先週の日曜日、友人に誘われて教会主催のバーベキューに行ってきた。
ちょうど台風19号がやってくる直前だったのだが、
幸い雨も降らず、風も吹かず、無事にイベントを終えることができた。
教会の駐車場にいくつものバーベキューコンロをおいて、
銘々が好きに焼いて食べるスタイルであった。
肉、野菜、おにぎり、ドリンク。
この教会で行なわれる食べ物関係のイベントでは、
毎回、食べきれないほどの量が供される。
ただ、教義上の理由からか、この教会のイベントでは、
一切のアルコール類は出てこない。
焼いた肉に、きりりと冷えたビール、という人も多いかもしれないが、
ここのイベントでは、きりりと冷えたサイダーということになる。
お酒が好きな人にはキツいかもしれないが、
自分は普段、アルコールを飲まないため、全く平気であった。
最近は、あちこちで頻々とバーベキューをやっている。
キャンプ場などに行けば、肉を焼く煙があちこちから立ち上っているし、
広い河原などでも、家族づれが肉を焼いている。
休日の夕方ともなれば、個人宅の庭でもバーベキューをやっている。
空前のバーベキューブームだ。
さて、火をおこして、肉や魚、野菜などを焼くという、
この原始的ともいえる料理、一体どこで始まったのだろうか?
このバーベキュー、もともとはアメリカで始まり、
世界中に広がっていったものである。
バーベキューという言葉の語源は、アメリカインディアンの間で使われる、
バーバゴア(柵、または枠の意味)から出ているといわれる。
これは火を焚いた上に柵を作り、ブタ・鶏などをのせて丸焼きにするもので、
この風習は西インド諸島やラテンアメリカ、ハワイなどにもあった。
アメリカでは近代になって、食生活の合理化が進み、
缶詰や加工調理食を中心とする食事が、一般的になった。
この風潮に対する、一種の反発のようなものが起こり、
この野性的な料理・バーベキューが広まっていくきっかけになった。
似たような料理に、ステーキや焼き肉などがあるが、
これらは鉄板の上や、金網の上などで、強い火力を使って、
比較的短時間で焼き上げる。
バーベキューは、大きな肉をじっくりと時間をかけて焼き上げるスタイルであり、
その点が大きな違いであったが、日本などでは小さくカットされた肉や、
薄くスライスされた肉が多く、焼き肉などとあまり変わらないことになっている。
かなり微妙な焼き加減が必要とされるため、
これを取り仕切る者は、ピットマスターと呼ばれ、
大方の場合、家長がこれをつとめる。
「鍋奉行」「焼き肉奉行」ならぬ「バーベキュー奉行」である。
日本でも、そういう存在がいる場合もあるが、
大抵は銘々が気にせずに、好きなものを焼いて、好きなように食べている。
すくなくとも、バーベキューコンロの上だけは、
アメリカよりも日本の方が「自由の国」である。
なお、味付けにはトマトケチャップをベースにした、
バーベキューソースが使われる。
日本では、出来合いの焼き肉のタレや、ポン酢などを使って食べることが多く、
本場アメリカのバーベキューとは大きく違った味わいである。
本場の味に興味のある人は、一度ケチャップをもとにしたバーベキューソースを
作ってみるのもいいかもしれない。
教会で行なわれたバーベキューでは、コンロによって、
火のきちんと熾っているコンロ、熾っていないコンロと、明暗が分かれていた。
見ている限りでは、大きな固まりの炭を、
そのまま適当に放り込んでいるコンロでは火の熾りが悪く、
ちょうど良い大きさに、炭の大きさを調節しているコンロでは、
順調に火が熾っていた。
集まっていた人たちの中には、結構、歳のいった人たちもいたのだが、
意外とみんな、火を熾すのはヘタクソであった。(自分も含めて)
そのため、しっかりと火の熾っていないコンロでは、
うちわを持って、絶え間なく空気を送りながら肉を焼くことになり、
これがなかなかの重労働だった。
結果として、多くの炭が焼け残ることになってしまった。
これはさすがに、そのまま捨ててしまうわけにはいかない。
コンロごと教会の水道まで運んでいき、消火した。
本来は、火消し壷などに入れて消すのが良いのだが、
これがない場合には、水にしっかりとつけ込んで消火するしかない。
いい加減にすると、中心部の火が消えず、再び燃えだしてしまう可能性がある。
火消し壷などがない場合、できれば何もせずに、
完全に燃焼させてしまうのが、もっとも安全である。
間違っても、山林などに捨てたりしないようにしよう。
山火事のもとである。