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餅まき

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人間には「欲」がある。

お金が欲しい、というのも「欲」だし、
いい女と付き合いたい、なんていうの「欲」だ。
ウマいものが食べたい、というのも「欲」になるし、
朝は1分でも長く寝たい、というのも「欲」ということになる。

何かが欲しい「欲」は、「物欲」と呼ばれるし、
異性に関する「欲」は、「性欲」に繋がることも多い。
ウマいものが食べたい、もっとたくさん食べたいというのは、
「食欲」ということになり、これはダイエットの大敵だ。
睡眠をむさぼりたい、というのは「睡眠欲」ということになる。

「食欲」や「性欲」、「睡眠欲」などをみればわかるように、
これらは本来、人間が生きていく上では欠かせないものである。
だが、世の中の風潮として、「欲」が強いことは悪いこと、
というふうに受け取られる。
食欲の抑えがかない人は、結果としてブクブクと肥え太ることになり、
「あいつは食いしん坊だ」とか、
「自己管理の出来ないだらしない奴、ダメな奴」と言われる。
性欲の抑えが利かない人は、
「あいつは女好きだ」とか、「あの子は男好きだ」などと、
周りの人たちから顰蹙を買う様なことになりかねない。
睡眠欲が強く、いつも眠ってばかりの人は、
「あいつは怠け者だ」などと、陰口を叩かれるようになる。

もちろん、これらはどれも、芳しくない評価を生むものであるが、
ことに人間の評価を下げる「欲」というのは、「物欲」だろう。
「強欲」「欲どうしい」「欲が深い」「カネに汚い」「守銭奴」など、
「物欲」の強さを見て取られると、散々にいわれる。
まるで「物欲」があること自体が、「罪」ででもあるかのような、
嫌われ方である。
(実際、宗教などの中には「強欲」を「罪」であると、
 断定している様なものもある)
そこまでは行かなくても、「物欲」が強いことが
「恥」であるという様な考え方は、今でも根強く残っている。
だから、自らを「善良」な一般人であるとする人は、
この「物欲」というものを、あまり人前にさらさず、
押し隠すようにして、日々を生きているのである。

だが、これらの「善良」な一般人たちが、
自らの「物欲」を隠そうともせず、
その凄まじい本性をさらけ出してしまうイベントがある。
そう、そのイベントこそが「餅まき」である。

季節は秋。
秋は「実り」の季節である。
青かった水田は、一面の黄金色に変わり、
やがて収穫のときを迎える。
そうなると、世間は「秋祭り」のシーズンである。
あちこちに、大きな神社の幟が立ち、
町の人々が総出で、「秋祭り」を執り行うことになる。
神社での祭礼、神輿の巡行など、この季節の週末には
必ずと言っていいほど、どこかで「秋祭り」が行なわれている。

この「秋祭り」のイベントの1つとして、
「餅まき」は行なわれる。

神社の境内など、ある程度の広さのある場所に
櫓の様なものが組み上げられ、
ここから、足下に集まった人たちに「餅」をまく。
このとき、普段はいつも「物欲」など無い様な、
「善良」な一般人であるはずの人たちも、我を忘れ、
その本性をさらけ出し、「欲」を丸出しにして、
まかれる「餅」へと殺到していく。
押し合い、へし合い、潰し合い、
ただ、1つでも多くの「餅」を手に入れんと、
その狂態をさらすのである。
まことにおかしな「狂乱」のイベントである。
この食べ物の溢れ返っている現代、
小さな「餅」などは、スーパーにでも行けば、いくらでも手に入る。
餅米粉を機械で練った「餅」がイヤだというのなら、
餅屋(最近では和菓子屋などがやっていることも多い)に行って
購入してきてもいいし、
餅米だけを購入し、家庭用餅つき機を使って「餅」を搗けば、
結構安価で、大量の「餅」を手に入れることが出来る。
だが人々はそういった手段を使おうとはせず、
ただただ夢中になって、押し合い、へし合い、潰し合い、
小さい餅を奪い合うのである。
なんとも不思議な、ちょっと「神懸かり」的なものすら感じさせる
「欲」の爆発状態である。

現在では、祭りで執り行われる「餅まき」だが、
もともとは上棟式(建前)などの「神事」に際して、
集まった人々へと「餅」をまく行事である。
近年は、上棟式自体がほとんど行なわれなくなったため、
必然的に「餅まき」も衰退していくはずであったが、
秋祭りなどの「祭り」で執り行われるようになったことにより、
上棟式が衰退した現在でも、各所で執り行われている。

歴史的に言えば、平安時代ごろから
上棟式の「餅まき」は行なわれていたようであり、
当時はこれを「散餅の儀(さんべいのぎ)」と呼んだ。
これを一般庶民が行なうようになったのは、江戸時代からである。
「散餅の儀」という厳めしい言葉の響きからして、
もともとは、貴族や高級武士などの上流階級でのみ、
執り行われていたのではないだろうか?
古い時代には、家を建てると大きな災厄を招くと考えられていた。
恐らく「家を建てる=富がある」と言う風にとられ、
周りの人々から嫉妬を受けることがあり、
これを一種の「災厄」と位置づけていたわけだ。
この「厄」を避けるため、餅や小銭をまいて
人々に「厄」を持って帰ってもらう、というのが
「散餅の儀」の本来的な意味であったらしい。
わかりやすくいえば、
「餅をくれてやるから、嫉妬すんじゃねーよ、貧乏人」
ということだろう。

自分も子供のころは、よく「餅まき」に行っていた。
スーパーのビニール袋を手に、餅が降ってくるのを待つ人々。
自分のいる場所に餅が降ってくると、
その辺りは一種の狂乱状態となり、
大人も子供もその欲望をむき出しにして、小さな餅を奪い合う。
大人はその体格と体重を活かして、
子供はその身体の小ささと、すばしこさを活かして餅を拾った。
高い位置で、空中にある餅をキャッチすることが出来れば、
理想的なのだろうが、実際にはそうはうまくいかず、
ほとんどの餅は地面へと落下していた。
それを今度は子供たちが、ネズミの様な素早さで拾い集める。
当然、餅には土がついているのだが、
そんなことは誰も気にしない時代であった。

最近になって、秋祭りの「餅まき」に参加してみると、
時代を反映してか、餅は1つ1つビニール袋で個包装され、
地面に落ちても土がつかないように配慮されていた。
もちろん、衛生的に考えれば、それが正解なのだろうが、
そういう手間とカネが余計にかかっている分、
どうしても、まかれる「餅」の数は少なくなる。
子供のときに比べ背が高くなった分、
空中で「餅」をキャッチすることも出来るようになったのだが、
それで手に入る餅は結局1個だけである。
地面に落ちた餅のほとんどは、子供や、
背の低い女性たちに拾いつくされてしまい、
ほとんど手に入らない。
結局、子供のころからは考えられないほどの情けない収穫で、
「餅まき」を終えることになった。

やはり「餅まき」の主役は子供、ということだろうか?

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