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歴史 食べ物

黒大豆

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かつて、
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」というマンガの中で、
お節の不人気ベスト3を
「昆布巻き」、「かまぼこ」、「黒豆」としていた。

子供のころは、現在のように
インターネットなどなかったので、
こういう雑誌によって発信される情報というのは、
かなりの「重さ」があった。
事実、ここに書かれている3つは、
自分も子供時代、好きでなかったものばかりである。

「昆布巻き」は、子供には食べ辛い。
噛む力の弱い子供には、いくら柔らかく煮てあるとはいえ、
何枚も重なった昆布の固まりを噛み切るのは辛い。
「かまぼこ」は、本当にただのかまぼこである。
何か特別に手を加えているわけでもなく、
いつも食べているかまぼこが、ただ切られ、
並べられているだけである。
こんないつも食べているものを、
わざわざお節に入れなくても……、という気持ちになった。
「黒豆」も、食べにくい。
箸使いがヘタクソな子供にとっては、
豆を上手くつかむことが出来ない。
さらに、あの甘い味付けだ。
お正月、みんな揃ってお雑煮とお節を食べる。
普段の感覚でいえば、お雑煮がご飯であり、
お節がおかずだ。
甘いおかずというのは、
苦手な人間も多いのである。

もちろん、成長するに連れて、
「昆布巻き」も、「かまぼこ」も、「黒豆」も、
普通に、美味しく食べられるようになっていった。

もっとも早く食べられるようになったのは
「昆布巻き」だった。
これは元々味が嫌いだったわけではなく、
食べにくさが嫌いだっただけだ。
成長して噛む力が強くなり、
普通に食べられるようになると、
かえって大好物になってしまった。
「かまぼこ」については、ありがたみがない、
というだけだったので、元々嫌いだったわけではない。
しかし「黒豆」だけは、
これを美味しく食べられるようになったのは、
随分と大人になってからのことであった。

さて、この「黒豆」だが、原材料は一体なんなのか?

お正月以外の食卓に、「黒豆」が並ぶことは少ない。
だから、ややもすると、
アレは何か特別な豆を使っているのでは?
なんて風に考えてしまうこともある。
実は、あれは特別変わった豆ではなく、
日本人にとってもっとも馴染みの深い豆、
「大豆」なのである。

もちろん、我々が普段目にしている大豆と、
「黒豆」の間には大きな違いがある。
それはズバリ「色」だ。
我々の知っている大豆は「黄色」である。
それに比べると、「黒豆」の表面は真っ黒である。
しかし、「黒豆」の黒い部分は表皮のみで、
その内部は、普通の大豆と変わらない色をしている。
これは表皮に「アントシアニン」という、
色素を含んでいるためだ。
「アントシアニン」は、
ブルーベリーなどにも含まれている色素だ。
「黒豆」の原材料である「黒大豆」は、
表皮にこのアントシアニンを含んでいるのである。

もうひとつの「黒豆」の特徴は、その大きさだ。
スーパーなどでは、大豆の煮物が販売されているが、
正月に食べる「黒豆」は、この大豆の煮物より
明らかに大きい。
実は、「黒大豆」は、
標準的な「黄大豆」と比べると、大きく育つ品種だ。
一般的な大豆100粒の重さは30gであるのに対し、
一般的な黒大豆は100粒の重さが40gと、
1.3倍以上も大きいのである。
さらに黒大豆の中の最高級品、
正月の「黒豆」でも有名な「丹波黒」ともなると、
100gあたりの重さは80~90gになる。
実に3倍もの大きさになるのである。

黒大豆の歴史は古い。
文献上に現れた、最古のものを探してみると、
中国の「神農本草経」まで遡り、
そこには「病気の治療に適した食物」と書かれている。
ちなみに「神農本草経」を記したのは、
中国の伝説上の皇帝・神農とされている。
彼は、医薬と農業を司る神ともいわれており、
実在していたかどうかもわからない、
伝説上の人物である。
少なくとも中国では、神話の時代から
「黒大豆」が食べられていたということになる。

一方の日本でも、953年に編纂された
「倭名類聚抄」の中に、
「烏豆(くろまめ)」という記述がある。
少なくとも、この時代には
日本に伝わってきていたようだ。
日本の薬学に大きな影響を及ぼした
中国の薬学書「本草綱目」(1578年)にも、
「大豆には、黒、白、黄、褐、青、
 斑(まだら)などがあって、
 黒いものは烏豆と名付け、薬に入れ、また食料にし、
 鼓を作るのに使用する。
 黄色いものは、豆腐や醤油を造るのに使用する。
 それ以外の豆は、豆腐にするか、
 炒って食べるしか出来ない」
と、書かれている。
これらの記述に共通していることは、
「黒大豆」=「薬」として
扱われているということである。
我々の生活に根ざしている「黄大豆」も、
その栄養価が高く評価されているが、
「黒大豆」には、それすらも上回る評価が
与えられていたのである。

この「黒大豆」が、正月料理として、
登場するのは、室町時代のことである。
こんにゃくと炊きあわせ、
「座禅豆」という名前で呼ばれていた。
現在でもお馴染みの、
「黒豆の煮物」として食べられるようになるのは、
江戸時代後期になってからである。
「黒は邪気を払い、災いを防ぐ」という考え方や、
「まめ(豆)に働く」という願いが
込められるようになり、
次第に正月料理に欠かせない一品に
なっていったのである。

さて、子供のころから
あまり好きではなかった黒豆だが、
これを改善されたのは、先にも書いた通り、
随分と大人になってからのことである。

長らく食べていなかった黒豆を、
久しぶりに食べる機会があったのだが、
その際、ふと気がついたのが、艶やかな黒色の美しさだ。
しわひとつなく、ふっくらと煮上げられた「黒豆」は、
どこまでも深い黒で、
まるでガラスのように艶やかであった。
子供のころは、全く気がつかなかった美しさだ。

ひとしきり、その美しさを堪能した後、
箸でつまんで口に放り込むと、
子供のころに味わったのと同じ、甘い味がする。
やはり、これはご飯には合いそうにない。
しかし、「豆を煮たもの」=「おかず」という
固定概念をなくしてしまえば、
その味は決して悪いものではない。
そこで、ふと気がついた。
ああ、これはむしろお菓子に近いものなのだと。
そう考えると、それまではイヤだった甘い味が、
とても美味しいものに感じられてくる。
不思議なものだ。

一番最初に書いた「お節の不人気品」だが、
ネットで調べてみると、黒豆の人気は高く、
「好きなお節ベスト3」の中にも、
ちょこちょこと顔を見せている。

いつの間にやら「黒豆」は、
不人気という不名誉を、返上していたらしい。

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