
By: くーさん
最近、季節感がおかしくなっている。
どこでおかしくなっているかといえば、コンビニでおかしくなっている。
8月、クソ熱い最中のことであった。
西日本は今年は冷夏であったとはいえ、連日30度を超える気温だった。
そんな中、コンビニによってみると、おでんが販売されていた。
おなじみの電熱式の四角い鍋の中に、茶色いスープに具材が浮かんでいた。
クーラーの効いた店内に立ち上る、おでんの香り。
よく見てみると、その横では肉まん販売用のスチームケースが稼働していた。
もちろん中には、肉まんが温められている。
しっかりと広告も貼ってあって、おでん全品70円だそうだ。
……。
8月のクソ暑い中で、誰がおでんや肉まんを食べたいというのだろうか?
西日本は冷夏であったが、他では連日35度の猛暑日だった所もあると聞く。
そういう場所のコンビニでも、やはりおでんと肉まんが売られていたのだろうか?
考えるだけで、汗が吹き出てきそうな話だ。
冷静に考えて、夏におでんや肉まんを販売するというのは、
売り時を誤っているとしか思えない。
事実、全く売れている気配はなかった。
もし本気で売れると思っているのなら、
経営状態がひどくて、経営方針が迷走しているのかもしれない。
とはいえ、夏場であってもおでんや肉まんを販売している所はある。
横浜や神戸の中華街では、観光客相手に通年、肉まんを販売している。
同じく姫路近辺では、観光客相手に通年、おでんを販売するようになった。
姫路の名物グルメ、「姫路おでん」である。
観光客相手の商売ということになると、
季節感がかなりいい加減になっても、許される空気がある。
遠くから来てくれたお客さんを、がっかりさせてはいけないという、
言い訳ができるせいである
この「姫路おでん」も、そのひとつだ。
姫路、というより播磨地方で食べられていた「姫路おでん」だが、
これに「姫路おでん」という名称が付けられたのは、古いことではない。
2006年、「食」での町おこしを考えていたグループが、
播磨地方で食べられていたおでんに、「姫路おでん」と名前を付けたのである。
恐らくは、B1グランプリなどに参加して、
町おこしをしようという意図が、あったのではないだろうか?
つまり、「姫路おでん」という名前がこの世に誕生してから、
10年もたっていないのである。
この「姫路おでん」、特徴というのはあまりにシンプルで、
「生姜醤油で食べる」
これさえ守っていれば、「姫路おでん」ということになる。
具材に対するこだわりというものもない。
煮込むツユに対するこだわりもない。
ただただ、生姜醤油で食べればそれが「姫路おでん」ということになっている。
……。
初めて聞いた人は、きっと目が点になっているだろう。
え、それだけでいいの?と、あっけにとられているはずだ。
ラーメンでいえば、
麺もスープもどうでもいい、
薬味に○○を使っていれば、「○○ラーメン」と認める、
といっているようなものだ。
関東風に鰹節と醤油で味付けした、甘辛いダシでも、
関西風に鰹節と昆布でとった、薄口の飲めるようなダシでも、
生姜醤油で食べれば、「姫路おでん」ということになるのだ。
全国に名物グルメは数多あるが、これほど適当なものは、
「姫路おでん」しかないだろう。
さて、播磨地方で食べられてきた、と書いた。
ということは、もちろん、たつの市在住の我が家でも、
食べていたということだ。
「おでん」ということになれば、小さな鍋で生姜醤油を作り、
それを銘々が受け皿に入れて、おでんを食べた。
……実は子供のころから、ちょっとおかしいなー、とは思っていた。
テレビなどでおでんを食べるシーンを見ていると、
例外なく、黄色い和ガラシをつけて食べている。
なんでうちは、生姜醤油で食ってんだ?と疑問を持つのは当然である。
ある程度大きくなると、和ガラシもつけておでんを食べるようになったが、
別に生姜醤油を止めたわけではなかった。
生姜醤油に浸したおでんに、さらに和ガラシをつけて食べていたのだ。
我ながら、恐ろしいほど塩分過多な食べ方である。
若かったとはいえ、よくあんな食べ方をしていたものである。
おかしいなー、と思いながら、友人たちにそれを確認しなかったのは、
じつは「おでんに生姜醤油」というのは、
我が家だけのマイノリティだと思っていたからである。
そういう「我が家だけ」というマイノリティは、まわりから奇異の目で見られる。
それが、情報の共有を阻害する。
つまり自分は「姫路おでん」というものが発表されて、
初めて「おでんに生姜醤油」というのが、
播磨地方の一般的な食べ方だと知ったのである。
「姫路おでん」のHPによれば、
おでんを生姜醤油で食べる習慣は、
昭和初期に、姫路の浜手地域で始まったことになっている。
浜手地域というのは、海沿いの地域という意味だ。
姫路市の場合だと、東は的形町から、西は網干区までの
海に面した町のことをいう。
おでんの具材には、魚肉練り製品が多いことを考えると、
それらが生産されていた浜手地域で、
盛んに食べられるようになったのは、当然のことかもしれない。
播磨地方随一の蒲鉾メーカーである「ヤマサ蒲鉾」も、
元は白浜町の蒲鉾屋であったことを考えると、
ひょっとすればその辺りが、「姫路おでん」発祥の地なのかもしれない。
ただ、疑問もある。
資料を調べてみると、大正時代から昭和初期にかけて、
食べられていたのは、関東風の甘辛い「関東炊き」であった。
先の「姫路おでん」のHPにも、当時生きていた人たちからの聞き取りがあるが、
皆、一様に口を揃えて、「関東風の甘辛い関東炊き」といっている。
どうして関西圏の播磨地方で、
関東風の「関東炊き」が食べられるようになったのか?
さらにどうしてそれに「生姜醤油」をつけたのか?
「姫路おでん」のHPでも、その辺りはゴニョゴニョとお茶を濁している。
次回は、そんな姫路おでんの謎について、考察していく。