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チーズ〜その歴史

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チーズの歴史は、恐ろしく古い。

長らく、チーズの発祥は紀元前3000年前の
中央アジア・中東付近と考えられていた。
山羊などの乳を、同じ山羊などの胃腸で作った袋に入れておいた際、
その胃腸の中に含まれていたレンネット酵素の働きによって、
カードとホエーに分離してしまった。
これにヒントを得て、カードからさらに水分を取り除き、
チーズを作るようになったというのが、
これまでの「チーズ」誕生の定説であった。
しかし最近になって、ポーランドで
紀元前5000年前に使われていた、チーズ作りの道具が見つかり、
実は、こちらの方が「チーズ」発祥の地なのではないか?
という説が出てきたのである。

ただ、中央アジア・中東説、ポーランド説ともに、
決定的といえるような証拠が出ているわけではないので、
これからさらに新しい発見があれば、
これらの説は覆される可能性がある。
はっきりと言えるのは、
人間がその歴史を書き記すようになる以前より
「チーズ」は作られてきた、ということであり、
はっきりとどこで作られ始めた、というのは
この先も分からないであろう、ということだ。
動物の乳を飲むという習慣も、
動物の内蔵などを容器として利用するという習慣も、
世界的に、あちこちで同じ習慣が見られるため、
時間的な差はあれ、それぞれの地域で作られ始めたということも
あり得ない話ではないからだ。
こういう経緯もあり「チーズ」は、中央アジア・中東、
ヨーロッパを中心として世界に広がっていくことになる。
ヨーロッパから大航海時代を経て、
「チーズ」が世界中に広がっていくまで、
東アジア、アメリカ、アフリカ南部などでは、
ほとんど「チーズ」らしきものは、
存在していなかったようである。

……。
ほとんど、と書いた。
つまり、わずかには「チーズ」に類するものが、
各地で作られていた、ということになる。
先ほど書いたように、家畜の乳を食すというのも
それを家畜の内蔵を使った袋に入れるというのも、
わりとどこでも行なわれてきたことである。
と、いうことは、海を越えたアメリカ大陸や、
アフリカ南部、アジア東部などでも、
「チーズ」と同じようなものが、偶然、出来上がっていても
全くおかしい話ではない。
現にアジアにおいても、モンゴルなどでは
家畜の乳を固めた「チーズ」といえるような食品が、
その生活の中で、普通に作られ、食べられている。
(ただ、それ自体はモンゴルで生まれたものではなく、
 中東の「チーズ」の技術が、シルクロードを経て、
 モンゴルへと伝えられたと考えられている)

それは日本でも同じことで、
奈良時代から平安時代にかけて、日本でも「チーズ」らしきものが
存在していたことが確認されている。
それが「蘇」「醍醐」と呼ばれるものである。
仏教の流入とともに、日本へ伝えられた
大乗仏教の経典「大般涅槃経」の中に、
「五味」として順に、乳→酪→生蘇→熟蘇→醍醐と精製され、
この醍醐を一番美味しいものとしている。
このうちの「蘇」に関しては、
「延喜式」の中で税として納められていたことが記されており、
乳を濃縮させた何らかの食品が、当時、
存在していたことの証明となっている。
「蘇」は不老長寿、強精に効くと考えられていた。
ただ、この「蘇」に関しては、
鎌倉時代以降は全く作られなくなった。
鎌倉時代、武士の時代となり、彼らは乗り物として
牛ではなく馬を重宝したため、牛の食文化である「蘇」は、
廃れていったものと考えられる。
この「蘇」がどういうものであったのかは、
はっきりと分かっていないのだが、
牛乳を濃縮させて作ってあるのは確かなので、
「チーズ」に近いものであったのではないかと考えられている。
その後、江戸時代になり、将軍吉宗が牛を飼わせ、
その乳から「バター」を作らせていたことはあるらしいが、
「チーズ」に関しては、これを作っていたという記録はない。

「蘇」以降、日本に「チーズ」が現れるのは、
明治維新後、外国人たちが日本に移り住むようになってからである。
日本で本格的に「チーズ」が作られるようになるのは、
明治時代末期、北海道や樺太の開拓事業が進み、
酪農家の数が増えてからのことである。
ただ、工場を設置し、本格的な生産体制が整ったのは、
昭和初期のころのことで、そのころの生産量は、
わずかに年2~30tほどであった。
「チーズ」は日本人の口にはあわなかったのか、
昭和26年くらいまでは、日本人1人あたりの年間消費量は
たったの10gであった。
昭和50年代になり、食の西洋化とともに
急速に「チーズ」の消費量も増えていく。
昭和50年の「チーズ」の総生産量は、63000tであり、
半世紀前の状況と比べると、2100倍になっている。
また、消費されている「チーズ」のうち、
「ナチュラルチーズ」の割合が年々伸びてきていることにも
注目したい。
昭和61年には、「ナチュラルチーズ」の消費量は
「プロセスチーズ」のそれとほぼ同程度にまで伸びている。
農林水産省が調べた、「平成22年度食料需給表」によると、
日本人の年間の「チーズ」消費量は、
1人あたり1.9kgということになっている。
60年前の約190倍である。

さて、前回に書いたことだが、
我が家では、妹と弟の小さかったころ、
朝食は「パン食」が非常に多かった。
これは、母親の手抜きというか、合理性によるものだったのだが、
妹と弟が大きくなり、普通食を食べるような年齢になると、
「パン食」は姿を消してしまった。
当然、そこにあった毎日の「チーズ」も姿を消して、
「チーズ」が食卓に上ること自体、グンと減ってしまった。
だが、父親や子供たちのいない昼などは、
母親は手軽なパンを食べていたようで、
冷蔵庫の中には相変わらず、食パン、マーガリン、
ジャムなどと一緒に、「プロセスチーズ」が常備されていた。

また、自分が中学生になり、
学校へ弁当を持って行くようになると、
その弁当のおかずの中に、
ちくわの穴の中に「チーズ」を詰めたものが入るようになった。
いわゆる「チーちく」である。
実際にお酒のおつまみ用に、
「チーズ」の練り込まれたちくわなども販売されているので、
これは普通に「ありうる」組み合わせなのだが、
作るのが簡単なせいか、結構、弁当のおかずの定番であった。

これらの事実を考えてみれば、
我が家では他所に比べて、随分と早くから
「チーズ」に親しんでいたことになる。
食パンにのせて焼きやすい「スライスチーズ」が出たときも、
しっかりと冷蔵庫の中に入っていたし、
とろけるのがウリの「とろけるチーズ」が出たときも、
いつの間にやら、しっかりと冷蔵庫の中に入っていた。
冬場のグラタンにかける「粉チーズ」も、
冷蔵庫の中に入っていたが、
これはなかなか使い切ることがなかったため、
ケースの中で固まってしまい、使う際にはスプーンの柄などで
これを突き崩して使わなければ、ならなかった。

我が家で使っていた「チーズ」というのは、
全くこれっきりであり、これ以外に
本格的な「ナチュラルチーズ」を買って、
それを楽しむというようには、ついにならなかった。

世の中の「チーズ」消費量は、現在も上がり続けている。
我が家はいつの間にか、「チーズ先進家庭」から、
「チーズ途上家庭」にランクダウンしてしまったようである。

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