、それにゆで卵と
プロセスチーズを1つ、つけておけば、それなりの格好がつく。
乳幼児が2人(妹・弟)もいる状態では、
食事の準備に、余計な時間をかけたくなかったに違いない。

この推測を裏付けるように、父親が三交代を止め、
妹と弟が普通食を食べられるようになると、
パン食による朝食は、だんだんとその頻度が少なくなっていき、
やがてほぼ完全に、ご飯食による朝食になってしまった。
5~6人もの人間が朝食を食べるのであれば、
逆に1回に2枚程度しか焼けないパンを
人数分焼く方が面倒だし、手間がかかる。
米だと、ちょっと多めの量を研いで炊飯器にかけ、
スイッチを入れておけば、それですむ。
うちの母親は、手間をかけないというか、
合理的にやることにかけては天才的な所があったが、
長男である自分は、その合理性の影響で
パン食に非常に馴染んでいたのである。

問題は、このときついてきていた「チーズ」である。
母親が用意していたのは、4個パックで100円ほどの
プロセスチーズである。
消しゴム大の大きさで、薄いアルミホイルに包まれていた。
ちょうど、サイドの部分にアルミホイルを剥くための
ツマミのようなものがついており、
それをつまんで引っ張ると、上手くアルミホイルが剥ける。
しかし、小学校低学年のころの自分は手先が不器用で、
なかなか上手くこれを剥くことが出来なかった。
下手をすれば、小さなアルミ片がくっついたままのチーズを
そのまま口の中に放り込み、そのまま食べてしまうこともあった。

ともあれ、こういう風にして、
幼少のころから「チーズ」に親しんでいた自分は、
小学生になり、給食に「チーズ」がでてきても、
全く普通に食べることが出来た。
それまでよく食べていたのだから、
当たり前といえば、当たり前である。
どういう訳か、小学校の低学年のころには、
この「チーズ」を苦手な子供が多かった。
恐らく食べなれていなかったのだろう。
昭和50年代中盤といえば、食卓の西洋化が進んでいたとはいえ、
龍野のような田舎では、
まだまだ旧態依然とした朝食が多かったのだろう。
そういう家庭では、「チーズ」などというものを食べる機会は
全く無かったに違いない。
そういう子供は、「チーズ」に苦手意識があるのか、
「チーズ」を目の前にして、動きが止まってしまう。
自分が子供のころは、
「給食は残さず食べないと許しませんよ」という時代である。
学年が上がれば、こっそり隠して持ち帰って、
適当に処分してしまうような知恵もつくのだが、
小学1年生ではそういう知恵も働かない。
そうなると、こっそり食べれる友達に横流しするしかない。
そういうわけで、普通に「チーズ」を食べれた自分のもとには、
いくつかのチーズがまわってきた。
自分はそのまま、パクパクと口の中に放り込み、
クラスメイトの証拠隠滅に手を貸すのであった。

「チーズ」は、牛、水牛、羊、山羊、ヤクなどからとれる乳を
原料として、これを凝固、
発酵させるなどの加工を施した食品である。
日本では「乾酪」などと表記されることもあるが、
これは全く一般的でなく、カタカナで「チーズ」と、
英語名をそのまま使うことが、ほとんどである。
もともと家畜の乳は、栄養価の高い食品として
世界中で食されていたが、
長期間の保存が出来ないという点と、
液体状ゆえに運搬がしにくいという点が
大きな問題であった。
これらの弱点を補うため、乳から水分を抜いて保存性を高め、
固形物とすることで扱いやすくしたものが、「チーズ」である。
乳に、羊の胃からとれる「レンネット」という酵素か、
レモン汁・酢などの酸を加えることにより、
乳は白い塊と、透明な液体部分に分離する。
この白い塊をカード(凝乳)、
透明な液体をホエー(乳精)と呼ぶが、
このカードの水分をさらに取り除いたものが、
「チーズ」のもととなる。
多くの場合では、このカードを熟成させることにより発酵させ、
味わいを高め、保存性を増す。
そうして出来上がったものが、「ナチュラルチーズ」である。
この「ナチュラルチーズ」を一度溶かして発酵を止め、
再び固めることによって、
さらに長期間の保存が出来るようにしたものが、
自分が昔食べていた「プロセスチーズ」である。
この「プロセスチーズ」作製においては、
複数の「ナチュラルチーズ」を溶かして加熱し、
再び固めるために、味も均一化し、
匂いも味もクセの少ないものになることが多い。
しかし、そのクセの少ない「プロセスチーズ」ですら、
自分が小学生のころには、食べられないと言う子供が多かった。
よく、「チーズ」が石鹸に似ているため、
拒否反応を起こした、なんていう話を聞いたこともあるが、
クセが少なくなったとはいえ、
あの独特の匂いと味に、
日本人はまだまだ慣れていなかったのである。

それから30年近くたち、
ピザやサンドイッチ、パン、ケーキなどで
頻繁に「チーズ」が使われるようになり、
現在では、「チーズ」に苦手意識を持つ子供も
随分と少なくなった。
うちの甥っ子にしても、保育園などに通っているころから、
全く当たり前のような顔をして、「チーズ」を食べていた。
いかにこの30年で、広く「チーズ」が受け入れられたのか、
ということであろう。
自分が子供のころは、
「チーズ」が好きだという子供の方が少なかったが、
現在では逆に、
「チーズ」が嫌いだという子供の方が、珍しい存在だろう。

さて、ざっと「チーズ」について、
大雑把なことを書いたが、
次回は特に「チーズ」の歴史に焦点をあてて書いていく。

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