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キウイ

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このブログで、農作物の話を取り上げる際、
かなりの高確率でうちの婆さんが登場する。

これは、婆さんが畑を作り、様々な農作物を生産していたからだ。
この婆さんの農業歴は長く、
戦中は山肌を開墾した畑を作り、そこで生産した農作物をもって
うちの母親を育てていたわけだから、
恐らく、半世紀近い農業歴があるのではないだろうか?
普通、それだけの経歴を持つ農家なら、
農協などとも関係を持ち、農作物の出荷や
農業知識を得たりするものだが、
うちの婆さんは、自分の知る限り、
ただの一度も自分の農作物を商品として販売したことはなく、
自分で食べるか、あるいは子供の所に送るかしかしなかった。
全く金銭的な利益を考えぬ、純粋な農業である。
農協などの勉強会に参加したこともなく、
農業雑誌などを購入しているのも、見たことがない。
自分の知る限りでは、婆さんが農業知識を仕入れるのは、
種を買ってきたときの、袋に印刷されている知識か、
肥料の袋に印刷されている知識を
見る程度だったのではないだろうか?
どちらにしても、極めて限定的な知識である。

婆さんのとんでもない所は、
それくらいしか農業知識の受け入れ口が無いにも関わらず、
ほとんどの農作物を、ほぼ間違いなく作り上げてきた所である。
もちろん、ノートに気付いたことを
書き留めていることはあったが、
それらを見てみると、どれもメモ書きの範疇を出ておらず、
あの、どんな農作物でも作り上げてしまう
婆さんの生産力の源が一体なんだったのかは、
未だによくわからないままである。
さらにこの婆さん、借り受けた畑だけでは満足できなかったのか、
うちの庭の一画と、当時うちのまわりに広がっていた
荒れ地の一部に、同じく荒れ地の中から
良さそうな土を集めてきて畑を作り上げていた。
軽四トラックも、重機もない中、
ツルハシとスコップと一輪車のみで畑を作り出してしまった。
まるで屯田兵のような婆さんであった。
うちには、定期的に農協の発行している小冊子が配られている。
そういう小冊子には、
「○○を作り続けて〜十年」なんていう触れ込みで、
地元の農家が紹介されており、
生産した農作物を手に、笑顔で写真に写っていたり、
農作物に如何に手間と愛情をかけてきたかを話していたりするが、
うちの婆さんは、農作物を手に笑顔を作るようなこともなく、
手間と愛情について口にすることもなかった。
うちの婆さんにとって、農作物がとれるのは当たり前で、
農業に手間がかかるのも当たり前であった。
いちいちそんなことで、顔色を変えることもなく、
手間を口にすることもない。
ただ淡々と農作業を進め、黙々と収穫を得るその姿は、
真の意味でのプロフェッショナルであった。

そんなプロフェッショナルの婆さんが、
上手く作れなかった野菜がある。
爆裂種のトウモロコシ(ポップコーン)とキウイである。
婆さんがどういうツテで爆裂種トウモロコシの種を手に入れ、
どういうつもりでこれを栽培したのかはわからないが、
自分の知っている限り、この栽培は失敗した。
いくつかの収穫はあったのだが、
婆さんの満足いくものではなかったらしい。
そしてもう1つが、今回のテーマである「キウイ」である。

キウイは、別名キウイフルーツとも呼ばれる、
マタタビ科マタタビ属の落葉性つる植物である。
マタタビって、ネコに与えるとヘロヘロになる、
あのマタタビ?と思われるだろうが、あのマタタビである。
マタタビに近い近縁種だけあって、
キウイの幼苗や若葉などは、ネコに食べられることがある。
ネコに注意を払わなければならない、珍しい植物である。
「キウイ」といえば、
ニュージーランドのイメージが強いので、
ニュージーランドが原産地だと思っている人もいそうだが、
実は「キウイ」は中国が原産の植物である。
元々は中国南部に自生していた
「チャイニーズ・グーズベリー」という植物だったのだが、
1904年に中国を訪れた女性旅行者によって、
種がニュージーランドへと持ち込まれ、
その後、品種改良が進められ、
現在のキウイフルーツが生み出された。
商業栽培は1935年ごろから始められ、
それ以降、世界各国で食べられるようになった。

「キウイ」「キウイフルーツ」という名前がつけられたのは、
1959年のことである。
ニュージーランドからアメリカへと輸出されるようになった際、
ニュージーランドのシンボルともいえる鳥
「キーウィー」に引っ掛けて「キウイフルーツ」と名付けられた。
恐らくは、この時点までは「チャイニーズ・グーズベリー」と
呼ばれていたものと考えられる。
「キーウィー」の見た目が、「キウイフルーツ」に似ているため、
「キーウィー」に似ている果物ということで、
「キウイフルーツ」になったという説もあるが、
公式的には、あくまでもニュージーランドのシンボルとして
「キーウィー」の名前から取った、ということらしい。
なんともややこしい話である。
日本に持ち込まれたのは1960年代で、
日本もまた「キウイフルーツ」の生産に適した気候であったため、
栽培が行なわれるようになった。
世界各国の生産高を見てみると、
生産量第1位はイタリアで、
キウイフルーツの原産国・中国が第2位、
キウイフルーツを商品化したニュージーランドが
第3位となっている。
どういうわけで、原産国でも本場でもないイタリアで
それほど多量に生産されているのかはわからないが、
この生産量ランキングも、
年によって入れ替わっていることがあるので、
少なくともここで挙げた国では、
キウイフルーツが大量に生産されている、と考えて良さそうだ。

栽培自体はわりと簡単で、
苗も、普通のホームセンターなどで買うことが出来る。
雌雄異株の植物なので、
雄株と雌株を最低でも1本ずつ購入しないと、
キウイフルーツを収穫することが出来ない。
5月ごろに花を咲かせ、10〜11月ごろに実をつける。
最大で1本の株から1000個ものキウイフルーツを
収穫することも出来るが、
あまりたくさん実をつけすぎると、糖度が下がり、
酸っぱいばかりのキウイフルーツが量産される。
そうならないように、適当に果実を摘果することが、
美味しいキウイフルーツを作るコツである。
収穫後はすぐに食べず、30〜60日ほど追熟させる。
指で軽く押してみて、弾力を感じるぐらいが食べごろである。
基本的に生食されることが多いが、
たくさん収穫があった場合、砂糖を加えて煮込み
ジャムにすることもある。
ゼリーを作る場合、
キウイにはタンパク質分解酵素が含まれているために、
ゼラチンでは上手く固まらないことがある。
その場合、加熱処理をすれば酵素の働きがなくなるので、
上手く固めることが出来る。

さて、キウイの栽培は比較的簡単だ、と書いた。
しかし、うちの婆さんはこれに失敗している。
何が悪かったのか?
話は簡単で、キウイの木が育ちすぎてしまい、
かなり高い位置に実がなるようになり、
摘果も収穫も出来なくなってしまったのである。
これは婆さんの栽培能力の高さが災いした、
といってもいいだろう。
婆さんはおろか、当時我が家で一番背の高かった自分が
脚立に登ってさえ、まともに収穫が出来ず、
いくつか低い位置に出来た果実を収穫できても、
途中の摘果が行なえていないため、
全く甘くないキウイしか採れなかったのである。

何でも大きく、育て上げればいいと言うわけでもない。
婆さんにとっては、数少ない「失敗」のひとつである。

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