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食べ物

コメ~その1

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粉食という言葉がある。

要は穀物を、粉にしてから食べましょう、ということだ。

小麦粉などがその例だ。

粉になった小麦は、そのまま水や油で練られ、

成形され、茹でられたり、焼かれたり、あるいは揚げられたりしている。

パンも、うどんも、お好み焼きも、パスタも、全てが粉食だ。

この粉食に対するのが、粒食だ。

これは粒の穀物を、そのまま食べてしまおう、というものだ。

こっちの代表は、やはりコメだろう。

というより、コメ以外の粒食というのは、パッとは思い浮かばない。

そういう意味では、粒食という言葉は、コメのためにあるともいえる。

今回は、この粒食の代表、コメについて書いていく。

コメ、というと「日本」というイメージがある。

テレビなどを見ていると、いかにもそういうイメージで話している。

いかにも、日本人はコメばかり食べているようなイメージだ。

日本のコメの年間消費量は約800万t、小麦粉は約700万tで、

わずかにコメの方が上回っているが、ほぼ同量の小麦を食べている。

近年、日本人のコメ離れ、などという言葉を聞くが、

それでもまだ、日本人のコメ消費量は、小麦を上回っている。

ただ、戦後の、もっともコメの消費量の多かった時には、

年間1340万tもの消費量があった。

それに比べれば、たしかに大幅に減っているといえる。

同じ時期の、小麦の消費量は、350万tほどだ。

コメ、小麦の合計消費量は、戦後に比べると、やや落ちている。

これは人口的な問題もあるし、副食が多くなったという事情もあるだろう。

世界的に見れば、コメと小麦は、

両方とも、年間6億tほどの生産量がある。

つまり小麦を食べている人間と、コメを食べている人間は同じくらいいる、

ということになる。

現在の日本のバランスは、これに非常によく似ている。

昔の日本人は、コメをよく食べていた。

有名な詩人、宮沢賢治の詩で「雨ニモ負ケズ」というのがある。

その中では、1日に「玄米を4合」ほど食べ、とある。

家族で、ということではなく、個人でだ。

現代人の感覚からすれば、凄まじい消費量だ。

1合のコメというのは、ほぼどんぶり飯1杯だと思っていい。

つまり宮沢賢治は、3食全てでどんぶり飯をかっ込み、

そのうちの1食では、どんぶり飯のおかわりをするということになる。

その割におかずは乏しい。

味噌とわずかな野菜、である。

これは、野菜のみそ汁と漬け物、ということだろう。

このおかずでどんぶり飯2杯、となると相当塩辛かったに違いない。

宮沢賢治は、若い頃には山登りなどをしていたとはいえ、職業は教師だ。

典型的なホワイトカラーだ。

それでも、1日に4合のコメを食べていた。

それも、詩の空気から察するに、日に4合のコメはささやかな食事、

という雰囲気を感じざるを得ない。

当時の陸軍の食事規定では、1食コメ2合というのが、

その基準であったらしいので、肉体労働者はそれくらいのコメを

食べていたのだろう。

昭和初期、地元の資料を見ると、

1家族が1年間に消費するコメの量は、20俵とある。

1俵は約60kgなので、20俵で約1.2tだ。

コメを炊く時には、2割から3割の麦を混ぜ、麦飯にしている。

1回、コメを炊くときは、1升(10合)のコメに3、4合の麦を混ぜた。

つまり重量では、1ヶ月に100kgほどのコメを食べていたことになる。

特別な大家族ではない。

祖父、祖母、父、母、子供数人の家庭での話だ。

いかにコメを食べていたのかが、わかる。

ちなみにここでコメに混ぜられていたのは、大麦である。

大麦は比較的簡単に、殻・フスマ層を取り除くことができたため、

コメと一緒に炊き込んで、粒食することができた。

同じことを小麦でやろうとすると、

うまく殻とフスマ層を取り除くことができない。

そのため日本では、小麦よりも大麦の方が、重要な穀物とされていた。

しかし現在では、この価値観は逆転している。

大麦には、グルテンが含まれておらず、粉にしても加工しにくいからだ。

大麦は前夜のうちに煮て、柔らかくしておいたものを、

改めてコメと一緒に炊き込んだ。

これだけのコメを食べていながら、当時の日本人の写真を見ると、

肥満、という体型があまり見られない。

この現実を見ると、炭水化物ダイエットというものに、疑問を持たざるを得ない。

コメは粒食の代表だ、と書いたが、実はコメは粉にも加工される。

大雑把ではあるが、糯(もち)米を粉にしたものが白玉粉であり、

粳(うるち)米を粉にしたものが上新粉だ。

それぞれ、和菓子などを作る際に、利用される。

最近では、パンをはじめ、天ぷら粉などにも利用されている。

コメあまりの時代の、新たなコメの利用法として注目されている。

ちなみに糯米、粳米の区別、というのは含まれているアミロースという、

デンプンの含有量によって変わってくる。

糯米(もちごめ)には、全くアミロースは含まれていない。

粳米(うるちまい)は、約20%のアミロースを含んでいる。

このアミロースを含んでいる量が少ないほど、粘りの強い、

モッチリとしたコメになる。

インディカ種はジャポニカ種に比べ、多くのアミロースを含んでおり、

そのせいでパサつく感じになる。

この「もち」と「うるち」という区別は、コメだけではなく、

トウモロコシ、アワ、キビなどにもある。

「桃太郎」に出てくるキビダンゴは、このキビの「もち」種で作った団子だ。

「うるち」種のキビでは、粘りが出ず、団子にはできない。

こちらは主に、粥として食べられることが多かった。

現在、岡山県で売られている吉備団子は、

実は桃太郎の食べたものとは、全く違っているのだ。

「もち」と「うるち」の区別は、コメの場合、わかりやすい。

餅を作るコメが糯(もち)米、

普通に炊飯して食べているコメが粳(うるち)米だ。

作付け面積では、粳米が95%以上。

単位面積辺りの収穫量も、粳米の方が多いので、

この数値以上に生産量には、ひらきがあることになる。

ガッツリとした量のコメを、野菜を中心とした少ないおかずで食べるというのは、

日本人の本来の食生活であった。

ガッツリとご飯、みそ汁、漬け物、そして野菜でできた1品、たまに肉か魚。

みそ汁は、野菜を煮て、そのビタミン等の溶け出した汁に味噌で味付けし、

そのまま摂取する。

肉や魚は毎日食べるわけではなく、どちらかといえば嗜好品的な食べ方だ。

現代の基準から考えてみれば、かなり栄養が偏っている。

だが、不思議とこのかたよったメニューからは、

そこはかとないヘルシーさも感じるのも事実だ。

それを感じる、ということは、素直に体がそれを求めているということだ。

食生活の全てを代えてしまうのは、きっと無理だろうが、

1日1食くらいは、このスタイルにしてもいいのかもしれない。

今回は、コメの消費という点に、焦点を合わせてみた。

次回は、コメの歴史的な点に、焦点を合わせて書いていきたい。

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