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サンマと文学と男と女

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サンマには文学の影がつきまとう。

マンガ「美味しんぼ」では、
サンマの話で佐藤春夫の詩が紹介されていたし、
東海林さだおのエッセイでも、
サンマと佐藤春夫の詩が紹介されている。

ここで紹介されている詩というのが「秋刀魚の詩」だ。
ストレートなタイトルである。

「美味しんぼ」で紹介されていたのは、
この「秋刀魚の詩」のほんの一部分だけだ。
冒頭の、男が1人、秋刀魚を焼いて食っている情景と
秋刀魚の上に柑橘類の汁をかけるのが、
男の故郷の風習だ、という部分だ。
ここだけを聞くと、郷愁を誘う望郷の詩に見える。
今回、サンマをテーマに記事を書くにあたり、
この「秋刀魚の詩」を調べてみた。
その結果、この「秋刀魚の詩」は
生々しい男女関係の詩であることがわかった。

ことの始めは、谷崎潤一郎である。
わりと有名な作家だから、名前を知っている人は多いだろう。
著作に「痴人の愛」や「春琴抄」、「細雪」などがある。
彼を調べてみると、その紹介欄には、
耽美主義、過剰な女性愛、マゾヒズム、情痴、などという言葉が並んでいる。
そういう方面に長けた、作家であったらしい。
実生活でも、女性に対しては自由奔放であったようで、
結婚してからも、様々な女性と恋愛していたようである。
残っている写真を見てみると、なるほど、結構なイケメンである。
これでは、女性も放ってはおかないだろう。

たまらないのは、そんな男と結婚した妻の方だ。
結婚してからも止まない、谷崎潤一郎の浮気、女遊び。
ついには妻の妹とも、いい関係になってしまう。
この谷崎潤一郎の妻の相談にのっていたのが、佐藤春夫であった。
家をあけがちだった谷崎潤一郎の家に上がり込み、
彼の妻や娘と一緒に、ご飯を食べたりもした。
これを知った谷崎潤一郎は、佐藤春夫に妻を譲ると伝える。
ところが直前になって、谷崎潤一郎が心変わりしてしまう。
それに傷ついた佐藤春夫は、田舎に引きこもり、
そこで「秋刀魚の詩」を書くのである。
だから「秋刀魚の詩」には、「人に捨てられんとする人妻」
「愛うすき父もちし女の児」などという単語が出てくる。
当時、佐藤春夫自身も妻と離婚した所であり、
自らのことも、詩の中で「妻にそむかれたる男」と書いている。
そう、「秋刀魚の詩」で書かれている食卓は、
佐藤春夫が上がり込んだ、谷崎潤一郎の妻と娘のいる食卓のことだったのだ。
そう考えると、郷愁の漂っていた詩に、ちょっとした生臭さを感じてしまう。

サンマは、ダツ目ダツ上科サンマ科サンマ属の硬骨魚類である。
主に北太平洋に棲息し、日本では秋の味覚として知られている。
漢字で書くと「秋刀魚」となるが、この字が使われるようになったのは
大正時代以降で、それ以前は「鰶」の字があてられていた。
大量に獲れれば、お「祭」り騒ぎになったから、ということらしい。
夏目漱石は、「我が輩は猫である」の中で「三馬」と書いているが、
これは彼のオリジナル表記で、正式なものではない。
そもそもサンマが「サンマ」と呼ばれ始めたのも、そう古いことではなく、
江戸時代からのことだといわれている。
それ以前は、「サマナ」「サイラ」などと呼ばれていた。

秋刀魚が食べられ始めたのも、江戸時代のことである。
安永年間(1772年~)ごろには、
「安くて長きは秋刀魚なり」と、魚屋が売ってまわった記録がある。
当初、武士階級は秋刀魚を「下賎のもの」として食べなかった。
天ぷらや寿司、ウナギなどと同じで、もともとは庶民の食べ物であった。
マグロなどは、庶民も食べなかったというから、
当時は、マグロよりも価値のある魚とされていた可能性もある。
落語「目黒のサンマ」で、お城の料理人がサンマの脂を抜いたこと、
当初はウナギなども下賎のものとされていた状況から考えるに、
当時の日本人にとって、魚の脂は嗜好に合わなかったようだ。
もちろんこの嗜好は、江戸時代のうちに変化していき、
日本人は現在のような「脂大好き」民族に変わっていく。
サンマも、そんな日本人の嗜好の変化に、一役買っていたものと思われる。

サンマ漁が始まったのは、江戸時代初期の熊野灘でのことで、
これ以前は、サンマは日本人にとって、食の埒外にあったようだ。
当時は紀伊半島近くまで、サンマが南下してきたものを獲っていたようだが、
現在では、根室沖~銚子沖あたりがサンマの漁場となっている。
太平洋側のみならず、サンマは日本海側も南下していく。
日本列島を挟み込むようにして南下していくわけだ。

サンマの料理法は、意外に少ない。
最近では刺身にしたり、酢締めにしたり、寿司ネタにしたりもするが、
サンマを生食するようになったのは最近のことで、
それまでは塩焼きにするか、水煮にして缶詰、
干物にするなどの加工法しかなかった。
つまり、日本人は永らく、塩焼きでサンマを食べてきたということだ。
サンマの塩焼きは簡単である。
なんといっても、全く下準備をする必要がない。
普通の魚であれば、鱗をとり、内臓をとり、頭を落としたりする。
しかしこの全てが、サンマには必要ない。
サンマには鱗がなく、サンマの内臓はそのまま焼いて食べられる。
頭は落としてもいいし、残しておいてもいい。
ただ塩をふって、ガスコンロのグリルに放り込むだけである。
そのまま焼いて、片面が焼ければひっくり返す。
どんなに料理のできない人でも、サンマは簡単に焼ける。
これに大根おろしを添え、ゆずなどを切ったものを添えれば、
簡単に秋の食卓が出来上がるのである。

秋口になれば、スーパーの鮮魚コーナーにサンマが並ぶ。
パックに詰められたものもあるが、
氷水の中に乱雑に放り込まれているものもある。
値段は安く、1匹100円程度である。
これ以上の値段がついているときは、
その年のサンマは、不漁であったと考えていい。
これを買って帰って、塩をふり、グリルの中に放り込む。
それだけで、サンマの塩焼きは出来上がる。
昔、七輪などでサンマを焼いていたときは、
サンマから落ちた脂が炭で焼かれ、
もうもうと煙が上がっていたらしいが、
ガスコンロのグリルで焼けば、煙が出ることもない。
1匹焼けば、充分におかずになるし、
これにみそ汁と、出来合いのお惣菜を1品つければ、
見た目もそこそこの、晩ご飯の出来上がりだ。

……。
佐藤春夫の詩ではないが、やはりサンマは、
一人暮らしの男向きの、魚のようである。

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