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にぎり寿司

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自分の人生で、寿司というものは、随分と偏った歴史を持っている。

まず最初に「巻き寿司」があった。

やがてそこに「稲荷寿司」が加わった。

ここまでが、大体、小学校の低学年ぐらいのころである。

小学校の中学年程度になると、ここに「ちらし寿司」が加わった。

小学校の高学年になったころ、当時の龍野市に初めて回転寿司の店ができた。

くるくる寿司という看板が、印象的だった。

珍しい、ということで家族に食べにいった。

その時、生まれて初めてにぎり寿司を食べた。

それまで、にぎり寿司に、触れなかったわけではない。

「小僧寿司」という、テイクアウトのチェーン店があり、

たまにそこで寿司を買うことがあった。

子供はたいがい、ツナ巻きやサラダ巻きなどをあてがわれ、

にぎり寿司は大人が独占していた。

当時、寿司自体があまり好きではなかったので、

わりと素直にその待遇に甘んじていた。

法事などがあると、盛り込みの桶に入った寿司をとることもあったが、

子供の所には、巻き寿司と稲荷寿司しかまわってこなかった。

当然、にぎり寿司というものを食べないまま、

小学校の高学年を迎えていたのである。

今回は、この「にぎり寿司」について書いていく。

現在でこそ、寿司は「鮮度が命」のようなことをいっているが、

本来の寿司は保存食であった。

魚肉を、飯と塩で漬け込み発酵させる、

いわゆる「なれ鮨」である。

奈良時代にはすでに食べられていたようで、

平安時代に書かれた「延喜式」(927年)には、

数多くの「鮨」、「鮓」の文字を見ることができる。

これらの鮨は、主に貢納品として記録されていて、

一種の税として納められていたようである。

このころの鮨は、食べるのはあくまで魚肉のみであり、

飯はつけ込み材料で、食べるものではなかった。

現在も残っている琵琶湖の鮒鮨などは、この「なれ鮨」である。

やがて室町時代になると、このつけ込み時間が短縮されはじめる。

発酵を充分に起こさないうちに、これを食べるようになったのである。

この際に、本来ならばつけ込みの素材であった飯も、食べるようになった。

しっかりと発酵させてから食べる「なれ鮨」と、

そこまで発酵を進めずに、飯と一緒に食べる寿司とに分化したのだ。

(以降はコメを一緒に食べるスシを寿司、そうでないものを鮨と書く。

 そういう風に決まっているものではなく、あくまでも自分の判断だ)

この寿司には、調味料として酢をつけていた。

それまでの鮨には、乳酸発酵による充分な酸味があったが、

その発酵をあまりさせないために、酸味が少なくなった。

その減った酸味を補うため、調味料として酢を用いたのではないだろうか?

時代が進んでくると、いよいよ寿司の発酵期間が短くなっていく。

人々は発酵の速度を上げるべく、酒や酒粕、麹などを用いるようになる。

一種の促成発酵だ。

スピード主義、とでもいえばいいだろう。

現在、醤油や味噌なども促成醸造されているが、

日本人の本質とというのは、このころから変わっていないのかもしれない。

このスピード主義が行き着くとこまで行き、ついに寿司から発酵過程がなくなる。

江戸時代の延宝年間(1673~1680年)に、

飯に酢を混ぜた寿司が生まれる。

酢の強力な防腐作用を利用した、「はや寿司」の誕生である。

酢には酸味があり、乳酸発酵によってでてくる酸味を待つ必要がない。

箱の中に酢飯を詰め、その上に魚肉を並べた「箱寿司」である。

江戸時代の寿司と言えば、にぎり寿司を連想するだろうが、

にぎり寿司が作られたのは、

江戸末期の文政年間(1818~1831年)である。

それまでは、寿司といえば、この「箱寿司」であった。

にぎり寿司を創案したのは、「與兵衛鮓」の華屋與兵衛だとも、

「松が鮨」の堺屋松五郎だともいわれる。

どちらも江戸の寿司屋であることから、

江戸で誕生したことは間違いがないようだ。

「柳多留」(1829年)には

「妖術と いう身で握る 鮓の飯」

という句が載っている。

にぎり寿司を握る技術が、当時の人たちからすれば妖術の様に見えたのだろうか。

当たり前のことだが、にぎり寿司をつくるには、

新鮮な『海』の魚介類が必要になる。

必然的に、これを食べることができるのは、海の近くに住んでいる人間だけで、

内陸部に住む人間は、これを口にすることができなかった。

淡水魚の場合、生で食べることのできるものが非常に少なく、

さらに海水魚に比べ、独特の臭気があるのでにぎり寿司には向いていない。

実際に現存しているにぎり寿司が、どれも海水魚を使ったものであるのが、

その証拠だ。

この状況に変化が起こるのは、明治30年代である。

製氷技術が進歩することによって、寿司屋でも氷が使えるようになった。

それにより、新鮮さを落とさず魚介類が運べるようになり、

にぎり寿司は内陸部へと入り込んでいった。

さて、小学校の高学年になり、初めてにぎり寿司を口にしたと書いた。

初めてのにぎり寿司。

どれほどうまかったことか……、と思われるかもしれないが

そういう感動は一切なかった。

正直に言ってしまえば、まあ、想像通りの味であった。

魚肉、わさび、酢飯、醤油。

これらの味である。

刺身に、わさびと醤油をつけ、ご飯を食べているようなものだ。

そのご飯に、いささか酸味があるのが、常とちょっと違っている。

驚くほどうまいものでもないな、というのが正直な所だった。

もっとも、ある程度機械化された、回転寿しでのことなので、

普通の寿司屋のカウンターにでも座れば、また違ったのかもしれない。

しかし、いい歳になった今でも、回らない寿司屋のカウンターというのは

なかなか敷居が高い。

こちらはまだまだ修行が必要なようだ。

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