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大学イモ

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四国の道の駅、「第九の里」に行ったときのことである。

道の駅のような、地域の特産品を販売しているような場所には、
日本各地から観光客がやって来るため、
そういう人たちに「地元の良さ」をアピールするための、
様々なパンフレットが置かれている。
もちろんこれらは1種類だけではなく、
テーマごとにパンフレットが印刷され、
パンフレット棚に、これでもか、というほど並べられている。
「第九の里」の場合、地元鳴門市の特産品
「鳴門金時」をテーマにしたパンフレットや、
地元の焼き物「大谷焼」をテーマにしたパンフレットが置いてあり、
そこに、さらに阿波地方・徳島県の観光パンフレットなども加わり、
2台のパンフレット棚に、溢れんばかりであった。

自分は好奇心が強いのか、貧乏性なのか、
そういうパンフレット類(無料)を見ると、
手当り次第に、貰わずにはいられない性格をしている。
そんなものだから、少し遠出をして、
道の駅や観光案内所を覗いたりするたびに、
各地の観光パンフレットが増えていくことになる。
これらは、もちろん、その時々に
観光するための情報源にするのだが、
当然、その時、読み切ることの出来る分以上を貰っているため、
読みきれなかったパンフレットは家に持ち帰り、
そこで改めて、眼を通すことになる。
その結果、ああ、こんな所もあったのか、
こんな名産品もあったのか、などと、
後々、後悔するようなことも少なくない。

で、今回も、家に帰ってきてから、
それらの観光パンフレットを読み直していたのだが、
先にも書いた「鳴門金時」のパンフレットを手に取り、
その表紙を見ていると、こんな見出しが書かれていた。

「おいものおやつをつくっています 芋棒」

サツマイモは甘味の強いイモなので、
天ぷらなどの料理に使われる他にも、
「スウィートポテト」など、お菓子類の原料としても、
よく使われる。
しかし「芋棒」というお菓子については、全く聞いたことがない。
京都の料理で、全く同じ名前で「芋棒」という名の料理があるが、
これはエビイモと棒ダラを炊き合わせた料理で、
お菓子といった雰囲気は、全く無い。
そんな珍しいお菓子があったのかと、パンフレットを読んでみると、
「鳴門金時」を棒状にカットして素揚げし、
これに飴をからめて、ゴマをふったものであった。
……。
思わず、そりゃ、大学イモだろ!と、突っ込んでしまった。
よくよく読んでみると、作っている会社自体、
それが「大学イモ」であることを認めていた。
工程が機械化されておらず、
熟練の職人たちの手作業で作られているようで、
なるほど、出来上がりの写真を見ると、
なかなかにウマそうである。
「鳴門金時」という、自慢のサツマイモの持ち味が
しっかりと生かされているようだ。
…と、いっても、すでに帰って来ているので、
それを食べるのは、またいつか徳島に行ったとき、
と、いうことになるのだが。

「大学イモ」は、素揚げしたサツマイモに、
糖蜜をからめた菓子である。
非常にシンプルな説明になってしまったが、
非常にシンプルなお菓子なので、それも仕方が無い。
基本的にはサツマイモと砂糖があれば作ることが出来るので、
家庭でもよく作られるお菓子である。
実際、うちの母親も、婆さんがサツマイモを作りすぎて、
その処理に困ったときなどには、
よく「大学イモ」を作ってくれた。
蒸かしイモや、焼き芋では、それほど喜ばない子供たちが、
「大学イモ」の場合は、際限なく食べ続けるので、
過剰なサツマイモを処理するのには、うってつけだったのだろう。

さて、「大学イモ」ということになると、
まず第1に疑問に思うのが、
「これのどこが大学なのか?」ということであろう。
素揚げしたサツマイモに糖蜜をからめた素朴なお菓子は、
一見した所、全く大学とは関係ないように思える。
しかし、「大学イモ」の「大学」というのは、
実は、その出自を示すものなのである。

「大学イモ」が世に出たのは、
大正時代から昭和初期の東京においてである。
その出自については、有名な説が2つある。

1つは、大正時代、東京大学の赤門の前に、
「三河屋」という蒸かしイモ屋があり、
ここの店主が、これまでに無い新しい商品を作りたいということで、
サツマイモに糖蜜をからめた商品を作り出したという説だ。
これが東大の学生や教授たちに大人気となり、
そのことから「大学イモ」の名前がついたということである。

もう1つは、昭和初期、生活に困った東京大学の学生が、
学費を稼ぐために、中華料理の「蜜餞紅薯」をもとにした
お菓子を売っており、このことから
「大学イモ」の名前がついたとする説である。

どちらの説でも共通しているのが、東京大学という点だ。
少なくとも、大正から昭和初期にかけての時期に、
東京大学の近辺で、「大学イモ」が誕生したと見て、間違いない。
後は、三河屋が作ったか、学生が作ったか?ということになるのだが、
蒸かしイモ屋が、何のヒントも無く、
素揚げして蜜をからめるという調理方法に辿り着くというのは、
ちょっと無理があるようにも思えるし、
大学生が学費を稼ぐために、お菓子を作って売るというのも、
ちょっと商魂が逞しすぎるような気もする。
はたして、学業と商売を両立することが出来たのだろうか?
ともすれば、商売の方が繁盛しすぎて、
大学で授業を受けている時間が、無くなってしまうだろう。
2つの説が、時間、場所ともに非常に近いことから、
元々は、大学の学生がアイディアを出した「大学イモ」を、
蒸かしイモ屋が商品化して、ヒットしたというようなことがあり、
時間とともに、それが2つの説に分化していったのかも知れない。
関西地方では、スーパーなどで「中華ポテト」の名前で、
「大学イモ」が販売されていることがあるが、
これらは、「大学イモ」の原点が、
中華料理「蜜餞紅薯」にあることの、名残なのだろうか。

「大学イモ」は、サツマイモを使った料理・菓子の中でも、
もっとも人気のあるメニューで、
ある意味、もっともメジャーな
サツマイモの食べ方であるということも出来る。

非常に大衆的なイメージのある「大学イモ」だが、
その出自は、日本の最高学府にあるという、
いわば、エリートなのである。

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